第十三話「外してみせて、と言われた」
晴れていた。
春の晴れた朝は、光が柔らかい。冬の光とは違う。刺さるような鋭さがなくて、店の中にゆっくり入ってくる。幸子は開店前に窓を少し開けた。今日は少し長く開けておいた。
マリナが来たのは、八時を過ぎた頃だった。引き戸が開いて、装具の音がした。金属とプラスチックが床に触れる、少し硬い音。幸子はその音で、誰が来たかわかった。三度目の来店だった。
今日のマリナは、引き戸を閉めてから装具のベルトを確認しなかった。いつもは閉めてすぐ確認する。今日はしなかった。そのままカウンターに近づいてきた。幸子はそれを見て、何も言わなかった。
「いらっしゃい」と言った。「おはようございます」とマリナは言った。少し明るい声だった。
いつもの席に座った。「晴れましたね」「そうだわ。雨の日より来やすかった?」「石畳が乾いていて、今日は一度も滑りませんでした」「よかったわ」
「職場のこと、少し、話してもいいですか」「どうぞ」「前回、外してみせてって言われた話をしたと思うんですけど」「覚えとるよ」「あれから、また言われて。別の人です。今度は『どうやって歩いているのか見せてほしい』って言ってきて」
「どうやって歩いているのか、って」「装具をつけたまま歩くのが、どういう仕組みなのか知りたいって。純粋な好奇心だと思います。悪気は、本当になかったと思う。でも」「でも」と幸子は繰り返した。
「私が見せ物じゃない、って思って。装具は私の体の一部で、仕組みを知りたいなら図鑑でも見ればいい、って思って」「そうだわね。図鑑で見ればいい」
「断りました」とマリナは言った。幸子は少し驚いた。前回は断れなかった、と言っていた。今回は断った。
「断れたの」「はい。前回、幸子さんに『次に言われたときのことを考えておけばいい』って言ってもらったので。あんたはその人にどうしてほしいか、って」
「どう言ったの?」「『私の装具について知りたいなら、私が話したいときに話します。今は話したくないので』って言いました。そのまま、言いました」「そのまま言えたんだわ」「緊張しました。声が少し震えたと思います。でも、言えました」
「よかったわ。言えてよかった」「よかったのかどうか、わからなくて。その人がその後、少し気まずそうにしていて。私のせいで気まずくさせてしまったのかな、と思って」「気まずくなったのは、あんたのせいじゃないわよ。断られたことに慣れていない、その人の側の問題だわ」
「そうですよね。でも、毎日同じ職場にいるから。気まずいまま、一緒にいないといけない」「そうだわね。それは、しんどいわ」
「幸子さん、私、なんで断れなかったんだろう、って思っていたんです。前回は。職場の人だから、とかそういう理由もあるんですけど。それだけじゃなくて、なんか、見せてあげるべきだと思っていた部分があって」「見せてあげるべき、って」
「珍しいものを持っているから。珍しいものを持っている人間は、見たい人に見せるべきだ、みたいな。そういう感覚が、どこかにあって」「誰かに、そう言われたの?」
「言われたというより、そういう空気があった、という感じで。学校のとき、装具を見たがる子がいて、見せてあげると『ありがとう』って言われて。見せてあげると、喜ばれる、っていう経験が積み重なって」
「そうだわなあ。喜ばれると、見せることが正しいと思うようになるわね。でも、本当は見せたくなかったかもしれない。喜んでもらえるから、見せていただけかもしれない。どちらであれ、見せたくないと思ったときに断れるのが、大事だわ」
「そうですね」と言った。今度は、確認するような言い方じゃなかった。自分の中で何かが決まった、という言い方だった。
「そうだわなあ。断れてよかったわ。これからも断れるといいけどね。まあ、断るたびに気まずくなるのは、続くかもしれんけどね。気まずさに慣れていく、ということになるかもしれん」「気まずさに慣れる。それは、できる気がします」「断った後の気まずさより、断れなかった後の気持ちの方が、あんたには重たいから」「そうなんです。断れなかった後の方が、ずっと重たかった」
「あんたは、その人に、これからどうしてほしいの?」「普通に話しかけてほしい。装具のことじゃない話で。仕事の話とか、天気の話とか。そういう普通の話で、話しかけてほしい」
「装具が見えない感じで、ってこと?」「見えなくていいとは思っていない。見えていい。あるから。でも、それが最初じゃなくていい。最初は、普通の人として見てほしい。装具は後からでいい」「順番の話だわね」「そうです。順番が、いつも逆で」
幸子はその言葉を聞いて、昨日のレオを思い出した。「顔を見る前に、においだけで離れた」とレオが言っていた。二人とも、順番の話をしていた。言い方は違う。でも、同じことを言っていた。
九時を過ぎた頃、マリナが立った。コートを着た。装具のベルトを確認した。今日は一度だけ確認した。「ごちそうさまでした」「また来てちょ。晴れた日に来ると、石畳が滑らんからね」マリナが「そうですね」と言って、少し笑った。苦くない笑い方だった。
引き戸を開けた。晴れた春の光が入ってきた。マリナが出ていった。装具の音が、遠ざかっていった。
声に出さずに思った。
——順番が逆、って二人が言った。マリナさんも、レオも。言い方は違うけど、同じことを言っとった。
——幸雄さん、あんたは誰かを見るとき、どの順番で見とったんだろうね。「お、来たか」って顔をしたって。あの顔は、どっちで見とった顔だったんかな。
春の光が、窓から静かに差し込んでいた。




