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三十一センチの向こう側  作者: 春凪とおる


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第三話 風待ち灯台

 灯台までの道は、一本だった。

キツネは迷うと言っていた。

だが、道はまっすぐ灯台へ続いていた。


足もとの石畳には、ところどころに黒い糸くずが落ちていた。

中は、らせん階段になっている。

見上げても、てっぺんは見えない。


「……高くない?」

「高い」

「簡単に言わないでよ」


 航太は階段に足をかけた。


 一段、二段、三段。百を過ぎたころには、足が棒みたいになった。

ソラは、風がないせいで、少し飛んでは階段に降り、また少し飛んだ。


「飛べてるじゃん」

「飛んでるんじゃない。落ちないようにしてるだけ」

「それ、同じじゃない?」

「ちがう!」


 途中の窓から、町が見えた。

名前市場の屋根や橋、川。

どれも小さく、止まった絵のようだった。


 最後の段を登りきると、風のない空が、ぱっと開けた。

丸い床に、手すりがめぐっている。

真ん中に大きな鐘。その下から、太い縄が一本、床まで垂れていた。


 鐘は、黒いものに抱えられていた。

何千本もの糸が、毛玉のように鐘をくるんでいる。

糸のところどころに、言葉が浮かんでは沈んだ。


『まって』『いかないで』『ごめんね』


縄にも、手すりにも、床にも、黒い糸が這っている。


 静かだった。

眠っているみたいだ、と航太は思った。


「市場のと、同じだ」

「……うん。でも、ずっと多い」


 ソラの声は小さかった。


「やれる?」

「やってみる」


 毛玉のふちから飛び出している糸の先をつまんで、そっとゆるめる。


 するり。


『さよなら』が外れた。

ソラのかばんの封筒に入れる。


 するり。


『まって』を入れる。


「いける!」


 三つ目、四つ目。

 けれど、外したそばから、毛玉の奥で新しい糸が伸びはじめた。

外した数より、ずっと多く。


「ソラ、増えてる!」

「手を止めるな!」

「止めなくても増えてる!」


 毛玉が、ぶるりと震えた。

何千本もの糸が、いっせいに航太のほうを向いた。


 次の瞬間、黒い糸が殺到した。

足首に巻きつく。腕に巻きつく。髪にからみつく。

市場のときとは、くらべものにならない力だった。


「うわあ!」


 ぐいっと引かれて、航太は床に倒れた。

かばんから、封筒が散らばる。


「航太!」


 ソラが飛びこんできて、髪にからんだ糸をくちばしでつついた。

糸は離れず、今度はソラの翼に巻きついた。


「あっ」


 ソラが引きずられる。切手の翼が、ばたばたと鳴った。


「ソラ!」

「だ、大丈夫! それより早く! 早くしろ!」

「やってるよ!」

「全然やってない!」

「やってるってば!」


 言い合っている間にも、糸はじりじりと二人を引きずっていく。

鐘のほうへ、毛玉のほうへ。じりじりと。


 そのとき、航太は気づいた。

ソラの翼に巻きついた黒い糸が、すがりついているように見えたのだ。


 市場でも、そうだった。

 宛先のない言葉は、近くにいる誰かにくっつく。


「ソラ、こいつら、ぼくらを追ってくる」

「は? 今ごろ?」

「ぼくが走る。糸を、鐘から引きはがす」

「走るって、どこを」

「そこの手すりに沿って、ぐるっと」


 ソラはぽかんとして、それから、にやりとした。


「……縄だ」

「うん。糸が鐘から離れたら、あの縄が引ける」

「ぼくが、縄の根もとと鐘のまわりの糸を払う。航太は縄を引っぱれ」

「ソラ、取る係じゃないって言ってたのに」

「今日だけ!」


 それが、作戦だった。


 航太は、まずソラの翼の糸の端を探した。

毛先に近いほうから、一本ずつ。

手は少し震えていたけれど、結び目の向きはちゃんとわかった。


 するり、するり。


 最後の一本が外れると、ソラは、ぶるっと身をふるわせた。


「……ありがと」

「あとで」


 航太は、髪からリボンをほどいた。

もう一度、高く、きつく結び直す。

糸にからまれないように。リボンの端が、ぴんと立った。


 息を吸う。


「行くよ!」


 航太は走りだした。

手すりに沿って、ぐるり、ぐるり。


 黒い糸が、毛玉から次々と伸びて、航太を追ってきた。

鐘のまわりの糸が、ずるずるとほどけて、少しずつ、毛玉は小さくなっていく。


 足がもつれた。肺が痛い。

後ろから、すぐ近くで、しゅるしゅると音がする。


 髪の先に、糸が触れた。

航太は、ぎゅっと目をつぶり、それでも走った。


「ソラ! まだ!?」

「もうちょっと!」


 ソラは、鐘のまわりに残った糸を、くちばしと翼で払いのけていた。

縄の根もとにがんじがらめに巻きついた糸も、一本ずつ、はじき飛ばす。


 鐘をくるんでいた糸が、すっかり外れた。

銀色の鐘が、むき出しになった。


「今だ!」


 航太は、走る向きをぐいっと変えた。縄に向かって一直線。

飛びつく。

縄は、重かった。


 ぶらさがっても、びくともしない。

後ろから、黒い糸が迫ってくる。足首に、ひやりと触れた。


「航太!」

「まだ!」


 航太は、縄をにぎりしめたまま、足を床から浮かせた。体重を全部かける。


 縄が、きしんだ。

鐘が、ゆっくり傾いた。

糸が、足首に巻きついた。


 ごおおおおおん。


 音が、体の中まで響いた。


 最初に、髪が動いた。

高く結んだ髪とリボンが、ふわりと浮いた。


 それから、手すりの上を、風が通った。


 風は、まず、追いかけてきた糸に届いた。

足首に巻きついていた糸が、ふっとゆるみ、ぱらぱらとほどけた。

毛玉に残っていた糸も、床を這っていた糸も、風に吹かれて、次々とほどけていく。


 糸は、一本一本が文字になった。


『ごめんね』『ありがとう』『またね』『だいすき』『あした』


 文字は金色に光って、風に乗り、空へ舞い上がっていった。

町じゅうへ。港へ。遠い海のほうへ。


 空に止まっていた紙飛行機が、一機、また一機と動きだした。


 運河の紙舟が、すべるように流れはじめた。

 航太は縄から手を離して、尻もちをついた。


「……飛んでる」


 ソラが、かすれた声で言った。


 ソラの翼が、大きく開いた。

 風を受けて、ぐん、と浮かび上がる。

ソラは、航太の頭の上を一周して、それから、空高く、くるくると回った。


「飛べた! 飛べたよ、航太!」


 航太は笑った。笑いながら、床に大の字になった。

 ソラが降りてきて、航太の胸の上にちょこんと立った。


「……さっきは、ごめん。急かして」

「ぼくも。怒鳴った」

「うん」

「うん」


 それだけ言って、二人とも、黙った。

 

 かばんの中で、かさりと音がした。

ソラが口を開けると、あの手紙が、ひとりでに外へ出てきた。


『ごめんね。あした、ちゃんと』


 宛先は、読めないままだ。

ソラは手紙をくわえ、航太を見た。


「配達不可、のはずなんだけど」

「風に聞いたら?」


 ソラは少し考えて、それから、手すりのほうへ飛んで、手紙を風に乗せた。

手紙は、ひらひらと舞い上がった。

くるりと向きを変え、町を越え、海のほうへ、小さくなっていった。


 航太は、いつまでもそれを見ていた。


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