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君だけに降る星  作者: 春待 ことり
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8/27

今までどおり

彼氏ができても、幼なじみがいなくなるわけではない。

灯はそう信じています。3人がそれぞれの「今までどおり」を探す1週間です。

 火曜日の朝、灯が玄関を出ると、門柱の前には誰もいなかった。


 約束の時刻までは、まだ1分ある。陽流が先に出ているはずはないと思い、灯は門扉のそばで待った。携帯電話を取り出し、画面の数字が変わるのを見届ける。さらに1分が過ぎても、隣の家の玄関は開かなかった。


 ――まだ?


 送ってから隣家の2階を見上げる。陽流の部屋のカーテンは閉まっていて、返事も来ない。


 寝坊したのかもしれない。珍しいこともあるものだと思いながら電話をかけると、呼び出し音が2度鳴ったところで切られた。代わりに短いメッセージが届く。


 ――もう学校に向かってる。


「え?」


 灯は画面を見たまま声を漏らした。


 どうして、と打つより先に鞄を抱え直し、門を飛び出す。いつもの道を早足で進み、角を2つ曲がったところで、見慣れた背中を見つけた。陽流は片方の肩へ鞄をかけ、1人で歩いている。


「陽流!」


 呼ばれて振り返った顔には、驚きよりも見つかったという気まずさが浮かんだ。灯は走って追いつき、その前へ回り込む。


「どうして待っててくれなかったの?」


「間に合ったんだからいいだろ」


「よくないよ。何も言わずに先に行くなんて」


「昨日、直人と付き合ったって聞いたから」


 言われた意味がわからず、灯は瞬きをした。


「それと、陽流が私を待たないことに何の関係があるの?」


「直人に悪いじゃないか。彼女が毎朝ほかの男子と学校へ行ってたら、嫌かもしれないだろ」


「ほかの男子って、陽流のことでしょ?」


「俺だって男子だよ」


 当たり前のことを言われたはずなのに、灯はすぐに返事ができなかった。


 陽流は陽流だ。隣の家に住んでいて、朝になれば門の前にいて、灯が遅れれば呆れながら待っている。男子かどうかを考えて一緒に歩いてきたわけではない。


「直人くんと付き合うことと、陽流と学校へ行くことは別でしょ」


「灯がそう思っても、直人は違うかもしれない」


「じゃあ、直人くんに聞く」


「そこまでして一緒に行かなくてもいいだろ」


 陽流が歩きだそうとしたため、灯はその制服の袖を掴んだ。


「陽流は、私と一緒に行きたくないの?」


 足が止まる。


 車の走る音が大通りから聞こえ、2人の横を自転車が通り過ぎた。陽流は灯の指が掴んでいる袖を見下ろし、ゆっくり顔を上げる。


「そうじゃないよ」


「じゃあ、勝手に先に行かないで」


「でも、全部今までどおりってわけにはいかないだろ」


「陽流がいなくなるわけじゃないんだから、今までどおりでいいでしょ」


「いなくならないよ」


 陽流はそれだけ答え、灯の手から袖を静かに抜いた。


「ほら、急がないと遅れる」


 並んで歩きだしたものの、いつもの朝には戻らなかった。灯が話しかければ陽流は返事をする。狭い道で車が来れば、何も言わず車道側へ移る。それでも2人の間には、昨日までなかった言葉が落ちている。


 全部、今までどおりにはいかない。


 なぜ陽流がそう決めるのか、灯にはまだわからなかった。


     *


 教室へ着くと、直人はすでに自分の席にいた。灯を見るなり挨拶をしかけ、その後ろから入ってきた陽流へ視線を移す。


「おはよう。2人とも走ってきた?」


「私は途中だけ。陽流が置いていくから追いかけたの」


「置いていったわけじゃないよ。先に出ただけ」


「それを置いていったって言うんでしょ」


 灯が言い返しても、陽流は鞄を持ったまま自分の席へ向かった。直人はその背中を見送ったあと、灯へ向き直る。


「何かあった?」


「直人くんに聞きたいことがあるの」


 机へ鞄を置くより先に言うと、直人の肩がわずかに強張った。付き合い始めて最初の朝に何を聞かれるのかと、身構えたらしい。


「私が陽流と学校に来るの、嫌?」


「え?」


「陽流が、直人くんに悪いからもう一緒に行かないほうがいいって。私は今までどおりでいいと思うんだけど」


「湊が、そう言ったの?」


「うん。だから今日は先に行ったの。直人くんが嫌なら考えるけど、本当に嫌?」


 直人はすぐには答えなかった。灯から教室の後ろへ目を向ける。陽流は席に着き、こちらへ背を向けたまま教科書を机の中へ入れていた。


「正直に言えば、少しは気になる」


「やっぱり嫌なんだ」


「最後まで聞いて」


 直人は困ったように笑い、机の上へ置いた筆箱の向きを直した。


「灯と湊が幼なじみなのは、告白する前から知ってたから。今までしてきたことまで、俺と付き合ったからって急に変えてほしいとは言わないよ」


「じゃあ、明日からも一緒に来ていい?」


「いいよ」


 直人は頷いたあと、少しだけ視線を逸らした。


「その代わりって言うのも変だけど、帰りは、たまに俺と一緒に帰ってほしい」


「たまにでいいの?」


「毎日って言ったら、小坂に怒られそうだし」


「そこは私が決めるところじゃない?」


「そうでした」


 素直に言い直した直人がおかしくて、灯は笑った。


「帰れる日は一緒に帰ろう。私も直人くんと話したいし」


「うん。ありがとう」


 直人の表情が明るくなる。少し離れた席で朝の読書をしていた真帆が、本から目だけを上げた。灯と目が合うと何も言わず、また同じ行へ視線を戻す。けれどページはしばらくめくられなかった。


