第六章 地下のオークション
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┌─ 【手記・DAY 11 夜】
│ 二十二時。
│ クロードの招待状を、持っている。
│ 剣を、抜かないと、約束した。
│ ──守れる、自信が、ない。
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1
神戸の港は、夜になると、別の街になる。
昼間の物流の喧騒が、ぴたりと止む。代わりに、巨大なコンテナの陰に、見たことのない種類の影が落ちる。船の汽笛が遠くで鳴り、潮の匂いの下に、もうひとつ、僕の知らない匂いがする。
──金の匂いだ。
元の世界でも、嗅いだことがある。盗賊の隠れ家、奴隷商人のキャラバン、闇の取引が行われる宿屋の地下。どこでも、同じ匂いがした。
僕は、クロードに渡された黒い封筒を、もう一度、確かめた。
封筒の中身は、薄い金属の板だった。「招待カード」というらしい。これを示せば、会場に入れる。
「レイン」
僕の隣で、ヴェイルが、低い声で言った。
「私とガルドは、外で待つ。中に入るのは、お前一人だ」
「分かっている」
「ガルドが入ったら、会場が崩れる。私が入ったら、私が誰かを殺す」
「ああ」
「だから、お前が、行くしかない」
ヴェイルが、僕の肩に、片手を置いた。
「正義感を、出すな」
「うん」
「お前が、人を斬る顔になったら、私は、お前を、引きずって帰る」
彼女の目は、本気だった。
僕は、頷いた。
2
「会場」は、地下にあった。
古い倉庫の床が、ある角度から押すと、ゆっくりと、地下へ続く階段に変わる仕組みだった。エレベーター、というものらしい。元の世界でいう「魔導機関」に近い、力のかけ方を変える仕掛けだ。
階段を降りるあいだ、僕は、見たことのない世界を、見ていた。
地下の通路は、清潔だった。
壁は白く、床には絨毯が敷かれ、照明は柔らかく、空気は冷えていた。給仕の服装をした、若い男女が、僕に頭を下げる。彼らの首には、見慣れない金属の輪が嵌っていた。
──奴隷だ。
僕は、すぐに、それを理解した。
彼らの目には、僕の知っている種類の、諦めの色があった。
「ようこそ、サー」
受付の女が、僕の招待カードを受け取り、にこやかに、僕を会場へ案内した。
ホール、と呼ぶには小さい部屋だった。
円形の客席。中央に、低い舞台。舞台の上には、まだ、何も載っていない。
客は、二十人ほどいた。
全員、顔を、黒い仮面で隠していた。
僕は、自分の席に着き、ゆっくりと、息を吸った。
3
最初に舞台に上がったのは、男の奴隷だった。
筋肉質で、若く、瞳の色が、僕の知る限りでは珍しい青だった。彼は、舞台の中央で、ただ、立っていた。司会の男が、滑らかな声で、彼の「商品説明」を始めた。
僕は、聞かないようにした。
聞いたら、僕は、剣を、抜く。
二人目は、女だった。
三人目は、また女。
四人目は、子供。
僕の指は、剣の柄から、何度も、何度も、離した。
クロードの声が、頭の中で、響いていた。
──ルナを救うことだけ、考えろ。
僕は、頷くように、舞台の上の、奴隷たちを、見送った。
どの顔も、頭に、焼き付いた。
一人残らず。
──いつか、必ず、迎えに来る。
そう、心の中で、約束した。
4
ルナが舞台に上がったのは、八番目だった。
十歳の少女が、白い、薄い、ほとんど布と呼べないようなものを着せられて、舞台の中央に、立たされていた。
彼女の足は、震えていた。
僕は、息を、止めた。
司会の男が、笑顔で言った。
「お次は、特別な商品です。最近、各国の研究機関で『天使に近い遺伝子構造』を持つ少女が話題になっておりますが──」
僕の耳の奥で、何かが、鳴った。
──研究機関。
──人体実験。
「現在、開始価格は、五千万円。なお、こちらの少女は、研究用途のお買い上げを優先しております。倫理委員会の認可は、当方で──」
僕は、立ち上がりかけて、止まった。
ルナと、目が合った。
ルナの目は、僕を、見ていた。
そして──。
彼女は、首を、左右に、わずかに振った。
──今は、まだ、いけない。
そう、言っていた。
僕は、ゆっくりと、座り直した。
ルナは、十歳だ。
