つないだ手
2回目のデート。
今度は誰かに選んでもらうのではなく、灯が直人に会うための服を自分で選びます。
土曜日の朝、灯は開け放したクローゼットの前で、携帯電話を耳へ当てていた。
「真帆、この前と同じ服じゃ変かな」
『変ではないけど、また白と青の服を着るの?』
「だって、あれなら似合うって言ってもらえたし」
『倉田くんに?』
「直人くんにも。あと、真帆と陽流も選んでくれたでしょ」
電話の向こうで、真帆が短く息をついた。
『灯、私は毎回デートの服を決める係なの?』
「毎回じゃないよ。まだ2回目だもん」
『そういう意味じゃないんだけど』
呆れた声のあと、衣擦れの音が聞こえる。真帆も着替えているところだったらしい。
『今回は、灯が着たいものを選んだら? 倉田くんに会うのは灯なんだから』
「私が着たいもの?」
『そう。似合うかどうかは、そのあと写真を送ってくれたら見てあげる』
「結局見てくれるんだ」
『見ないと、灯が待ち合わせに遅れるでしょ』
電話を切り、灯はベッドの上へ並べた服を見た。誰かに選んでもらうのではなく、自分が直人と出かけるために着たいものを考える。
迷った末に選んだのは、淡いレモン色の半袖ブラウスと、紺色のキュロットだった。白い靴下にスニーカーを合わせ、肩に小さな鞄をかける。鏡の前で髪を整えて写真を撮り、真帆へ送ると、すぐに返事が届いた。
――いいと思う。子供っぽくて灯らしい。
褒められたのか疑いながら時計を見る。待ち合わせまでは、あと40分しかなかった。
*
玄関を出たところで、隣の家の門が開いた。
私服姿の陽流が、自転車を押して出てくる。灯の格好を見て一度だけ足を止め、それから鞄へ視線を移した。
「出かけるの?」
「うん。直人くんと駅前のショッピングモールに行くの」
「もうそんな時間なんだ」
「この服、変じゃないかな?」
尋ねると、陽流はすぐに答えず、レモン色の袖から足元のスニーカーまで灯を見た。
「変じゃないよ。似合ってる」
「本当?」
「うん」
陽流の言葉に灯はようやく安心して笑うことが出来た。
「真帆にも大丈夫って言われた。子供っぽいとも言われたけど」
「それは服のせいじゃないんじゃない?」
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ」
灯が言い返す前に、陽流は自転車へ跨がった。
「待ち合わせ、遅れないようにね」
「今日は大丈夫。まだ30分以上あるから」
「駅まで歩いて20分かかるだろ」
携帯電話で時刻を確かめる。服を選んでいる間に、思っていたより時間が進んでいた。
「やっば!行ってきます!」
灯が走りだすと、後ろから「転ばないようになー」と声が追いかけてきた。振り返って手を振る余裕はなく、そのまま駅へ向かう。
陽流に急かされなければ、今日も遅れるところだった。あとで礼を言おうと思いながら、灯は少しだけ速度を上げた。
*
待ち合わせ場所へ着いたのは、約束の4分前。
直人は駅前広場の時計台の下に立ち、携帯電話を見ていた。灯に気づくと画面をしまい、片手を上げる。
「おはよう。今日は間に合ったね」
「今日はって、前も遅れてないよ」
「でも、前は12分前に来たのに、今日は4分前」
「直人くん、私が来た時間まで覚えてるの?」
「待ってたから覚えてるよ」
当たり前のように答えた直人は、灯の服を見て少しだけ目を細めた。
「その色、似合ってる」
「子供っぽくない?」
「どうして?」
「真帆に言われたの」
「灯らしくていいと思うけど」
「直人くんまで、灯らしいって言うんだ」
「褒めたつもりなんだけど」
2人で笑い、駅前のショッピングモールへ向かった。
