127 全学年序列二位
『三百位、二位になる』
翌朝、学園の門に貼り出された号外は、見出しが紙の半分を占めていた。
その下に、似顔絵が一枚。雪溜まりから逆さまに突き出た二本の足と、その横でポケットに手を突っ込んで立っている男。男の顔は、なぜか、ものすごく不機嫌そうに描かれていた。
「よく描けてるでしょ」
ペトラが、糊の刷毛を振り回しながら胸を張った。
「徹夜だよ、徹夜。……いやあ、記者になって一年、こんなに筆が走った夜はなかったね。見出し、三十個考えて、一番短いのにしたんだ。短いほうが、強いから」
「……剥がしていいか」
「だめ。もう三百部刷ったから」
ペトラは、手帳をぱらぱらとめくった。
「それより、ハスト君。昨日の一件で、学園中の生徒が、ある一つのことに気づいちゃったんだよね」
「何に」
「全学年二位の席が、今、空いてる人の手の届くところにあるってこと」
嫌な予感がした。
◇
一年の教室の、俺の机が、見えなかった。
正確に言うと、机はあった。その上に、白い封筒が山のように積み上がっていて、机の形が見えなくなっていた。山の裾野は椅子の上まで広がって、さらに床にまで雪崩れていた。
「……なんだ、これ」
「果たし状だ」
レオンが、腕を組んで山を見上げていた。左腕には、まだ白い腕章が巻かれていた。……好きに過ごせ、と命じられた従者は、腕章を巻いたまま、好きに過ごしていた。
「数えた。百十三通」
「数えたのかよ」
「暇だったからな。……フィアットの最初の日が四十八通だったから、倍以上だ」
ラインハルトが、山の一番上から一通をつまみ上げた。
「えーと。『二年、序列九位。昨日の技を、ぜひ間近で拝見したく』。……こっちは『三年、序列十五位。三百位から二位に上がったのなら、二位から三百位に落ちるのもまた道理』。……こっちは『一年、序列二百五十位。どうせ負けるなら、ぼくに負けてください』」
「最後のやつ、正直だな」
「全部、正直だろ」
ラインハルトは、果たし状を山に戻して、俺の肩をばしばしと叩いた。
「いやあ、ハスト! お前、ほんとにすげぇな! 俺はな、ずっと信じてたんだ。お前は本当は――」
「黙れ」
「――覇王の生まれ変わりなんじゃないかって!」
「黙れって」
教室の後ろで、クルトが、なぜかまた小さく拍手をしていた。
俺は、果たし状の山の前で、頭を抱えた。
問題は、果たし状の数ではなかった。
規則三。序列が下の者が上の者に勝った場合、両者の序列を入れ替える。
俺は二位だ。俺に挑んでくる奴は、全員、俺より下だ。そいつに負ければ、俺はそいつの序列に落ちて、そいつが二位に上がる。
――つまり、誰に負けても、そいつが全学年二位になる。
序列九位に負ければ、俺は九位だ。二百五十位に負ければ、俺は二百五十位で、二百五十位の一年が全学年二位になる。翌日から、その一年の机には、百十三通の果たし状が積み上がる。
三百位に戻るには、三百位の奴に負けるしかない。
今の三百位は――。
「……主」
教室の入口から、聞き慣れない声がした。
白い外套の男が、背筋を伸ばして立っていた。
アルブレヒト・フォン・ヴァイスハイト。全学年序列三百位。俺の従者。
左腕には、何も巻いていなかった。……従者の印の白い腕章は、あいつの家の紋で作られている。自分の家の紋を、自分の腕に巻く理由はない。
「本日のご予定を、伺いに参りました」
教室が、しんと静まり返った。
◇
昼休みの屋上で、俺は、真剣に考えた。
アルブレヒトに負ければ、俺は三百位に戻れる。アルブレヒトは二位に戻る。全部、元通りだ。
ただし、アルブレヒトは聖約を使う。あいつが決闘に勝てば、第一条が働く。敗れし者は、勝者に仕えるべし。
俺が、アルブレヒトに仕えることになる。
アルブレヒトは、俺に仕えている。
俺は、アルブレヒトに仕える。
「……主の従者の、主の、従者?」
ミモザが、雪の上に指で図を描きながら首をひねった。
「ハストさんがアルブレヒトさんのご主人で、アルブレヒトさんがハストさんのご主人で……あれ? じゃあ、ハストさんがハストさんのご主人……?」
「わかんなくなるから、やめろ」