だが、彼女は、僕たちの中で、いちばん、賢い。
彼女には、見えている、何かがある。
5
僕は、競りに、参加した。
元の世界の通貨は、ここでは使えない。だが、クロードが、招待カードに「与信枠」というものを、用意してくれていた。彼の準備の良さに、僕は、心の中で、深く、頭を下げた。
「一億」
「一億五千万」
「二億」
競りは、進んだ。
僕の隣の席で、別の仮面の男が、不機嫌そうに、舌打ちした。
「三億」
僕は、ためらわなかった。
「五億」
会場が、ざわついた。
「十億」
舌打ちが止まった。
「他に、いらっしゃいませんか」
司会の男が、にこやかに、会場を見回した。
「では、十億円で、こちらの紳士に──」
そのとき、会場の奥から、声が、響いた。
「二十億」
空気が、凍った。
6
声の主は、最奥の貴賓席にいた。
仮面の下から、品のいい、年配の男の声がした。
「研究用途で、こちらの予算を、すでに、組んでおりまして」
司会が、深々と、頭を下げた。
「これは、これは、博士。失礼いたしました。では、二十億で──」
──博士。
僕は、その単語を、聞き逃さなかった。
学者だ。
ルナを、生きたまま、解剖する気の、学者だ。
僕の中で、何かが、ぷつりと、切れた。
──いや、切れる、寸前で、止まった。
クロードの声が、もう一度、頭の中で、響いた。
──踏み越える前に、踏みとどまってくれ。
僕は、深く、息を吸った。
そして、ゆっくりと、立ち上がった。
会場が、僕を、見た。
僕は、自分の招待カードを、テーブルの上に、置いた。
そして、剣を、抜いた。
司会の男が、悲鳴を上げた。
「け、警備──!」
僕は、剣を、ゆっくりと、舞台の方向に、向けた。
そして、剣の腹で、舞台の照明を、軽く、一度、叩いた。
ガラスの、割れる音。
会場が、暗くなった。
──暗闇の中で、人間は、自分の前にいる人間しか、認識できない。
僕は、知っている。
7
ルナの体を抱き上げた瞬間、彼女の小さな手が、僕の頬に触れた。
「レイン、おにいちゃん」
「うん」
「ありがとう」
「うん」
「でも、ねえ」
ルナの声は、十歳とは思えないほど、落ち着いていた。
「ここに、いた、他の人たち、を、忘れない、で」
「忘れない」
「絶対、絶対、忘れない、で」
「忘れない」
僕は、彼女を、強く、抱きしめた。
──暗闇の中で、混乱した警備員たちの銃声が、上がる。
僕は、振り返らずに、走った。
舞台の床を蹴り破り、地下のさらに下へ、抜けた。
クロードが、用意してくれた、脱出路。
──ありがとう、クロード。
僕は、剣を、人に向けて、抜かなかった。
ただ、照明を、一度、割っただけだった。
約束は、守った。
──このときは、まだ。
8
地上に出ると、ガルドが、待っていた。
彼は、僕の腕の中の、小さなルナを見て、ぐしゃり、と、顔を歪めた。
「お嬢ちゃん」
「ガルド、おじさん」
ルナが、ガルドに手を伸ばした。
ガルドが、その手を、自分の指で、そっと、握った。三メートルの巨人の指は、ルナの拳より、ずっと太い。
「無事で、よかった」
「うん」
ヴェイルは、何も言わなかった。
ただ、僕の隣に立ち、僕の頬を、軽く、二度、叩いた。
「よくやった」
「ヴェイル」
「ん」
「ノアは、まだ、来ない」
僕は、地図を、取り出した。
海の上の、四つ目の染みは──。
消えていた。
僕は、しばらく、地図を、見つめた。
「ヴェイル」
「ん」
「ノアの、点が、ない」
ヴェイルが、僕の地図を、覗き込んだ。
彼女の眉が、寄った。
「死んだ、わけじゃない、はずだ」
「うん。名前は、残っている」
「でも、位置が、分からない」
「ああ」
「──誰かが、隠している」
ヴェイルの声は、低かった。
ガルドの肩の上で、ルナが、小さな声で、言った。
「ノアおねえちゃん、政府の、いちばん奥に、いる」
僕たち、三人は、ルナを見た。
十歳の少女は、まっすぐに、北を、指さしていた。
「東京の、いちばん、深いところ」
◆ ◆ ◆
── 第六章 了 ──
次章「ホログラムの墓標」へ続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
レインたちの逃亡を、もう少しだけ見届けていただけると嬉しいです。
次回もお楽しみに。