休日の館内は、夏の飾りつけでいつもより明るく見えた。吹き抜けには青い布が波のように吊られ、その下を親子連れや学生のグループが行き交っている。入口でもらった案内図を直人が広げたが、最初に向かう場所は決まっていた。
「まず本屋でいい?」
「うん。本も返したかったし」
灯は鞄から借りていた文庫本を取り出した。昨夜、最後まで読み終えたばかりで、表紙には持ち歩いている間についた灯の手の温度がまだ残っている気がした。
「どうだった?」
「面白かった。庭師さんは全然犯人じゃなかったけど」
「だから早すぎるって言っただろ」
「でも、途中から妹のほうが怪しいとは思ってたよ」
「本当に?」
「本当。証拠を隠したところまでは当たってた」
「俺、そこもわからなかった」
直人は悔しそうに本を受け取り、灯は覚えている場面を順に話した。登場人物の嘘に気づいたところ、最後に明かされた兄妹の約束、犯人が逃げなかった理由。直人は相槌を打ちながら聞き、ときどき自分の考えも挟む。
感想を最初に教えるという約束は、思っていたより長い会話になった。
本屋へ着くと、直人は迷わず文庫の棚へ向かった。同じ作家の本が並ぶ一角から、灯が読んだ物語の続編を抜き出す。
「昨日言ってたの、これ」
「今度は誰が犯人だと思う?」
「まだあらすじしか読んでないのにわかるわけないよ」
「じゃあ、一緒に読もうよ」
灯が同じ本をもう1冊棚から取ると、直人は少し驚いた顔をした。
「同じ本、買うの?」
「直人くんが読み終わるのを待って借りたら、感想を話すの遅くなるでしょ。同じ日に読み始めたら、途中でも話せるよ」
「でも、どこまで読んだか言わないと先の話をしそうだな」
「直人くんが?」
「灯が」
「私、そんなことしないよ」
「庭師が犯人だって、読む前から教えてきたけど」
「外れてたからいいでしょ」
結局、2人は同じ表紙の本を1冊ずつ買った。会計を終え、並べて持ってみる。自分で選んだ本なのに、直人と同じものを持っているだけで少し特別に見えた。
「どっちが先に犯人を当てるか勝負しよう」
「当てたことのない直人くんと?」
「今度は当てるよ」
「じゃあ、負けたほうが何か奢る?」
「いいよ。あとで変えたらなしだからね」
まだ1ページも読んでいないのに約束だけが増え、灯は買った本を大事に鞄へしまった。
*
昼食は、モールの上階にあるハンバーガー店。
窓際の席からは駅前の広場が見え、人の流れが小さく交差している。直人はポテトを1本ずつ食べながら、午前中に寄った店の中では文房具店が一番面白かったと言った。
「本屋じゃないんだね」
「うん、灯が試し書きした猫の絵、すごく上手かったから」
「えー、あれくらい誰でも描けるよ」
「俺が描いたの、猫に見えなかっただろ」
「たしかに。犬だと思った」
「小坂なら、もう少し言い方を考えてくれそう」
「真帆はもっとはっきり言うよ。『何これ』って」
直人が笑い、灯もポテトを摘みながら笑った。
学校で隣の席にいる時より、今日は話が途切れない。借りた本の感想や店で見つけたものなど、同じ場所を歩いたからこそ話せることが次々にできていく。
「付き合う前と、何か変わった?」
直人が不意に尋ねた。
「何が?」
「俺のこと。お試しで付き合ってから、少しは前と違って見えるのかなと思って」
灯は紙カップを持ったまま考えた。
直人が推理小説を好きなこと。意外と絵が下手なこと。待ち合わせには早く来ること。歩く時は、灯がついてきているか何度も振り返ること。付き合う前には知らなかったことが、少しずつ増えている。
「前より、直人くんのことを考えるようになったよ」
「本当に?」
