第八章 エルフは森を捨てた
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┌─ 【手記・DAY 17】
│ ヴェイルに、姉がいた。
│ 千年、聞いたことがなかった。
│ 彼女は、何も言わなかった。
│ でも、僕には、何かが、見え始めている。
│ この世界には、敵が、いない。
│ 敵が、いないから、誰も、戦わない。
│ 誰も、戦わないから、誰も、助けない。
└────────────
1
茨城は、関東の北東部にある県だった。
広い平野、農地、海岸線。だが、僕たちが向かったのは、そのどこでもなかった。
地図の上の、二つ目の「ヴェイル」が、灯っていた場所は──。
廃工場の、敷地内だった。
元の世界の言葉でいうなら、「鍛冶場の廃墟」のような場所。だが、規模が、桁違いだった。錆びた、何階建てもの建物が、いくつも、並んでいた。
──こんなに巨大な建物が、見捨てられている。
元の世界では、ありえないことだった。
使われなくなった砦でも、誰かが、解体し、石を運び、別の建物の材料にした。土地は、誰かのものだった。土地が、誰かのものでないなら、それは、誰かのものに、なる。
だが、この国は、違うらしい。
使われない建物は、使われないまま、何十年も、立っている。
誰も、欲しがらない。
誰も、解体しない。
誰の責任でも、ない場所。
──だからこそ、ヴェイルの姉の組織が、ここに、巣を作れた。
僕は、その構造を、ようやく、理解し始めていた。
2
ヴェナは、二階の手すりから、僕とヴェイルを、見下ろしていた。
「妹」
「ヴェナ」
「お前、本当に、来たな」
ヴェイルが、姉の名を、呼んだ。
ヴェナと、呼ばれた女は、にやり、と、笑った。
「久しぶりだな、妹」
「お前、生きていたのか」
「お前と同じだ。私も、ある日、突然、この世界に、放り出された」
彼女は、二階の手すりに、肘を、掛けた。
「私は、お前より、三十年、早く、来た」
──三十年。
僕は、その単語を、噛み締めた。
3
ヴェナは、ゆっくりと、階段を降りてきた。
黒い、現代日本の服装。腰には、エルフの短剣が、二本、下がっていた。
「勇者」
「ヴェナ」
「お前にも、悪い話じゃ、ない」
彼女は、僕の方を、見た。
「この世界には、表の国家と、裏の国家がある。表は、お前たちを、追っている。だが、裏は、違う」
「裏」
「私たちは、お前たちを、迎え入れる」
僕は、答えなかった。
ヴェナは、僕の沈黙を、許可と、受け取ったらしい。続けた。
「勇者、お前は、まだ、この国を、知らない」
「……」
「この国は、悪人を、罰しない国だ」
僕は、彼女を、見上げた。
「どういう、意味だ」
「文字通りの意味だ。お前は、子供が、施設で、傷つけられているのを見たな? ガルドが、捕まったのを見たな? あの十歳の少女が、オークションに、流れたのを聞いたな?」
「……ああ」
「あれは、たぶん、来週には、もう、誰も、覚えていない」
「は?」
「この国では、不幸は、消費される」
ヴェナの目が、暗く、光った。
「不幸な事件があれば、人々は、自分の小さな板を取り出して、それを撮る。撮って、ばら撒く。ばら撒いて、自分の名前を、知ってもらう」
「……」
「『可哀想だ』と書く。『許せない』と書く。『犯人を死刑にしろ』と書く。だが、彼らは、その子の名前を、覚えない。三日後には、別の不幸を、消費している」
僕は、息を、止めた。
「私は、三十年、この国を、見てきた」
ヴェナは、僕に、ゆっくりと、近づいた。
「この国の人間は、悪くない。優しい。礼儀正しい。約束も守る。だが、誰も、戦わない」
「……」
「誰かが、不幸に、なっても、それは『他人事』だ。『自分には、関係ない』だ。『可哀想だね』と言って、それで終わる」
「それは──」
「だから、私たちのような、組織が、生きていける」
彼女の声は、低かった。
