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モーニングルーティーン  作者: 鍵しっぽハンター
第一章「開店前」 〔早春〕

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第七話「どこに座ればいいか」



八時二十分、引き戸が開いた。


最初に入ってきたのは、大きな手だった。引き戸の取っ手を掴んだ手が、取っ手ごと消えるくらい大きかった。次に肩が見えた。引き戸の枠いっぱいに広がる肩幅だった。頭を少し下げて、体を斜めにして、ようやく体全体が入ってきた。


青年だった。二十代前半だろうか。顔は若い。でも体が大きすぎて、若さより先に大きさが目に入る。身長は二メートルを超えているかもしれない。巨人族だと幸子は思った。


青年は入ってきてから、動かなかった。入り口のすぐ内側に立ったまま、店の中を見渡していた。どこに座ればいいか、という目だった。許可を求めているというより、座れる場所があるかどうかを確かめている目だった。他の客が少し背筋を伸ばした。体が勝手にそうした、という動き方だった。


「いらっしゃい」と幸子は言った。青年が「……入っていいですか」と言った。すでに入っているのに、そう聞いた。


「どうぞ。そこに座ってちょ」と幸子はテーブル席の一つを示した。一番広いテーブル。四人掛けで、他の客がいない席。


青年が頭を下げた。体を縮めるようにして、テーブル席に向かった。椅子を引いた。座った。膝がテーブルの下に入りきらなかったが、なんとか収まった。体を小さく丸めるようにして座った。大きいのに、小さくなろうとしている座り方だった。


幸子はコーヒーを持っていった。テーブルに置いた。青年が両手でカップを持った。カップが消えた。両手の中に、カップが完全に収まって見えなくなった。「モーニングは?」と幸子は聞いた。


「あの、量が、普通の人と同じでも、大丈夫ですか」


幸子は少し考えた。「食べたりないかもしれんけど、それでいいなら。足りんかったら言ってちょ。トーストはおかわりできるから」


青年が「ありがとうございます」と言った。肩の力が少し抜けた。


モーニングを並べた。青年の前に置くと、大きなテーブルの上でも少し寂しく見えた。フォークを持った手が、フォークを消した。ゆっくり食べた。体を縮めたまま食べていた。


九時を過ぎた頃、青年がトーストを食べ終えた。「おかわり、どう?」と幸子は声をかけた。「いいんですか」と言った。「言ったじゃないの。小倉と、バター、どっちがいい?」


「……小倉を」と青年は言った。少し迷ってから言った。迷う必要のないことなのに、迷っていた。


しばらくして、幸子はテーブルに近づいた。「名古屋は初めて?」と幸子は聞いた。


「いいえ。一年になります。仕事で来て」「仕事は何してるの?」


「会社に、ダイバーシティ推進部というのがあって。そこに配属されました」


「ダイバーシティ。いろんな人が働きやすいように、っていうやつ?」「そうです」


十時近くになって、青年が「あの」と声をかけてきた。「もう一ついいですか。コーヒーを」


「どうぞ」と幸子は言った。注ぎながら「何かあった?」と聞いた。「なんで、わかるんですか」と青年は聞いた。「顔に出とるから。食べ方にも」


青年が自分の皿を見た。小鉢が一つ、手をつけていなかった。ほうれん草のおひたしだった。「会議で、端に座らされるんです。いつも。会議室に入ると、みんなが少し緊張して、端の席を示されて。真ん中には、座れなくて」


「ダイバーシティ推進部にいるのに」と幸子は言った。「そうなんです。推進している部署の人間が、端に座らされる。それが、なんか、変な感じで」


「そうだわなあ。端に座らされるのは、居心地悪いわよね」


「言葉だけで、実際は、私みたいな体格の人間をどこに置いていいかわからなくて。それで端に座らせて、それでダイバーシティができているつもりになっている」


「来てはいるけど、真ん中には置けない」と幸子は言った。「そうです。呼んだくせに」


その言葉が、少し強かった。「謝らんでいいよ。そう思っとるんだから」


「まあ、真ん中に座ってほしいのに座らせられない人は、自分が真ん中に何を置いていいかわからんのかもしれんけどね。多様性って言いながら、実際に多様なものが目の前に来ると、どう扱えばいいかわからなくなる。言葉を使いこなすのと、現実を扱うのは、違うから」


「あんたは、どこに座りたいの?」


青年が少し驚いた顔をした。「真ん中に、座りたいです」と言った。すぐ言えた。迷わなかった。


「そう。それがわかっとるなら、いいわ」


「でも、座れないんです」


「今はね。でも、座りたいってわかっとるのと、わからんのは違うわ。今日、私に言えたじゃないの。真ん中に座りたい、って」


青年は何も言わなかった。でも、背中が少しだけ伸びた。丸めていた背中が、ほんの少し、起きた。


十時半を過ぎた頃、青年が立った。財布を出した。引き戸に向かった。体を斜めにして、頭を下げて、外に出た。出る前に振り返った。


「また来ていいですか」「どうぞ。来たら、好きな席に座ってちょ。どこでもええから」


青年が少し止まった。「どこでも、ですか」「どこでもええよ。ここでは、端も真ん中も、決めとらんから」


青年が一度だけうなずいた。引き戸を閉めた。


声に出さずに思った。


——どこに座ればいいかわからない子が来た。幸雄さん、私はここに座っていい、ってどこで覚えたんだろうね。


——たぶん、あんたがいたから覚えたんだわ。あんたが「幸子はここにいればいい」って、言葉じゃなくても、ずっとそう言っとったから。


棚の写真を見た。止まった時計が、静かにそこにあった。


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