「次はどこまで本を読んでくるかなとか、今日も早く待ってるのかなとか。メッセージが来たら直人くんだってわかるようにもなったし」
「音はみんな同じじゃない?」
「そうなんだけど、なんとなくわかるの」
直人は少し俯き、紙カップの蓋を指で押した。口元が緩んでいるのを隠そうとしているらしい。
「俺は、前よりずっと灯のことを考えてる」
「前から考えてたの?」
「好きなんだから考えるよ」
告白された時と同じ言葉なのに、歩道橋で聞いた時よりも近く感じた。灯は返事の代わりに飲み物へ口をつけた。冷たいはずなのに頬の熱は引かなかった。
*
午後は雑貨店を見たあと、ゲームセンターへ入った。
直人は競争するゲームなら得意だと言ったが、灯と並んで遊んだ車のゲームでは、最初の曲がり角で壁へぶつかった。灯も次の角で同じようにぶつかり、結局2人とも最下位を争う。画面に結果が表示されると、隣の席から顔を見合わせて笑った。
出口近くに置かれた写真シール機の前で、灯は見本の写真へ目を留めた。制服姿の女の子たちが、画面いっぱいに文字や絵を描いている。
「撮ってみる?」
「2人で?」
「ほかに誰もいないでしょ」
「こういうの、男も撮るの?」
「直人くんが嫌ならやめるけど」
「嫌なんかじゃないよ。ただ、どうすればいいのかわからなくて」
「私も真帆としか撮ったことないから、一緒だよ」
料金を半分ずつ出し、狭い撮影用の空間へ入った。画面に立ち位置が表示されるたび、2人は慌てて肩を寄せる。最初の1枚は直人だけ目を閉じ、次は灯が笑う前に撮影が終わった。
「もっとこっちに寄ってくださいって」
「これ以上?」
「画面が言ってるんだから仕方ないよ」
灯が直人の袖を引く。肩が触れた瞬間に撮影音が鳴り、画面には同じように驚いた顔の2人が映った。
撮影後の写真へ文字を入れる時も、直人は何を書けばいいのかわからず、ほとんど灯に任せた。灯は日付と小さな本の絵を描き、最後に2人の名前を並べる。
「これ、付き合ってるみたいに見えるね」
「付き合ってるんだよ、俺たち」
「へへへ、そうだった」
「忘れないでよ」
直人が本気で困った顔をしたため、灯は笑いながら謝った。
出てきた写真を半分に分ける。小さな枠の中で直人と肩を寄せている自分は、普段より少し大人びて見えた。
*
ゲームセンターを出る頃には、午後の館内は午前中より混んでいた。
吹き抜けの広場で催しが終わったらしく、親子連れの波が一斉に通路へ流れ込んでくる。灯は避けようとして壁際へ寄り、前を歩いていた直人との間に数人分の隙間ができた。
「直人くん」
声をかけても、周囲の話し声に紛れて届かない。立ち止まろうとしたところで、直人が人の間を戻ってきた。
「灯、こっち」
伸ばされた手が灯の手を掴む。
直人は人の流れを避けながら先に進み、灯もその手に引かれてあとを追った。掌から伝わる体温に気づいた途端、足の運び方までわからなくなる。灯の手を包む指には力が入り、直人も緊張していることが伝わってきた。
人の少ない通路へ出ると、直人は足を止めた。つないだ手を見下ろし、慌てたように離す。
「ごめん。勝手につないだ」
「はぐれそうだったからでしょ」
「それでも、先に聞いたほうがよかったかなと思って」
直人は一度離した右手を、行き場がないように体の横へ下ろした。周囲を歩く人は減ったのに、耳まで赤くなっている。
「……今度は、つないでもいい?」
差し出された手を見ているだけで、胸が速くなる。
付き合っている男の子と手をつなぐ。今までにも直人と並んで歩いたことはあるのに、掌1つぶんの距離がなくなるだけで、急にデートらしくなる気がした。
「うん。私も、つないでみたいな」
