巫女の神社
喧騒を離れ、鬱蒼とした巨木に囲まれた山道を走ること数時間。
九条院玻璃の案内で無色たちが辿り着いたのは、地図に載っていない広大な敷地を持つ古社――『九条院本宮』だった。
鳥居をくぐった瞬間、空気が一変する。
肌を刺すような静寂。手入れの行き届いた漆黒の社殿。そこでは、何十人もの神職や巫女たちが、一糸乱れぬ所作で立ち働いていた。
「お帰りなさいませ、玻璃様」
老神職たちが、玻璃の姿を見るなり一斉に地へ平伏する。その光景は、現代日本とは思えないほどの絶対的な階級社会を思わせ、無色と零は思わず気圧された。
「ええ、皆ご苦労さまですわ。客人を地下へ案内しますので、結界の出力を第三段階まで下げておいてちょうだい」
完璧な、威厳に満ちた「名家の現人神」としての声音。
無色はごくりと唾を呑み、歩く玻璃の背中を見つめた。
(やっぱり、この人本物のヤバいお嬢様なんだ……昨日のドタバタが嘘みたいだ……)
無色と零が、九条院家の圧倒的なスケールと不気味さに息を呑んだ、その直後だった。
神社の最奥、頑強な電子ロックが施された神具保管庫の扉が開く。
そこは、伝統的な木造建築の皮を被った、超近代的な量子実験室だった。
「さあ!着きましたわ無色さん!こちらが我が九条院が誇る、歴史ある神具保管庫ですの!」
振り返った玻璃の目は、すでにギラギラとしたいつもの狂気の光を取り戻していた。
「さあさあ、見てくださいまし!こちらが『観測機三号』ですわ!」
玻璃が豪快にガラスケースの布を剥ぎ取る。そこにあったのは、真鍮製の不気味な歯車と最新の光ファイバーが複雑に絡み合った、巨大な直方体の機械だった。
「普通にあるんだ……」
無色がドン引きしながら呟く。
「ええ、普通にありますわ!ちなみに生身で触ると、周囲の存在確率がバグって、ご自身の肉体が細胞レベルで空間に霧散して死にますわ!」
「説明を先にしろ!!!」
無色の絶叫がハイテク保管庫に響き渡る。
「ちょっと待って、触ると死ぬって何!?なんでそんなものを普通に置いてるのよ!」
「大丈夫ですわ、今は絶縁フィールドを張っていますもの。それより見てください、あちらにあるのが――」
賑やかなやり取りの最中、倉田が昨夜の少女のポケットから出た「奇妙な金属片」を差し出した。
「九条院さん、お遊びはそこまでにして、これの照合を」
「おっと、そうですわね」
玻璃はいつもの調子でそれを受け取り、保管庫のメインフレームに解析データを読み込ませた。
――その瞬間。
ホログラムディスプレイに表示された物質特性のグラフを見て、玻璃の指先が、ぴたりと凍りついた。
「……ありえませんわ」
低く、掠れた声だった。玻璃の顔から、完全に血の気が引いていく。
倉田が怪訝そうに眉を動かす。「何がです?」
「この金属片……物質の結合規則が、九条院のどの歴史にも、どの技術体系にも存在しません。それどころか――」
玻璃は自分の震える両手を強く握りしめ、ディスプレイを見つめた。
「九条院が三百年かけても、絶対に製造できない領域の代物ですわ。昨日の少女は、一体これをどこで……」
世界で最も神具の技術に詳しい玻璃が、本気で青ざめ、怯えている。
保管庫の空気が、一瞬で底冷えするようなサスペンスへと逆戻りした。
「……九条院のデータベースから、この物質に極めて近い波形を出した『過去のログ』を一つだけ見つけましたわ」
玻璃は震える手でキーを叩く。
空間に浮かび上がったのは、大部分のデータがノイズで激しく欠損した、古びた巻物のスキャン記録だった。中身の図面や数式はすべて真っ黒に潰れており、何も読み取れない。
ただ――表紙のタイトルだけが、鮮明に残っていた。
『観測機 No.0』
「ナンバーゼロ……?」
無色がつぶやく。
「我が九条院の秘匿記録……。その、一番最初の実験機の存在を示すタイトルですわ。ですが、中身は完全に消去されています」
玻璃の言葉と共に、ディスプレイがスクロールし、その巻物の「閲覧履歴」が表示された。
そこには、歴代の白峰家の当主の名が並んでいた。
【閲覧記録】
白峰■■
白峰■■
白峰■■
そして最後――
白峰■■(三年前)
「……これ、おじいちゃんだ」
無色の声が震える。先代は三年前、確かにこの記録を閲覧していた。
そして、その画面の最下部に表示された、赤字のログ。
【最終閲覧者】
白峰■■
【状態】
消失
「消失……?データが消えたってこと?」
無色が問いかけると、玻璃は静かに首を振った。
「いいえ。閲覧した翌朝、このデータそのものが、世界線から『物理的に消滅した』という意味ですわ。お祖父様が消えたのと、全く同じ現象です」
誰もいない、何も読めない、真っ黒に塗りつぶされた『No.0』の記録。
先代は、この鍵を見つけ、そして扉の向こうへ消えた。
残された四人は、その真っ黒な画面を、言い知れぬ寒気と共にただ見つめることしかできなかった。




