第十三章 黒い炎
┌─ 【手記・DAY 28】
│ ヴェイルが、危ない。
│ でも、僕が、行ったら、間に合わない、気がする。
│ 僕の、力は、なぜ、こんなに、無力なんだ。
│ 一都市を、吹き飛ばせるのに。
│
│ 吹き飛ばせば、いいんじゃ、ないか。
└────────────
1
夜が明ける前に、僕は、走り出していた。
ルナを、聖職者の力で、クロードの、別の隠れ家へ、送った。彼女は、いつでも、戻ってこられる。だが、今、彼女を、危険な場所に、連れていけない。
北関東への、距離。
通常の、人間の、移動手段では、丸一日は、かかる。
僕は、自分の、限界の速度で、走った。
不死の体は、疲労を、知らない。
だが、人間の、運動の、限界は、ある。
僕は、何度も、転んだ。何度も、骨を、折った。何度も、すぐに、立ち上がった。
空が、白み始めた頃、僕は、ようやく、廃工場の、敷地に、辿り着いた。
──遅かった。
2
廃工場の、最も奥の、建物。
そこに、ヴェイルが、いた。
──ヴェイル、と、彼女の、姉、ヴェナと。
二人は、建物の、屋上に、いた。
ヴェイルが、ヴェナに、剣を、突きつけていた。
いや、違う。
ヴェナが、ヴェイルを、巨大な機械の、台座に、縛り付けていた。
ヴェイルの、両手両足が、太い金属の輪で、固定されていた。
僕は、屋上に、駆け上った。
「ヴェイル!」
彼女が、僕を、見た。
「レイン……来たか」
彼女の声は、弱かった。
ヴェナが、振り返った。
「勇者。よく、来たな」
彼女の顔には、薄い、笑みが、浮かんでいた。
ヴェイルと、瓜二つの、顔。
だが、その目に、宿る色だけが、全く、違った。
「ヴェナ」
「お前を、待っていた」
「ヴェイルを、離せ」
「無理だな」
ヴェナは、肩を、すくめた。
「私の妹は、私の組織の、すべてを、ここ三日で、調べ上げた。私が、何をしてきたか、すべて、把握された」
「……」
「だから、もう、放せない」
「ヴェナ──」
「妹を、殺すつもりは、ない」
彼女は、僕の言葉を、遮った。
「ただ、私の、思想に、染め直す。記憶を、書き換える、機械を、使ってな」
彼女は、台座の脇の、巨大な機械を、指さした。
「これに、半日、入れれば、妹は、私と、同じ、思想に、なる。記憶も、必要なものだけ、残る」
僕の指が、剣の柄を、握りしめた。
──そんなことを、許せるはずが、ない。
ヴェイルが、台座の上で、僕を、見ていた。
「レイン……来るな」
「ヴェイル?」
「ここは、罠だ」
僕は、ようやく、気づいた。
廃工場の、屋上の、四方の隅から、見たことのある、エルフたちが、僕に、矢を、向けていた。
十、二十、三十。
──ヴェナの、組織の、エルフたち。
彼らは、全員、ヴェイルと、ヴェナの、ような、銀の髪を、していた。
3
「勇者」
ヴェナの声は、優しかった。
「お前にも、選択肢を、与えよう」
「……」
「私たちの、組織に、加われ。私の妹と、一緒に。お前の力があれば、私たちは、この世界の、すべての、悪と、戦える」
「……」
「断れば、お前の妹も、お前自身も、ここで、機械にかける。半日後、お前たちは、私の、最強の駒に、なる」
僕は、答えなかった。
ただ、自分の手のひらを、見ていた。
──手が、震えていた。
怒り、ではなかった。
ガルドの死以来、ずっと、僕の中で、燻っていた、ある、ものが、ようやく、形を、得ようとしていた。
──この、世界。
──仲間を、傷つけ、奪い、引き裂いた、この、世界。
──こんな、世界、要らない。
僕は、ゆっくりと、顔を、上げた。
「ヴェナ」
「答えは、決まったか」
「ああ」
「聞かせてもらおう」
僕は、両手を、ゆっくりと、空に、向けた。
そして、口を、開いた。
元の世界で、一度しか、唱えたことのない、僕の、最大の、魔法の、詠唱を、始めた。
4
空気が、震えた。
廃工場の、屋上に、立つ全員が、一斉に、僕を、見た。
ヴェナの顔から、笑みが、消えた。
「お前──」
僕は、詠唱を、続けた。
地面が、揺れ始めた。
空に、雲が、渦を、巻き始めた。
──一都市を、吹き飛ばす、魔法。
僕の、知っている、最大の、力。
元の世界では、魔王の城に、撃ち込んだ、あの、魔法。