「私たちが、誰かを、殺しても、誰も、調べない。私たちが、何かを、奪っても、誰も、追わない。なぜなら、それは、『他人事』だからだ」
僕は、彼女の目を、まっすぐに、見返した。
「ヴェナ」
「ん」
「お前は、その『他人事』の文化を、利用して、人を殺しているのか」
「私は、悪人だけを、殺している」
「悪人の、定義は、誰がする」
「私だ」
彼女は、にこやかに、答えた。
「勇者。お前の世界は、楽だったろう。魔王が、絶対の悪で、お前が、絶対の正義だった。そうだろう?」
僕は、答えられなかった。
──そう、だった。
元の世界では、敵は、明確だった。
魔王が、世界を、滅ぼそうとしていた。だから、僕は、剣を、抜いた。
ヴェナの言葉に、僕は、初めて、苛立ちを、覚えた。
「お前は、悪を、悪と、呼べる世界に、いたんだ」
「……」
「だが、ここは、違う。ここでは、悪が、見えない。悪が、見えないから、誰も、戦わない」
「ヴェナ、僕は──」
「お前にも、そのうち、わかる」
彼女は、僕に、背を、向けた。
「この国の人間は、誰一人、ガルドを、助けない。お前の十歳の妹を、誰も、助けない。私の妹を、誰も、助けない」
「……」
「助けるのは、私たちと、お前たちだけだ」
4
彼女は、僕とヴェイルを、奥の部屋に、案内した。
そこには、見たこともない、巨大な機械が、並んでいた。
「これは、私たちが、三十年かけて、組み上げた、情報網だ」
ヴェナの声は、誇らしげだった。
「この組織は、人身売買を、許さない。麻薬の流通を、許さない。子供を傷つける人間を、許さない。私たちは、表の国家が、やらないことを、やっている」
「ヴェナ」
「ん」
「お前たちが、許せない人間を、お前たちは、どうしている」
ヴェナは、しばらく、答えなかった。
それから、静かに、言った。
「殺している」
ヴェイルの、息が、止まった。
「ヴェナ、お前──」
「妹。エルフは、千年、森を、守ってきた。森を荒らす者を、殺してきた。何が違う」
「ここは、森じゃ、ない」
「同じだ。ここも、私たちの、新しい森だ」
ヴェイルは、しばらく、姉を、見つめていた。
そして、ゆっくりと、僕に、向き直った。
「レイン」
「ん」
「私は、しばらく、ここに、残る」
僕の、指先が、冷たくなった。
「ヴェイル──」
「最後まで、聞け」
彼女は、僕の目を、まっすぐに、見た。
「私は、姉の組織に、加わるわけじゃない。だが、調べたいことがある。三十年、こちらに、いた姉が、本当に、何をしてきたのか」
「ヴェイル」
「お前たちを、捨てるわけじゃない。地図を見ろ。私の点は、お前の地図に、残り続ける」
「……」
「私の点が、消えたら、そのときは、迎えに来てくれ」
僕は、ヴェイルの、目を、見つめた。
彼女の目には、嘘は、なかった。
──ただ、不安が、あった。
僕は、頷くしか、なかった。
「分かった」
「ありがとう」
ヴェイルは、初めて、僕に、礼を、言った。
──それが、なぜか、僕には、別れの挨拶のように、聞こえた。
5
廃工場の外に、ガルドが、座り込んでいた。
ルナが、彼の膝の上で、眠っていた。
僕が、一人で、戻ってくるのを見て、ガルドは、ゆっくりと、立ち上がった。
「兄弟」
「ガルド」
「ヴェイルは」
「残った」
ガルドは、しばらく、僕を、見つめていた。
それから、空を、見上げて、深く、息を、吐いた。
「兄弟」
「ん」
「俺たち、減ってきたな」
「うん」
「兄弟」
「ん」
「俺は、絶対、お前から、離れねえからな」
僕は、頷いた。
そのときの、彼の声を、僕は、たぶん、一生、忘れない。
──そして、それから、二日後。
ガルドは、僕の前から、いなくなる。
◆ ◆ ◆
── 第八章 了 ──
次章「巨人の最期」へ続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
レインたちの逃亡を、もう少しだけ見届けていただけると嬉しいです。
次回もお楽しみに。




