↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第七号棟の夜  作者: 卓哉
第三章 順番

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/36

第二十四話 何も見なかった

 堀内は、集会所が開くと同時に来た。


 9時ちょうどである。深津がストーブに火を入れているところだった。


「これを」


 封筒だった。中身は、先日渡した控えと、それに書き足した紙が数枚。堀内は椅子に座らず、立ったまま説明した。説明の順番は整理されていて、時刻から入り、次に仕組みへ移った。


 窓ガラスに映ること。床の非常灯が作る影。上下の分からない階段の音。同じ形のジャンパー。止まった時計。


 深津は書き取りながら、一つずつ確かめた。どれも、確かめれば分かることだった。確かめれば分かることを、二か月のあいだ、誰も確かめなかった。


「では、皆さんが見たのは」


「お互いです」堀内は言った。「それと、ご自分です」


 深津はペンを置いた。


 置いてから、しばらく紙を見ていた。腹の底のほうが、少し冷えた。


 この二か月、自分は聞いて回っていた。聞くたびに、証言は増えて、食い違って、確定しなかった。確定しないから聞き続けた。聞き続けたことで、住民は互いを疑い始めた。


 確かめれば分かることを、確かめずに、聞いていた。


「もう一つ、あります」堀内が言った。


「はい」


「9時47分に、棟の入り口の扉が鳴りました。10時20分にも鳴りました。そのあいだ、下を明かりが動きました。あれは、映り込みでも影でもありません」


「……はい」


「誰かが、外にいたということになります」


 深津は封筒の中身をそろえた。


「そのことは、どなたかにお話しになりましたか」


「いいえ」堀内は言った。「見間違いのほうは、いろいろな方に聞かれましたので、順番にお答えしました。こちらは、まだどなたにも」


「……ありがとうございます」


「どうすればよろしいでしょうか」


 深津は答えるのに時間がかかった。


「こちらで確認します。一階の方から、順に」




 午前中に、三戸を回った。


 高齢の夫婦は、9時前には床に就いたと言った。二人とも耳が遠く、扉の音は聞いていない。単身の男性は、テレビが消えたので寝たと言った。子どものいる家では、停電のあいだ子どもが泣いていて、それどころではなかったと言われた。


 どの家でも、深津は同じ聞き方をした。


 あの晩、棟の外へ出られたことはありましたか。玄関の外へ、少しでも。


 三戸とも、出ていないと答えた。


 残るのは、一戸だった。




 佐久間の部屋は、こたつが出ていた。


 湯呑みが二つ、天板の上に置いてある。呼び鈴を押す前にドアが開いたのは、二か月あまり前に千尋が来たときと同じだった。


「悠一くん、寒かったろう」


「お忙しいところ、申し訳ありません」


「忙しくないよ。座りなさい」


 座布団が出ていた。深津は座り、鞄から手帳を出した。出したところで、茶が置かれた。


「あんた、痩せたね」


「そうでしょうか」


「痩せたよ。ちゃんと食べてるかい。あの人が亡くなってから、ずっと走り回ってるだろう。会社もひどいね、あんた一人にやらせて」


「仕事ですので」


「仕事だからって、限度があるよ」


 深津は手帳を開いた。


「あの晩のことを、一階の方に順番にうかがっています」


「聞いてるよ。上から順に回ってるんだってね」


「はい」


「私にも聞くのかい」


「はい」


 佐久間は湯呑みを両手で包んだ。


「聞きなさい」


「9時47分ごろに、棟の入り口の扉が開いた音を、二人の方が別々に聞いておられます。10時20分ごろにも、もう一度」


「そうかい」


「あの扉は、二度鳴ります。バネが強いので」


「鳴るね。昔から鳴る。直せと言われて、業者を呼んだこともあるよ。直らなかった」


「その時間に、外へ出られましたか」


 佐久間は湯呑みを置いた。


 置く音がした。それだけの音である。


「出ないよ」


「……そうですか」


「9時には寝てた。歳を取ると早いんだ。電気が消えたのは知ってる。目が覚めたから。でも、起きなかった。真っ暗ななかを起きたって、転ぶだけだからね」


「10時20分ごろは」


「寝てた」


 深津は手帳に書いた。書きながら、次の質問を探した。


 探している時間が、少し長くなった。


「悠一くん」


「はい」


「私は、何も見なかったよ」


 顔を上げた。


 佐久間は、こちらを見ていた。責めてもいないし、怒ってもいない。困った顔でもない。ただ、言い終わった人の顔をしていた。


「あの晩、何が起きたのか、私は知らない。知らないことは、何も言えない。あんたの仕事の邪魔をする気はないよ。聞かれたら答える。答えられることは、それだけだ」


 深津は口を開いた。


 開いて、何かを言おうとした。


 言おうとしたものが、あった。全戸の署名が日付順に並んでいて、その順番があなたの歩いた経路になっていること。その経路を作った人は、どの家に誰がいて、誰が何時に寝るかを知っていること。あの晩、外へ出た人がいて、その人は一階から出たとしか考えられないこと。


 それを言うと、この人を疑うことになる。


 疑う根拠は、順番だけである。順番は、親切の順番でもある。


 息を吸って、そこで止まった。


 二十年前も、同じ椅子ではないところで、同じ人の顔を見て、同じように止まった。あのとき言おうとしたことは、結局言わないまま二十年たった。


「……そうですか」


 喉から出たのは、それだけだった。


「そうだよ」


 佐久間は湯呑みを持ち上げ、一口飲んだ。


「あんた、あの晩は家にいたのかい」


「はい。部屋におりました」


「何か見たかい」


「……いえ。何も見ていません」


「そうだろう。みんなそうだよ」


 佐久間は笑った。


「みんな、家にいて、何も見ていない。それでいいんだ。無理に何か見たことにすると、あとで困るのは自分だからね」




 帰り道は、風が強かった。


 並木の葉はもう落ちきっていて、路面に貼りついている。深津は集会所まで歩いて、鍵を開け、机に座った。


 一覧表を出した。


 一階の四戸の欄に、順に印をつけた。確認済み。確認済み。確認済み。


 最後の一戸のところで、ペンの先が欄の上で浮いた。


 それから、書いた。確認済み。


 書いた瞬間に、肩の力が抜けた。


 抜けたことに、深津は少し驚いた。この二か月、ずっと肩に力が入っていた。証言が揃わないこと、時刻が決まらないこと、誰かが外にいたのに誰も出ていないこと。全部が宙に浮いたままで、その浮いたものを毎日見ていた。


 いま、一つ決まった。


 一階からは誰も出ていない。四戸とも確認した。全戸が「出ていない」と答えた。答えが揃った。


 揃ったのだから、扉の音は、別の説明がつくということになる。風かもしれない。誰かが上の階から下りてきて、外へ出て、また戻ったのかもしれない。篠田が気づかなかった可能性もある。あるいは、二人が聞いた音が同じ音ではなかったのかもしれない。


 いくらでも説明はつく。


 つくということは、確定しないということでもある。それは分かっていた。分かっていたが、今日はもう考えなかった。


 深津は一覧表を伏せた。


 手帳を開き、後ろのページを確かめた。二つに折った紙が、そこにある。


 広げなかった。


 外はもう暗くなっていた。深津は明かりを消し、鍵をかけ、自分の棟へ歩いた。歩きながら、久しぶりに、腹が減っていることに気づいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。