第七章 ホログラムの墓標
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┌─ 【手記・DAY 14】
│ ルナが、よく食べる。
│ ガルドが、ルナにアイスを買ってやって、自分も食べて、頭を抱えていた。
│ 「冷たい食い物が、頭の中に、痛みを、起こすぞ」とヴェイルが解説した。
│ ノアは、政府の最奥にいるらしい。
│ ──たぶん、生かされている。
│ だけど、僕は、確信が、持てない。
└────────────
1
ルナは、おにぎりというものを、生まれて初めて食べた。
僕たちは、神戸を離れ、京都の郊外の、廃れた農家に、身を潜めていた。クロードが、もう一度、手配してくれた隠れ家だった。彼は、僕たちが行く先々で、必ず、先に動いていた。
「おにいちゃん」
ルナが、白い、三角形の食べ物を、両手で持ったまま、不思議そうに僕を見上げた。
「これ、なに?」
「米、というらしい」
「これ、人間が、食べていいの?」
「うん」
「すごい」
ルナは、おにぎりを、ひとくち、齧った。
彼女の目が、見開かれた。
「おいしい」
ガルドが、ルナの隣で、二十個目のおにぎりを、口に放り込んでいた。
「兄弟。これ、最高だ」
「うん」
「米、っていうの、最高だ」
「分かった、もう少し買ってくる」
ヴェイルが、苦笑しながら、僕の腕を引いた。
「行くぞ、レイン」
「ヴェイル」
「ノアの話だ」
彼女の声が、低くなった。
2
僕たちは、家の裏手の、小さな池のほとりに、座った。
夕方の光が、水面に、橙色を落としていた。元の世界と、変わらない色だ。空も、水も、夕日も、結局、どこの世界でも、同じ色をしているらしい。
「レイン」
「ん」
「ノアの居場所が、地図に出ないということは、これは、政府が、ノアを、知っている、ということだ」
「ああ」
「知っていて、隠している」
「うん」
「それは、たぶん、ノアが、彼らにとって、便利だからだ」
僕は、頷いた。
ノアの能力は、ホログラム。
一度見た生物の姿に、自由になれる。話す、魔法を使う、攻撃する──ホログラム越しに、すべてが可能だ。
「ノアを、政府は、何に、使う気だろう」
僕の問いに、ヴェイルは、ふっと、笑った。
「決まっている。スパイ、暗殺、世論操作。誰の姿にもなれる人間がいたら、お前なら、何に使う?」
「……何にも、使いたくない」
「お前は、そういうやつだ」
彼女は、池に、小さな石を、投げた。
「だが、政府は、違う」
3
クロードからの連絡は、その夜、届いた。
彼は、政府の中枢に、すでに、潜り込んでいた。「内閣官房参与」という、僕には意味の分からない肩書きで、僕たちの動きに関する報告書を、毎日、書いていた。
彼の連絡は、簡潔だった。
──ノアは、地下施設に、いる。会いに行くな。今は、まだ、無理だ。
僕は、その短い文章を、何度も、読み返した。
「会いに行くな」と、クロードが書くのは、初めてだった。
彼は、いつも、僕に「行け」と言う男だ。彼が「行くな」と言うときは、本当に、無理なときだ。
ガルドが、僕の手元を、覗き込んだ。
「兄弟」
「ん」
「クロードは、何て、書いてる」
「無理だ、と書いてる」
「──行くか」
「ああ」
ガルドは、おにぎりを、もうひとつ、口に放り込んだ。
「いつ、出る」
「明日の夜」
「分かった」
ヴェイルが、僕たちのやり取りを聞いて、深く、溜息をついた。
「お前たちは、本当に、変わらないな」
彼女は、しかし、止めなかった。
ただ、自分の短剣の手入れを、始めただけだった。
4
東京の地下施設は、僕の想像を、超えていた。
最初の三層は、警備員と、通常の設備。クロードの情報通り、僕たちは、彼の用意した「点検作業員」の身分で、入り込んだ。ヴェイルが、フードを深く被り、エルフ耳を、隠した。ガルドは──ガルドは、最初から、潜入には参加しなかった。
「兄弟。俺は、地上で、待つ」
「ああ」
「もし、お前たちが、出てこなかったら」
ガルドは、空を見上げて、にやり、と、笑った。
「そのときは、俺が、地面ごと、お前たちを、掘り出す」
