第十二話「においがするって言われた」
レオが二度目に来たのは、翌朝だった。
七時十分。バートが来て、コーヒーを飲んでいる時間に、引き戸が開いた。昨日より少し早い時間だった。昨日は九時過ぎに来た。今日は迷わずに来た、ということだろうと幸子は思った。
レオは引き戸を開けて、店の中を確認した。他の客が自分を見ていないかどうかを、素早く見渡す。それからカウンターに近づいてきた。
昨日と違うのは、席の選び方だった。昨日は出口に近い端の席に座った。今日は一席だけ内側に座った。ほんの一席分だけ、内側に来た。幸子はそれを見て、何も言わなかった。
「いらっしゃい」と言った。「おはようございます」とレオは言った。昨日より少し、声が大きかった。
コーヒーを出した。「昨日の小鉢、全部食べました」とレオは言った。報告するような言い方だった。「そうだったね。今日の小鉢、聞く?」「はい」と言った。昨日と同じ答えだったが、今日は少し迷いがなかった。
「ほうれん草のおひたしと、南瓜の煮付けと、切り干し大根だわ」「切り干し大根、初めてです」「細く切った大根を干したやつだわ。甘くて、少し歯ごたえがある」「食べてみます」と言った。昨日の白和えと同じ言い方だった。
モーニングを並べた。レオは切り干し大根から手をつけた。一口食べた。「歯ごたえがある。甘い。こういう食べ物があるんですね」「日本の保存食だわ。乾かすことで、甘みが出る」「乾かすことで甘みが出る」と繰り返した。「向こうにはない考え方だ」「日本では、乾かしたり、漬けたり、発酵させたり。変えることで、別のものになる」レオがうなずいた。「変わった方が、おいしいこともある」
「工場で働いています」とレオが言った。「今日も工場?」「はい。八時から」「早いね」「慣れました。仕事は、好きです」
「休憩室のこと」と幸子は言った。レオが少し止まった。「昨日、外で食べてるって言ってたわね。今日も?」「今日も、そうなると思います」
「においがするって言われたのは、一回じゃないんです」とレオは言った。「最初に言われたのは、来て一週間目でした。休憩室に入ったとき、隣に座っていた人が、少し席を離した。それだけでした。何も言わなかった。でも、離れた」
「わかったんだわね。言葉がなくても」「わかりました。わかってしまった」
「その後も続いたの?」「続きました。毎回というわけじゃないですけど、何人かが、私が入ると少し動く。椅子を引く人もいる。窓を開けに行く人もいる。悪気はないんだと思います。無意識に、体が動いてしまう、そういう感じで」
「でも、あんたには見えとるわね」「見えています。全部、見えています。見えてしまう」
「そうだわなあ。一緒に働いとるのに、それは悲しいわね」「悲しいです」と言った。幸子の言葉を確認するように言った。
「慣れてくれる人が増えるといいけどね。まあ、怖いもんを遠ざけたくなるのは、人間の性かもしれんけどね」
「あんたは、その人たちに、どうしてほしいの?」
レオは少し間を置いた。ひじきを食べた。バタートーストを一口食べた。コーヒーを飲んだ。それから答えた。「慣れてほしい、というより。席を離す前に、一回でいいから、私の顔を見てほしかった。においの前に、顔があるので。顔を見てから、それでも嫌なら、しょうがないと思うんですけど。顔を見る前に、においだけで離れたから」
「そうだわね。順番が、逆だったんだわ」「そうなんです。順番が、逆だった」
「あんたは、その人たちにどうしてほしかった、はわかった。じゃあ、これからどうしたいの?」
「……わからないです」とレオは言った。「でも、明日も来ます。小鉢、聞きに」
幸子は少し笑った。「そうしてちょ。明日の朝、決めるから」
九時を過ぎた頃、レオが立った。モーニングはきれいに食べ終えていた。「また来ます」と言った。振り返って言った。「待っとるよ」と幸子は言った。
バートがおかわりを頼んだ。「獣人族の青年。また来たな」「そうだわ」「外で飯を食っているのを見かけた。休憩室に入れないのか、と思っていた」
幸子は何も言わなかった。バートも何も言わなかった。春の光が窓から入ってきた。
声に出さずに思った。
——一回だけ考えてほしい、って言ってた。それだけって言ってたけど、それだけのことが、どれだけ難しいか。
——幸雄さん、あんたは初めて会う人に、一回考えてたかな。バートさんが来たとき、「お、来たか」って顔をしたって。あの顔は、考えた後の顔だったのかもしれんね。
春の朝が、明るく続いていた。




