第十五章 世界を壊す日
┌─ 【手記・DAY 38】
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│ 壊す。
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1
ヴェイルが死んで、六日が、経った。
僕は、その間、ルナと、ほとんど、口を、利かなかった。
ルナは、僕に、何度も、声を、かけた。料理を、運んだ。隣に、座った。
僕は、すべてに、頷いた。
頷いて、剣を、磨いていた。
──だが、僕の頭の中で、別の音が、響いていた。
計画の、音だった。
──東京湾。
──そこの、上空に、僕は、行く。
──そして、僕の知っている、最大の魔法を、撃つ。
──黒い炎を、東京の、ど真ん中に、落とす。
──首都が、消える。
──対異世界対策本部が、消える。
──ガルドを、ヴェイルを、ノアを、ルナを、苦しめた、この世界の、中心が、消える。
──そこから、すべてを、始め直す。
僕は、自分の、計画に、何の、躊躇も、感じなかった。
ただ、ひとつだけ、ルナを、巻き込まないように、しなければ、ならない。
2
ある朝、僕は、ルナに、嘘を、ついた。
「ルナ。今日、僕は、東京に、行く」
「うん」
「クロードに、会いに行く。ノアを、迎えに行く方法を、相談しに、行く」
「うん」
「だから、お前は、ここで、待っていてくれ」
ルナは、しばらく、僕を、見つめていた。
僕は、彼女の目を、見返した。
──嘘だ、と、見抜かれるかも、しれない。
だが、彼女は、ただ、頷いた。
「うん。気を、つけて」
「ああ」
「夕方には、戻ってきてね」
「ああ」
僕は、隠れ家を、出た。
──戻ら、ない。
二度と、戻らない。
ルナを、巻き込まないように、隠れ家ごと、消える。
──だが、東京湾の上空からの、黒い炎の、爆風は、ここまで、届くだろうか。
届けば、ルナも、巻き込まれる。
──いや、彼女は、聖職者だ。
彼女の法衣は、すべての物理攻撃を、無効化する。
彼女なら、生き残る。
そう、自分に、言い聞かせて、僕は、隠れ家を、振り返らずに、歩いた。
3
東京湾の、上空。
地図で、最も高い建物の、屋上に、俺は、立っていた。
ここから、東京の、ほぼ全域が、見渡せた。
夜だった。
無数の、光が、地上に、煌めいていた。
──この、光、ひとつひとつに、人が、いる。
──家族が、いる。
──恋人が、いる。
──友人が、いる。
──子供が、いる。
俺は、それを、理解していた。
だが、同時に、俺は、こうも、知っていた。
──この、光の、向こうで、いま、何百万の指が、誰かの不幸を、小さな板で、消費している。
──ガルドの、見世物動画は、いまも、再アップされ、再生され、笑われている。
──ヴェイルが、撃たれた事件は、三日後には、誰も、話題にしなかった。
──そして、彼女たちを、奪われた俺は、いまだに、『国家危険人物』として、検索されている。
──少し、違うだけで。
──力が、強いだけで。
──ガルドは、潰された。
──ヴェイルは、撃たれた。
──ルナは、売られた。
──ノアは、結晶ごと、研究対象にされた。
──元の世界では、こんなこと、なかった。
──元の世界では、魔王が、絶対の悪で、俺が、絶対の正義だった。
──戦う相手が、見えた。
──だが、ここでは、敵が、いない。
──敵がいないから、誰も、戦わない。
──誰も、戦わないから、誰も、助けない。
──一億の、見ぬふり、聞かぬふり、黙るふりが、この街の上に、積み重なって、いる。
──だから、俺は、もう、この街そのものを、敵に、する。
ヴェイルの、最後の言葉が、頭の中で、響いた。
──世界を、恨むな。
──ヴェイル、ごめん。
──お前の、最後の頼みを、俺は、聞けない。
俺は、両手を、空に、向けた。
詠唱を、始めた。
空気が、震えた。
空に、黒い雲が、渦を、巻き始めた。
──黒い、炎。
──俺の、最大の魔法。
両手の間に、黒い、炎が、生まれた。
廃工場の、屋上で、生まれた、あの、炎よりも、大きく、深く、暗かった。
空が、夜よりも、黒く、なっていく。
地上の、東京湾の、光が、ひとつ、また、ひとつ、俺の、黒い炎の、影に、隠れていく。
──ガルド。
──ヴェイル。
──ルナ、ごめん。
俺は、両手を、東京の、中心に、向けた。
黒い炎が、俺の、手のひらから、落ちようとした。
──そのとき。
背後で、小さな声が、した。
4
「ねえ、おにいちゃん」
僕の、両手の、黒い炎が、ゆらり、と、揺れた。
僕は、振り返らなかった。
振り返れば、また、止まる。
「ルナ。来るな」
「ねえ、おにいちゃん」
「ルナ、僕は、もう、決めた」
「ねえ」
彼女の声は、震えていなかった。
いつもの、十歳の少女の、声だった。
「ねえ、おにいちゃん」
「ん」
「お腹、空いてない?」
僕は、しばらく、自分が、何を、聞いたか、分からなかった。
「……ルナ?」
「お腹、空いてない?」
ルナは、もう一度、同じことを、聞いた。
「私、ね。おにぎりを、たくさん、作ったの」
「……」
「ガルドおじさんが、好きだった、お米で」
