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モーニングルーティーン  作者: 鍵しっぽハンター
第一章「開店前」 〔早春〕

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第九話「今日の小鉢、何ですか」



三日間、レオはその店を遠くから見ていた。


工場への道の途中に、その喫茶店はあった。商店街の一角、古びた看板に手書きで「モーニング」とだけ書かれた店。シャッターが並ぶ早朝の商店街で、その店だけが七時になると明かりが灯った。


一日目は通り過ぎた。二日目も通り過ぎた。でも、少し歩みが遅くなった。三日目の朝、気づいたら引き戸に手をかけていた。引き戸は思ったより軽かった。


入ってきたレオを見て、幸子は一瞬だけ目を止めた。二十代前半だろうか。耳が尖っていた。犬に近い形の、少し大きな耳が頭の上の方についていた。獣人族だと幸子は思った。


緊張していた。肩が少し上がっていた。他の客を確認するように、素早く店の中を見渡した。誰も自分を見ていないことを確認してから、カウンターに近づいてきた。


「いらっしゃい」と幸子は言った。「あの、入っていいですか」「どうぞ。どこでもええよ」


レオはカウンターの端に座った。出口に近い席だった。「コーヒーと、モーニングも、お願いします」「どうぞ」と幸子は言った。コーヒーを出した。レオが両手でカップを持った。一口飲んだ。肩が少しだけ下がった。


モーニングを並べながら、幸子はレオの様子を見た。店の中を、もう一度確認していた。他の客が自分を見ていないかどうかを。誰も見ていなかった。レオがようやく、正面を向いた。小倉トーストを見た。小鉢を三つ、順番に見た。


「あの」と言った。「うん」と幸子は返した。「この小鉢、全部何ですか」


幸子は少し驚いた。小鉢の中身を全部聞いてくる客は、珍しい。


「ひじきと、里芋の煮付けと、白和えだわ」「ひじき」と繰り返した。「里芋」と繰り返した。「白和え」と繰り返した。「食べたことある?」「ひじきは、あります。里芋も。白和えは、初めてです」「豆腐と野菜を和えたやつだわ。甘くはないけど、嫌いじゃないと思うよ」


レオが「そうですか」と言って、白和えをひとさじ食べた。少し考えた。「おいしいです」と言った。驚いた顔で言った。幸子は「そう」と言った。それだけ言った。


十分ほど経って、レオが「毎日、違うんですか、小鉢の中身」と聞いた。「そうだわ。その日の気分で変える」


「毎日変わるんですね。でも、コーヒーとトーストは変わらないんですよね」「そうだわ。変わるものと、変わらんものがある」


レオがうなずいた。「それが、いい気がします」と言った。


しばらくして「工場で働いています」とレオが言った。「来て、半年になります」「慣れた?」


「仕事は慣れました。他のことは、まだです。職場のこととか、休憩室とか、ランチとか。仕事以外のところが、まだちょっと」「そうだわなあ。仕事と、職場は別もんだからね」「そうなんです。仕事は好きなんですけど、職場が、難しくて」


幸子はカウンターを拭きながら、レオの横顔を見た。言いたいことが、まだある顔だった。どこまで言っていいかを測っている。慎重にならざるを得ない経験が、積み重なっているのかもしれない。


幸子は何も聞かなかった。レオが自分のペースで話すのを、待った。


「においがするって、言われたことがあって」とレオは言った。静かな声だった。「職場の人に。休憩室に入ったとき、隣に座っていた人が、少し席を離した。悪気はなかったと思うんですけど」


「獣人族だから、においがするのは本当のことなんですけど。でも、それを言われると、どこにいればいいかわからなくなって」


「どこにいればいいかわからなくなる」と幸子は繰り返した。「はい。休憩室にいていいのかどうかも、わからなくなって。だから最近は、外で食べています」


「そうだわなあ。一緒に働いとるのに、それは悲しいわね」「悲しいですね」とレオは言った。幸子の言葉を確認するように言った。自分の感情に、名前をつけてもらったような言い方だった。


「慣れてくれる人が増えるといいけどね。まあ、怖いもんを遠ざけたくなるのは、人間の性かもしれんけどね。だからって、あんたが外で食べなきゃいけない理由にはならんのだけど」


「あんたは、その人たちに、どうしてほしいの?」


レオは少し間を置いた。バタートーストを一口食べた。コーヒーを飲んだ。それから答えた。


「慣れてほしい、というより、席を離す前に、一回でいいから、私の顔を見てほしかった。においの前に、顔があるので。顔を見てから、それでも嫌なら、しょうがないと思うんですけど。顔を見る前に、においだけで離れたから」


「そうだわね。順番が、逆だったんだわ」「そうなんです。順番が、逆だった」


その言い方が、少し軽くなった気がした。自分の感じていたことに、言葉が見つかったときの、軽くなり方だった。


十時半を過ぎた頃、レオが立った。モーニングはきれいに食べ終えていた。財布を出した。「また来ます」と言った。「待っとるよ。明日の小鉢、また聞いてちょ」「聞きます。絶対聞きます」


引き戸を開けた。春の空気が入ってきた。工場の方向へ歩いていった。


声に出さずに思った。


——顔を見てほしかった、って言ってた。顔を見る前に離れた、って。


——幸雄さん、あんたは初めて会う人の顔を、ちゃんと見る人だったね。最初に来た客の名前を必ず聞いて、顔を見て。どっちにしろ、顔は見とったわ。


朝が、静かに続いていた。


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