第十八章 犬は名前を持つ
┌─ 【手記・DAY 55】
│ 犬の、笑い方が、変わってきた。
│ いや、変わったのは、たぶん、僕の方だ。
│ 彼女の名前を、呼びたい、と、思う日が、ある。
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1
ガルドの墓に、ヴェイルの墓が、並んだ。
二つの土まんじゅうの、間に、僕とルナで、白い花を、植えた。
ルナは、毎朝、墓の前に、おにぎりを、二つずつ、お供えした。
「ガルドおじさんは、おっきい、おにぎり」
「ヴェイルおねえちゃんは、ちっちゃい、おにぎり」
「ちっちゃい方が、エルフ、っぽいから」
僕は、その理屈に、笑いそうになって、止めた。
「おい」
「うん」
「お供えのおにぎりは、夜には、誰が、食べているんだ?」
「鳥さんが、ぜんぶ、食べてくれるの」
「ふうん」
僕は、知っていた。
夜のうちに、こっそり、墓に来て、おにぎりを、回収する、誰かを。
クロードだ。
彼は、僕たちの近況を、墓のおにぎりが残っているかどうかで、確認していた。
ルナの、おにぎりは、必ず、夜には、なくなっていた。
つまり、僕たちは、まだ、生きている、と、彼に、伝わっていた。
ある朝、墓の脇に、小さな、紙が、置かれていた。
クロードの、字だった。
彼は、もう、声で連絡してこない。だが、時々、墓の上に、紙を、残してくれた。
紙には、たった、二行、書かれていた。
──三日前、東北で、震災があった。死者四人、負傷者多数。
──ボランティアが、徒歩で、被災地へ向かっている。三日で、二千人を、超えた。
僕は、その紙を、何度か、読み返した。
──二千人。
──見ず知らずの、他人のために、徒歩で、向かう、二千人。
ルナが、僕の手元を、覗き込んだ。
「ご主人さま」
「ん」
「これ、誰の、手紙?」
「クロードだ」
「クロードおじさん、何て、書いてあるの?」
僕は、紙を、彼女に、読み上げた。
ルナは、しばらく、黙っていた。
そして、ぽつりと、言った。
「ガルドおじさんも、ヴェイルおねえちゃんも、同じだね」
「ん?」
「見ず知らずの、誰かのために、走った、人たちだから」
僕は、息を、止めた。
──ガルドも、見ず知らずの、店の客を、麻酔銃から、守った。
──ヴェイルも、見ず知らずの、北海道の動物たちを、密猟者から、守ろうとして、捕まった。
──そして、いまも、この国の、どこかで、二千人の人間が、見ず知らずの、被災者のために、歩いている。
──同じだ。
──走る方角は、違っても、走る理由は、同じだ。
──そんな人間が、この国にも、いる。
──十万人の、ガルドの動画の視聴者と、二千人の、ボランティアの徒歩が、同じ国の、同じ空の下に、共存している。
──この国は、ひとつの、顔じゃ、ない。
──クロードが、言っていた、二つの顔。
──ようやく、僕は、もう、ひとつの顔の、輪郭を、見始めていた。
ルナが、僕の袖を、引っ張った。
「ご主人さま」
「ん」
「お供えの、おにぎり、もうひとつ、増やそう」
「ん?」
「被災地まで、歩いてる、二千人の、誰かが、ね、お腹、空いてるかも、しれないでしょ?」
僕は、十歳の少女の、その発想に、しばらく、声が、出なかった。
──届くわけが、ないのに。
──届くわけが、ないのに、彼女は、それを、握ろうとする。
「ルナ」
「うん」
「お前のおにぎりは、届かない」
「分かってる」
「でも、握るんだな」
「うん。だって、握りたいんだもん」
僕は、しばらく、彼女の頭を、撫でた。
──たぶん、これが、この国の、もう、ひとつの顔の、原型だ。
──届かないと、分かっていても、握る人間が、いる。
──「無関心」の、反対側には、こういう、人間が、ちゃんと、いる。
2
ある日、ルナが、近所の、田んぼの前で、立ち止まった。
「ご主人さま」
「ん」
「あれ、なに?」
ルナは、田んぼで、稲を、抱えている、小さな案山子を、指さしていた。
「案山子だ」
「かかし」
「鳥が、稲を、食べないように、人間の形をした、人形を、立てる」
「鳥さん、騙されるの?」
「最初は、騙される」
「最初は?」
「そのうち、慣れる」
ルナは、しばらく、案山子を、見ていた。
「鳥さん、賢いんだね」
「うん」
「ご主人さま」
「ん」
「私、ね。ご主人さまの、案山子に、なりたい」
僕は、彼女を、見た。
「どういう、意味だ」
「ご主人さまが、世界を、壊そうとした時、私が、ご主人さまの前に、立つの」
「……」
「最初は、騙されるかもしれない。でも、何度も、立てば、ご主人さまも、そのうち、慣れて、私を、見て、止まってくれるかも、しれない」
「ルナ」
「うん?」
僕は、初めて、彼女を、名前で、呼んだ。
ルナの目が、見開かれた。
「ご、ご主人さま」
「ルナ」
「うん」
「お前は、案山子じゃない」
「……」
「お前は、犬でもない」
「……」
「お前は、ルナだ」
彼女は、ぼろぼろと、涙を、流した。
田んぼの、緑の上で、十歳の少女が、声も上げずに、ただ、泣いた。
僕は、彼女の頭に、手を、置いた。
「ありがとう、ルナ」
「……」
「お前のおかげで、僕は、まだ、勇者で、いられている」
ルナは、頷いた。
ただ、頷いた。
声は、出なかった。
3
その夜、隠れ家に、戻ると、玄関に、白い封筒が、置かれていた。
クロードの、字だった。
封筒の中には、薄い紙が、一枚、入っていた。
──ノアの結晶、近日中に、外国へ、移送される。私の出した最後のカードでも止められない。お前の力が、必要だ。
僕は、紙を、握りしめた。
ルナが、僕の手元を、覗き込んだ。
「ご主人……レイン」
「ん」
「ノアおねえちゃん、迎えに、行くんだね」
「ああ」
「私も、行く」
「ルナ──」
「私も、行く」
彼女の目は、まっすぐだった。
僕は、しばらく、彼女を、見つめていた。
そして、頷いた。
「ああ。一緒に、行こう」
ルナの顔が、ぱあっ、と、明るくなった。
──このときの僕は、まだ、知らなかった。
この、ノア奪還作戦が、僕たちの、最も、大きな、賭けに、なることを。
そして、ノアの、本当の正体が、僕の、想像を、はるかに超えるものであることを。
◆ ◆ ◆
── 第十八章 了 ──
次章「賢者の本当の計算」へ続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
レインたちの物語を、もう少しだけ見届けていただけると嬉しいです。
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次回もお楽しみに。