灯が手を重ねると、直人は壊れやすいものへ触れるように、指をそっと閉じた。けれど触れているだけに近く、歩きだせばすぐ離れてしまいそうだった。
「そんなに弱くつないだら、またはぐれるよ」
灯のほうから指へ少し力を入れる。
「これくらい?」
「たぶん」
「俺も手をつなぐの、初めてだからわからないよ」
「私も初めてだよ」
互いに正しいつなぎ方を知らないまま、2人はゆっくり歩きだした。
直人の右手と灯の左手が、歩くたびに小さく揺れる。話そうとすると手のことを忘れ、ふと黙れば触れ合った掌を意識する。その繰り返しで、駅前広場までの短い道が行きよりずっと長く感じられた。
*
帰る方向が分かれる歩道橋の前まで来ても、2人は手をつないでいた。
前回、直人が告白した時より陽は高く、階段の手すりが足元へ短い影を落としている。ここから先へ進めば灯の家へ近づくが、直人の帰り道からは遠くなる。
「今日はここで大丈夫だよ」
「もう少し送ろうか?」
「直人くん、遠回りになるでしょ」
「少しくらいなら」
「また今度ね」
灯が笑うと、直人も頷いた。それでも、どちらから手を離すのか決められないように、しばらくその場へ立ったままだった。
「月曜日、学校で」
「うん。同じ本、ちゃんと読んできてね」
「灯こそ。先を読んでも犯人は言わないでよ」
「当たったら言いたくなるかも」
「それなら俺も先に読む」
いつものように話している間も、つないだ手だけは恋人のままだった。
やがて灯が指を緩めると、直人の手もゆっくり離れていく。風に触れた左の掌が、急に涼しく感じられた。
「またね、直人くん」
「また月曜日、灯」
互いに手を振り、灯は歩道橋の階段を上った。途中で振り返ると、直人はまだ同じ場所にいる。もう一度手を振れば、直人も大きく振り返した。
*
夜、自分の部屋へ戻った灯は、机の上に今日の写真を並べた。
直人が目を閉じているもの。灯だけ笑うのが間に合わなかったもの。2人で同じように驚いているもの。最後の1枚には日付と名前が入り、肩を寄せて笑う姿が小さな枠の中へ収まっている。
その写真を携帯電話で撮り、真帆へ送った。
――今日、直人くんと撮ったよ。
返事はすぐに届いた。
――ちゃんとデートしてるね。
灯は少し迷ったあと、続けて文字を打った。
――手もつないだ。
今度は、返事が来るまで少し間があった。
――へえ。どうだった?
どうだった、と聞かれ、灯は左手を開いた。もう直人の体温は残っていない。それでも人混みの中で掴まれた時の驚きも、改めて差し出された手へ自分から重ねた時の緊張も、はっきり思い出せた。
――恥ずかしかったけど、うれしかった。
送ると、真帆から笑顔の絵文字と一緒に短い言葉が返ってくる。
――そっか。よかったね。
問い返すことも、からかうこともしない返事だった。
その直後、直人からもメッセージが届いた。
――今日はありがとう。手をつないだの、嫌じゃなかった?
別れたあとも同じことを考えていたのだと思い、灯は小さく笑う。
――嫌じゃなかったよ。私もつないでみたいって言ったでしょ。
すぐに既読がつく。
――よかった。俺は、すごくうれしかった。
画面に置かれた素直な言葉を読み、灯はもう一度左手を握った。
直人のことを知りたいと思う。会えば楽しく、次に会う約束ができれば嬉しい。つないだ手を思い出すと、今も少しだけ胸が速くなる。
これが好きになっていく途中なら、自分はきっと、前より直人へ近づいている。
お試しで始まった2人の関係は、つないだ手の温度だけ、昨日までより本物に近づいていた。
勝手につないだ手を一度離し、改めて灯の気持ちを尋ねる直人。
触れた手の温度だけ、お試しで始まった恋は本物へ近づきました。
次話「答えのない問題」へ続きます。