「ミモザ、それ、ぐるぐる」
貯水槽の上で、セルカが、指で空中にぐるぐると輪を描いた。
声に出して、俺の名前を呼ばない。昨日から、ずっとそうだ。呼べないのだ。付則がまだ残っている。……その代わり、セルカは、俺のほうを見るとき、いつもより少しだけ長く見ていた。
屋上の扉が、勢いよく開いた。
「――却下だ」
エトワールが立っていた。
眼鏡のレンズが、冬の光をきらりと跳ね返した。
「話は全部、廊下で聞いた。……主従関係にある者同士の決闘は、八百長とみなす。今朝、職員会議で細則を一本増やした。第百十四条」
「早すぎるだろ」
「君が昨日の夜のうちにやりそうなことを、昨日の夜のうちに考えておくのが、学園長の仕事だよ」
エトワールは、懐から一枚の紙を取り出して、ひらひらと振ってみせた。
「ついでに、第百十五条。序列二位以上の者が、故意に敗れたと立会人が認めた場合、その決闘は無効とする。……完璧に負けても無駄だよ、はっす〜君。立会人は、全員、昨日の中庭を見ている」
「……誰が考えたんだよ、その条文」
「私だ」
エトワールは、にっこりと笑った。
「三週間の戦争は、真剣勝負でなければ面白くない。……それに、君が二位にいてくれると、学園の安全保障の観点からも、非常に都合がいい」
「本音はそっちか」
「両方だよ」
エトワールは、紙を懐に戻して、俺の隣に腰を下ろした。それから、声を落とした。
「――それより、もっと面倒な話がある」
エトワールの話は、短かった。短くて、胃の重くなる話だった。詳しいことは陛下から聞け、とだけ言って、エトワールは屋上を出ていった。
◇
俺は、雪の上に仰向けに倒れた。
負けられない。負けたふりも、もうできない。断れるのは、一日一回を越えた分だけだ。
つまり、毎日、少なくとも一回は、勝たなきゃいけない。
――完璧に、勝つしかない。
それも、勝ったように見えないように。
その日の午後の休み時間、俺は早速、廊下で二年の序列九位に捕まった。炎の使い手だった。七節の詠唱で、廊下いっぱいの火の渦を呼んだ。
俺は、詠唱の五節目で、廊下の濡れた床に足を滑らせた。
滑らせたことにした。
転びながら、ほんの少しだけ、廊下の窓の隙間風の向きを変えた。七節目で生まれた火の渦は、風に押されて、撃った本人の足元の床石に吸い込まれて消えた。九位の先輩は、自分の火の熱気に煽られて、尻もちをついた。
立会人の生徒会役員が、ぽかんとした顔で、床に転がった俺と、尻もちをついた先輩を見比べた。
「……え、ええと。先に倒れたのは、ハスト君で……でも、魔術が不発になったのは……」
「先輩の勝ちでいいです」
「いや、それは第百十五条が……」
結局、引き分けになった。
その日のうちに、同じことが三回あった。三回とも、俺は転んで、相手の魔術は勝手に消えて、立会人が頭を抱えた。
夕方には、学園中にこんな噂が流れていた。
二位の男に挑むと、なぜか自分の魔術に負ける。
「……ハスト様」
放課後、王宮へ向かう途中の門の前で、フィアットが、目を閉じたまま、くすりと笑った。
「完璧な負け方の次は、完璧な引き分け方ですか」
「笑うな」
「笑ってません。……でも、序列表、お隣ですね」
フィアットは、なぜか少しだけ頬を赤くして、それきり黙ってしまった。
一位と二位。序列表の一番上の二行に、ふたりの名前が並んでいる。……俺は、そのことを、できるだけ考えないようにした。
◇
王宮の執務室の扉を開けると、紅茶の匂いがした。
陛下は、壁に掛かった古い絵の前に立っていた。幼い兄弟の絵だ。兄の袖を、弟が握っている。
「やあ、はっす〜」
陛下は振り向いて、目を細めた。
「二位、おめでとう。……実に、実に愉快な話を聞いたよ。博識王から聞いたときは、紅茶を三口ほど噴いてしまってね。侍従長に叱られた」
「笑い事じゃないです」
「笑い事だとも。三百位の男が、詠唱もせず、指一本動かさず、教会派の侯爵家の跡取りを雪溜まりに頭から突っ込ませた。……私の二十二年の在位で、これほど胸のすく報告はなかったね」
それから、陛下は、ふっと笑みを消した。
「ただ、面倒が一つ増えた」