彼の冗談は、いつも、半分以上、本気だ。
ヴェイルと僕は、第四層、第五層、と、降りていった。
──通路の、空気が、変わった。
第六層に、たどり着いたとき、僕たちは、ガラス越しに、ある部屋を、見ていた。
白い、清潔な部屋。
中央に、人ひとり分の、台座。
台座の上に──。
透明な、結晶のようなものが、置かれていた。
結晶の中に、何かが、閉じ込められていた。
色のない、形のない、光のような、影のような、何か。
──ノアだ。
僕は、すぐに、それを、理解した。
「あれが、本体か」
ヴェイルが、ガラスに、額をつけて、呟いた。
「私たちが、千年、見たことのなかった、あいつの、本当の姿、か」
結晶の中の、それは、僕たちの存在に、気づいたようだった。
ぐにゃり、と、形を、変える。
そして、結晶の表面が、内側から、波打った。
そこに──。
文字が、浮き上がった。
──Hi, Rain. ごめん、しばらく、無理。
僕は、息を、吐いた。
生きている。
無事だ。
だが──。
「ヴェイル、これは、結晶ごと、持って帰れないか」
「無理だな。たぶん、結晶を割ったら、本体も、傷つく」
「……」
「あいつ自身が、無理だと言っている。あいつが無理だと言うときは、本当に、無理なときだ」
ヴェイルの声は、苦々しかった。
結晶の表面に、もうひとつ、文字が、浮かんだ。
──ヴェイル、おばあちゃん、お久しぶり。
ヴェイルの、こめかみに、青筋が、立った。
「ノア、お前──」
結晶が、楽しげに、震えた。
ヴェイルは、深く、息を吐いて、それから、ふっと、笑った。
「生きてるな、お前は」
結晶が、もう一度、震えた。
──そのうち、自力で、出るから。みんな、元気でね。
そして、結晶の表面が、また、静かになった。
僕は、しばらく、結晶を、見つめていた。
──連れて、帰りたい。
だが、ノア自身が、無理だと言っている。
僕は、結晶に、片手を、当てた。
「ノア」
「ん」
「必ず、迎えに来る」
結晶の中の、光のような何かが、ふわりと、揺れた。
それが、ノアの、返事だった。
5
地上に戻ったとき、ガルドは、農家の畑で、白菜の収穫を手伝っていた。
──「待つ」と言ったはずなのに。
「兄弟。あの婆さんが、一人で、これを、抱えてたんだ。可哀想だろ」
白菜の山の前で、ガルドは、子供みたいに笑っていた。
僕は、彼の頭を、軽く、叩いた。
「ありがとう、ガルド」
「兄弟、ノアは」
「生きている。だが、今は、無理だ」
「……あいつらしい、な」
ガルドは、額の汗を、拭いた。
そのとき──。
僕の地図の上で、別の点が、激しく、点滅を、始めた。
ヴェイルの居場所では、ない。
ガルドの居場所でも、ない。
──知らない場所だった。
北関東。
茨城、と書かれた場所。
そこに、点が、ひとつ、ふらり、と、灯った。
点の名前は──。
ヴェイル。
僕は、ヴェイルを、見た。
ヴェイルは、僕の隣に、いた。
地図の上の点は、別の場所に、いた。
僕の指先が、冷たくなった。
「ヴェイル」
「ん」
「お前の、点が、二つ、ある」
ヴェイルの顔が、強張った。
「──偽物、か」
「いや」
僕は、もう一度、地図を、見た。
北関東の、その点は、いつもの、ヴェイルの点と、全く、同じ色を、していた。
──偽物では、ない。
「ヴェイル」
「ん」
「お前と、同じ、輝き方を、している、もうひとつの『ヴェイル』が、いる」
ヴェイルが、長く、息を、吐いた。
そして、ぽつり、と、呟いた。
「──分かった。エルフは、千年生きて、ようやく、自分の、本当の名前を、知る。私の名前は、ヴェイル。だが──」
彼女は、夕暮れの空を、見上げた。
「私の、本当の名前を、知っている、もう一人の、エルフがいるとしたら」
「いるとしたら?」
「それは、私の、姉だ」
◆ ◆ ◆
── 第七章 了 ──
次章「エルフは森を捨てた」へ続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
レインたちの逃亡を、もう少しだけ見届けていただけると嬉しいです。
次回もお楽しみに。




