第三十一話 乾くまで
家計簿は、四月から始まっていた。
左のページに費目と金額、右のページに罫線だけの余白がある。母親は、その余白を日記に使っていた。毎日ではない。何も書かない日は空白のままで、書いた日だけ、日付の横に一行か二行がある。
四月から六月までは、金額だけが並んでいた。米、味噌、灯油、子どもの靴。靴のところに、小さく「二人ぶん」と書いてある。
深津はページを繰った。
事故の日には、何も書いていない。費目の欄も空白である。その日、この人は買い物をしていない。
翌日から、字が始まる。
通夜のこと。弔問に来た人の名前。役所へ行ったこと。生協の解約。学校から荷物を受け取ったこと。字は細かく、感情を書いていない。誰が来て、何をして、いくらかかったか。それだけが並んでいる。
深津は指で日付を追った。
三日後に、その言葉があった。
管理人さんが来た。お茶を出した。
五日後。管理人さんが来た。
八日後。管理人さん。玄関で。
十日後。管理人さんが来た。お茶を出した。
二週間後。管理人さん。葬儀を手伝っていただいたお礼を言った。
三週間後。管理人さんが来た。
四十九日の前後。管理人さんが来た。お茶を出した。
深津は数えた。七回だった。
桑名千尋の一覧表と、同じ数である。あの人も同じ字を追って、同じところで指を止めたことになる。
そのあと、この言葉は出てこない。翌月からのページには、費目と金額しかない。
深津は日付をメモに書き出した。書き出して、曜日を調べた。当時のカレンダーは、社内システムで遡れる。
七つのうち、五つが同じ曜日だった。
残りは、四十九日の前後と、通夜の翌々日である。日取りの決まっているものだから、そこだけ外れる。
深津は手帳を開き、後ろのページから二つに折った紙を出した。
退去同意書の署名の日付。一階から五階へ、廊下に沿って上がっていく線。日付を曜日に直すと、こちらも六割が同じ曜日である。同じ曜日ではない分は、その週の別の日に集まっている。
週に一度、決まった曜日に、順番に回る。
二十年前も、いまも、同じやり方だった。
深津はメモを机に置いた。
置いてから、日付をもう一度、上から順に読んだ。読み直しても、並びは変わらなかった。
この人は、二十年前も回っていた。困っている家を、順番に。子どもを亡くした家も、その順番の中に入っていた。七回来て、茶を飲んで、それから来なくなった。
来なくなったのが、四十九日のあとである。
回り終えたのだ、と深津は思った。
そう思ってから、別の読み方もできることに気づいた。
母親が何も言わないと確かめ終えたのだ、とも読める。
どちらとも決められない。決める材料は、この家計簿にはない。この人は最後まで、管理人さんが来た、としか書かなかった。何を話したかは、一度も書いていない。
もう一つ、書いてある箇所があった。
四十九日の少し前のページである。
その日の余白に、費目とは関係のない字が一行だけあった。
「亮の運動靴、まだ玄関にある」
深津はその行のところで止まった。
名前が、書いてあった。
二十年ぶりに、その字を見た。学校で毎日見ていた字である。名簿の並びが近かったので、テストを返されるときはいつも前後になった。
深津はその字を読んだ。
読んだが、口の中でも言わなかった。二十年、一度も言っていない。言い方を忘れたわけではない。忘れていないから、言わなかった。
次のページへ行く前に、深津はその一行をもう一度読んだ。
運動靴の話は、そこにしか出てこない。次のページからは、また費目と金額だけになる。米、味噌、灯油。子どもの靴は、もう「二人ぶん」ではなくなっていた。
深津は家計簿を閉じ、机の上のものを並べ直した。
左から、停電の記録の印刷。鍵の目録の複写。署名順の紙。母親の家計簿。自分が撮った手すりの写真。
順番に見ていって、最後の写真のところへ来た。
補修されたあとの写真である。白いモルタルが、支柱の根元を埋めている。
直っている。
直っているということは、直した人がいるということである。直した人は、そこが悪いと知っていたということである。知っていて、何年も直さず、あの日の夜に直した。
あの日の夜。
深津は停電の記録を引き寄せた。
21時20分、開放。22時2分、投入。そのあいだの42分。堀内と篠田が聞いた扉の音は、21時47分と22時20分ごろ。棟の外にいたのは、およそ33分。
モルタルは、練って、詰めて、均す。深津は工事の立ち会いで何度も見ている。あの量なら、詰めるだけなら十分もかからない。均して、周りを拭いて、道具を片づけて、それでも三十分あれば足りる。
足りるが、乾かない。
あのとき自分は、そう考えた。均したときは柔らかかったはずで、その時間、誰かがあそこにしゃがんでいた、と。三か月前に一度そこまで行って、書かない欄のほうへ入れた。
深津は椅子に座ったまま、目を閉じた。
真っ暗な外廊下で、懐中電灯も点けずに、腰の高さの小さな明かりだけで、しゃがんでいる人がいる。手すりの支柱の根元に、モルタルを詰めている。
その廊下に、桑名千尋が来る。
深津は目を開けた。
開けて、しばらく天井を見た。端の蛍光灯が、まだ点滅している。
あの人は、あそこで何をしていたのか。
直していた。証拠を消していた。どちらも同じ動作である。同じ動作を、二十年前に報告しなかった箇所に対して、二十年たってからしていた。
そして、千尋が来た。
そこから先は、書けない。誰も見ていない。彼女がどう落ちたのか、彼が何をしたのか、しなかったのか。声をかけたのか、かけなかったのか。
分かるのは、彼が現場にいたということだけである。
それも、証明できない。
深津は、証明できるものを数え上げた。
停電が人為だったこと。これは記録がある。ただし操作した人物は残らない。
鍵が一本、書類上だけ存在すること。これは目録がある。ただし、それが誰の手にあるかを示すものはない。
手すりが補修されたこと。これは写真がある。ただし補修後のものである。補修前の状態を撮った写真は、桑名千尋の携帯にあった。
深津は従姉に電話をかけた。
携帯は解約して、本体は処分したと言われた。中身は見ていない。開けなかったから、と。
二十年前の点検記録は処分された。当時の管理会社の資料は引き継がれていない。管理室は空である。
佐久間が全戸を回っていたことは、署名の日付から分かる。分かるが、それは親切の記録である。
母親の家計簿には、管理人さんが来た、としか書いていない。
深津は紙を一枚ずつ裏返していった。
全部裏返してから、机の上を見た。
白い紙が並んでいる。どれ一つとして、あの人を指していない。指す形にするには、何もかもが足りない。足りないまま、頭のなかでだけ、線がつながっている。
立証は、できない。
できないと、はっきり分かった。
深津はしばらく、そのまま座っていた。
それから、机の引き出しを開けた。中止の通知が入っている。その下に、便箋が入っている。権限外の照会について書け、と言われて、まだ書いていないものである。
便箋を出した。
いちばん上に、日付を書いた。それから、宛先の欄で、ペンを持った手が下りた。
深津は窓の外を見た。
七号棟が立っている。窓の明かりは、また減っていた。あと二か月で、この建物はなくなる。なくなれば、手すりも、階段室も、非常灯も、全部なくなる。
なくなる前に、記録に残せるものが一つだけある。
建物のほうである。