陛下は、机の上の羊皮紙を一枚、指先で押し出した。
銀の封蝋が割れていた。ヴァイスハイト家の紋章だった。
「ヴァイスハイト侯爵からの、謁見の申し入れだ。明後日、学園のトーナメント表の発表の場に、侯爵が後見人を伴って参列したい、と」
「後見人?」
「アルブレヒト君の、ジセリアでの後見人だそうだ」
陛下は、羊皮紙の一番下の署名を、指で叩いた。
「――元財務卿、枢機卿ベネディクト」
その名前には、聞き覚えがあった。
ジセリアの教会の、金庫番。巨体を金糸の法衣に押し込んで、免罪符の金を数えていたという男。アベルが、ときどき寝言で怯えたように呼ぶ名前でもある。
「教会が崩れたとき、行方知れずになった男だよ。教会の金庫の中身と一緒にね」
陛下は、窓の外の雪を見ていた。
「どうやら、ヴァイスハイトの屋敷に匿われていたらしい。……そして、あの男が金庫から持ち出したのは、金貨だけではなかったようだ」
「……何を」
「わからない」
陛下は、短く答えた。
「セルカの付則は、まだ解けていないそうだね」
陛下は、ふいに言った。
「……はい。俺の名前を、呼べないままです」
「そうか」
陛下は、それだけ言った。
けれど、紅茶の茶碗を受け皿に戻す手つきが、いつもより少しだけ硬かった。かちり、と小さな音がした。……二十二年、弟の名前を呼べなかった人だ。名前を呼べないということが、どれほど人を削るのか、この人ほどよく知っている人はいない。
「わからない、と言ったが、見当はつく。聖約などという二百年前の代物を、一年留学しただけの少年が、ひとりで使いこなせるはずがない。……誰かが、渡したのだ」
陛下は、俺を見た。
「明後日、気をつけたまえ。私も、王として講堂に座る。だが、王が学園の決闘に口を出せば、教会派に口実を与えるだけだ。……私にできるのは、座って見ていることくらいだよ」
その言葉を口にするとき、陛下の指先が、ほんのわずかに、机の縁を強く押さえていた。
◇
分館に戻ると、門の前に、大きな革の旅行鞄が三つ並んでいた。
その横に、白い外套の男が、背筋を伸ばして立っていた。
「……何してんだ、お前」
「主の側に仕えるのが、約です」
アルブレヒトは、真顔で言った。
「期間が明けるまで、こちらで寝起きさせていただきます。屋敷には、すでに使いを出しました」
「帰れ」
「約に背くことは、できません」
「命令だ。帰れ」
アルブレヒトの唇が、震えた。
帰ります、と言いかけて、止まった。
それから、俺の目を、まっすぐに見た。
「……屋敷には、今、後見人がおられます」
その声が、ほんの少しだけ、掠れていた。
「昨日の決闘のことは、もう伝わっています。私が負けたことも。……約を、汚したことも」
俺は、アルブレヒトの顔を見た。
灰色の目の奥に、昨日、雪溜まりに飛ぶ直前に見たのと同じものが浮かんでいた。
怯えだった。
ただ、昨日のそれは、俺に向けられていた。今日のそれは、俺の後ろではなく、ずっと遠く、あいつの屋敷のほうに向けられていた。
「……ちっ」
俺は、門を開けた。
「入れ。台所の奥に、物置がある。そこで寝ろ」
「……感謝いたします、主」
「主って呼ぶな」
「約により、それ以外の呼び方は――」
「うるせぇ。……鞄、自分で運べよ」
アルブレヒトは、三つの鞄を一つずつ、自分の手で運び込んだ。侯爵家の嫡男が自分で荷物を持つのは、たぶん生まれて初めてなのだろう。一つ運ぶごとに、白い外套の裾が雪で汚れていった。本人は、それに気づいてもいないようだった。
台所の入口で、アベルが、目をまん丸にして白い外套を見上げていた。
「……ハストおにいちゃん。この人、だれ?」
「新しい居候だ」
「いそうろう?」
「パンを焼くのを手伝う係だ」
アルブレヒトが、ぴたりと足を止めた。
「……パン、ですか」
「焼いたこと、ねぇのか」
「侯爵家の嫡男が、厨房に立つことはありません」
アベルが、とことこと白い外套に近づいていって、その裾をきゅっと握った。
「じゃあ、ぼくが、おしえてあげる」
アルブレヒトは、自分の外套の裾を握る小さな手を、長いこと、黙って見下ろしていた。
その手を、振り払わなかった。