「……ルナ」
「一緒に、食べよう」
僕の、両手の、黒い炎が、震えた。
──こんな、瞬間に。
──こんな、世界を、終わらせようと、している、瞬間に。
──十歳の、少女が、おにぎりを、持って、屋上に、来た。
僕は、振り返った。
ルナが、立っていた。
両手に、大きな、風呂敷の、包みを、抱えて。
彼女の、白い法衣が、夜風に、揺れていた。
彼女は、ぼろぼろと、涙を、流していた。
だが、彼女の、口元は、笑って、いた。
「私、ね」
「ん」
「おにいちゃんが、嘘を、ついていること、分かってたの」
「……」
「だから、聖職者の、力で、ずっと、おにいちゃんの、後を、追ってたの」
「……ルナ」
「おにいちゃんが、ここで、何を、するか、分かってた」
「……」
「だから、おにぎりを、作って、持ってきた」
僕は、両手を、ゆっくりと、下げた。
黒い炎が、ゆらり、ゆらり、と、揺れて、それから、ふっと、消えた。
空が、ゆっくりと、元の、色に、戻った。
地上の、東京の、光が、また、煌めき始めた。
僕は、屋上の、コンクリートの上に、膝を、ついた。
ルナが、俺の前に、座った。
そして、風呂敷を、開いた。
中には、大きな、おにぎりが、十二個、並んでいた。
彼女は、その中から、ひとつを、取って、俺に、差し出した。
「食べて」
「……」
「お腹、空いてるでしょ」
俺は、震える手で、おにぎりを、受け取った。
──このおにぎりは、ネットには、流れない。
──このおにぎりは、五万円で、配信されない。
──このおにぎりを、消費する、十万人の指は、いない。
──このおにぎりは、ルナが、俺のために、握っただけの、ただの、塩むすびだ。
白い、米。
ガルドが、好きだった、米。
──そして、元の世界で、ルナが、俺の出発の朝に、握ってくれた、あの、白い袋の、塩むすびと、同じ、米。
俺は、一口、噛んだ。
塩の味が、した。
──ただ、塩の味だけが、した。
だが、その塩の味は、ニュースの中の、誰の不幸の味とも、違った。
コメント欄の、誰の言葉の味とも、違った。
配信の、視聴ボタンの味とも、違った。
ただ、人間が、人間のために、握った、ただの、米の、味だった。
僕は、その瞬間、ぼろぼろと、泣き始めた。
ルナの、隣で、ただ、おにぎりを、口に、運びながら、泣いた。
止まらなかった。
ガルドのときも、ヴェイルのときも、流れなかった涙が、塩のついた、白い米の前で、ようやく、流れた。
──このとき、僕は、自分のことを、もう一度、「僕」と、呼んだ。
ルナの前で。
ルナの、おにぎりを、食べながら。
ようやく、僕は、自分の名前を、思い出した。
5
ルナは、何も、言わなかった。
彼女は、ただ、僕の隣で、自分のおにぎりを、ゆっくりと、食べていた。
時々、僕の頬の、涙を、小さな指で、拭ってくれた。
僕は、おにぎりを、十二個、食べた。
いや、二人で、十二個、食べた。
食べ終わったとき、東京湾の、空が、白み始めていた。
夜が、明けていた。
僕は、屋上の、縁に、座っていた。
足を、ぶらぶらと、宙に、放りながら。
ルナが、僕の隣に、ぺたん、と、座った。
「おにいちゃん」
「ん」
「私、おにいちゃんに、ひとつ、お願いがあるの」
「なんだ」
「私を、おにいちゃんの、犬にして」
僕は、振り返って、ルナを、見た。
彼女は、まっすぐに、僕を、見ていた。
「いぬ?」
「うん」
「ルナ、何を、言って──」
「おにいちゃんが、また、世界を、壊そうとしたら、私が、止める」
「……」
「だから、私を、おにいちゃんの、犬にして。ずっと、おにいちゃんの、足元に、いる、犬」
「ルナ──」
「ガルドおじさんは、もう、いない。ヴェイルおねえちゃんも、いない。ノアおねえちゃんは、まだ、結晶の中。クロードおじさんは、政府の中」
彼女は、ぼろぼろと、涙を、流していた。
「だから、私しか、いないの。おにいちゃんの、横に」
「……」
「だから、私を、犬にして、ずっと、横に、置いて」
僕は、しばらく、彼女を、見つめていた。
──彼女は、自分を、僕の、鎖と、しようと、している。
──十歳の、少女が、自分の、人生を、僕の、暴走を、止めるためだけに、捧げようと、している。
僕は、ルナの、頭に、手を、置いた。
彼女の、髪は、柔らかく、温かかった。
「ルナ」
「ん」
「分かった」
「ほんと?」
「ああ。お前は、今日から、僕の、犬だ」
ルナの、顔が、ぱあっと、明るくなった。
「やった!」
僕は、彼女の、頭を、ぐしゃぐしゃと、撫でた。
──このときの、僕は、まだ、知らなかった。
──彼女を、犬と、呼ぶことで、僕が、これから、どれほど、変わっていくか。
──そして、彼女が、どれほど、僕を、変えてくれるか。
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── 第十五章 了 ──
── 第三部 完 ──
次章「名前のない関係」── 第四部 開幕
第三部、ここまで読んでいただきありがとうございます。
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次回、第四部もお楽しみに。