「レイン!」
ヴェイルが、台座の上から、叫んだ。
「やめろ! お前、自分が、何を、しているか、分かっているのか!」
「分かっている」
「ここを、撃てば、私も、お前も、死ぬぞ!」
「不死だ。死なない」
「私が、死ぬんだ!」
僕は、彼女の言葉を、聞いた。
だが、僕の中の、何かは、もう、止まらなかった。
──ヴェイルが、死んでも、僕は、生きている。
──ガルドが、死んでも、僕は、生きていた。
──だったら、ここで、全部、終わらせよう。
──こんな、世界、ぜんぶ、要らない。
──いや。
──この、廃工場だけじゃ、足りない。
──ガルドを、五万円で、楽しんだ、十万人の人間。
──助けようとした俺を、悪役と、書いた、何百万人の指。
──少し違うものを、見ても、見ぬふりをして、自分の小さな板に、戻る、すべての、無関心な顔。
──全部、要らない。
──全部、消えればいい。
空が、黒く、染まり始めた。
僕の、両手の、間に、黒い、炎が、生まれていた。
ヴェナの顔が、引き攣った。
「お前、本気で、やる気か──」
──やる。
黒い炎が、僕の、手のひらで、膨らんでいく。
空が、夜よりも、深く、なる。
──そのとき。
僕の、背後で、小さな声が、した。
「おにいちゃん」
僕は、振り返った。
5
ルナが、屋上に、立っていた。
十歳の、小さな少女。
聖職者の、瞬間移動で、彼女は、僕を、追ってきていたのだ。
「ルナ──」
「おにいちゃん」
ルナは、ぼろぼろと、涙を、流していた。
「ガルドおじさん、悲しんでる」
僕の、両手の、黒い炎が、ゆらり、と、揺らいだ。
「お前が、そんな、こと、したら、ガルドおじさん、悲しむよ」
「……ルナ」
「やめて」
「ルナ……でも、ヴェイルが」
「私が、助ける」
ルナは、僕の脇を、すり抜けた。
そして、台座の上の、ヴェイルに、駆け寄った。
ヴェナの組織のエルフたちが、矢を、ルナに、向けた。
──撃つな!
僕は、叫びそうに、なった。
だが、矢は、放たれなかった。
ヴェナが、片手を、上げて、止めていた。
彼女は、ルナを、しばらく、見つめていた。
──彼女の、目に、初めて、ヴェイルと、同じ色が、宿った。
「……勇者」
「ヴェナ」
「お前の、その、十歳の妹を、見て、私は、お前に、ひとつ、聞きたい」
「……」
「お前は、本当に、ここを、吹き飛ばす気だったのか」
僕は、答えられなかった。
──そうだ、と、答えれば、僕は、もう、勇者ではなくなる。
──いや、と、答えれば、嘘になる。
僕は、ただ、両手の、黒い炎を、見つめていた。
そして、ゆっくりと、両手を、下げた。
炎が、消えた。
空が、ゆっくりと、元の、色を、取り戻した。
僕は、地面に、膝を、ついた。
──疲れた。
僕は、ものすごく、疲れた。
6
ヴェナは、しばらく、考え込んでいた。
それから、自分の組織のエルフたちに、命令した。
「妹を、解放しろ」
エルフたちが、ざわついた。
「姉様──」
「いいんだ。解放しろ」
ヴェナは、僕を、見た。
「勇者」
「ん」
「お前は、危険な、男だ」
「ああ」
「だが、その、十歳の妹が、いる限り、お前は、まだ、戻れる」
彼女は、ふっと、笑った。
「妹と、一緒に、お前の、隠れ家に、帰れ。私の組織は、お前を、追わない。だが──」
彼女の目が、鋭く、なった。
「お前が、もう一度、ここで見せた、あの、黒い炎を、使おうとしたら、私は、お前を、殺す」
「……」
「あの炎は、勇者の、使う、ものでは、ない」
ヴェナは、踵を、返した。
そして、自分の、エルフたちを、率いて、屋上を、去った。
ヴェイルが、台座から、解放され、よろよろと、立ち上がった。
ルナが、彼女に、駆け寄った。
「ヴェイルおねえちゃん」
「……ルナ」
ヴェイルは、ルナを、抱きしめた。
そして、僕を、見た。
彼女の目に、初めて、僕の知らない色が、浮かんでいた。
──恐怖、だった。
僕の、ヴェイルを、ヴェイルに、見させた、僕。
僕は、屋上の床に、両手を、つけた。
──ガルド。
──僕は、何をしようと、していたんだ。
◆ ◆ ◆
── 第十三章 了 ──
次章「狩人、撃たれる」へ続く