     *


 1時間目が終わると、灯はすぐに教室の後ろへ向かった。


 陽流は数学の問題集を開いていた。休み時間になったばかりなのに、授業で解き終えなかった問題の続きをしている。灯が机の横へ立っても顔を上げないため、開いたページの上へ手を置いた。


「見えないんだけど」


「直人くんはいいって」


 動いていたシャープペンシルの先が止まった。


「朝、一緒に来てもいいって言ってた」


「本人がいいなら、いいんじゃない」


「じゃあ明日から待っててね」


「灯が時間どおりに来たらね」


「今日は私が待ったよ」


「2分だけだろ」


「陽流がいつも数えてるから、私も数えたの」


 灯が手を退けると、陽流は問題集へ視線を戻した。けれどシャープペンシルは動かず、灯の手に隠れていた問題の答えは、とっくに書き終わっている。


「帰りは、たまに直人くんと帰るから」


「それは俺に言わなくてもいいよ」


「でも、待ってたら困るでしょ」


「もう勝手に待たないから大丈夫」


 朝の仕返しのように聞こえ、灯は眉を寄せた。陽流はそこでようやく顔を上げ、少しだけ笑う。


「冗談だよ。帰る時は連絡して」


「うん。ちゃんとする」


 いつもに近い顔を見られたことに安心し、灯は自分の席へ戻った。


 真帆が椅子を反対向きにして座り、待っていたように灯を見上げる。


「無事、今までどおりになった?」


「なったよ。直人くんもいいって言ってくれたし、陽流も明日から待ってくれるって」


「そっか」


「何、その顔」


「別に。灯の彼氏は心が広いなと思って」


「陽流も変なこと気にしすぎだよね」


「うん。そうかもね」


 真帆はそれ以上何も言わず、自分の席へ戻った。


     *


 翌朝、門を開けると、陽流はいつもの門柱にもたれていた。


 灯の顔を見る前に携帯電話の画面を確かめる。


「1分遅い」


「待ってたのに遅刻した人と、先に行った人なら、どっちが悪いと思う?」


「昨日の話、まだ続いてるの?」


「陽流が1分くらいで文句を言うからでしょ」


 灯が隣へ並ぶと、陽流は少しだけ歩幅を緩めた。昨日は何度話しかけても埋まらなかった隙間が、それだけで元の広さへ戻ったように思えた。


 学校では、直人との時間も少しずつ増えていった。


 水曜日の昼休み、直人は弁当と一緒に1冊の文庫本を机へ置いた。紺色の表紙に、鍵のかかった古い洋館が描かれている。


「この前言ってた本?」


「うん。灯も推理小説を読んでみたいって言ってただろ。これなら読みやすいと思って」


「貸してくれるの?」


「俺が最初に読んだ推理小説。犯人は最後までわからなかった」


「直人くんは、どの本でもわからないんじゃなかった?」


「それは言わなくていいから」


 灯は表紙を開き、最初のページに書かれた登場人物の一覧へ目を通した。知らない作家の、今までなら手に取らなかったかもしれない本だった。


「読み終わったら、感想教えて」


「犯人がわかっても言わないほうがいい?」


「絶対に言わないで。灯が先に当てたら悔しいから」


「じゃあ、直人くんにだけは秘密にするね」


 2人で話していると、真帆が自分の弁当を持って前の席へやってきた。


「今日は私も一緒でいい?」


「もちろん。ね、直人くん」


「俺に確認しなくても、小坂が灯と食べるのはいつものことだろ」


「倉田くん、ちゃんとわかってるね」


 真帆は満足そうに椅子へ座り、3人で机を囲んだ。付き合い始めたからといって、昼休みをいつも2人きりで過ごすわけではない。それでも机の端には直人が選んでくれた本があり、灯には昨日までなかった約束が1つ増えている。


 放課後になれば、直人と途中の交差点まで一緒に帰った。


「どこまで読んだ?」


「まだ最初の事件が起きたところ。庭師の人が怪しいと思う」


「早すぎるだろ。まだ全員出てきてもいないよ」


「最初から出てくる人ほど怪しいって聞いたことあるよ」


「誰に?」


「陽流」


 答えたあと、直人が一瞬黙ったことに気づいた。灯は文庫本を抱えたまま、その横顔を覗き込む。


「やっぱり、陽流の話をするの嫌?」


「嫌じゃないよ。ただ、灯の中では何の話をしても湊に繋がるんだなと思って」


「家も隣だし、小さい頃からずっと一緒だから」


「うん。知ってる」


 直人は笑った。いつもと同じ笑い方だったが、少しだけ無理をさせた気がして、灯は次に何を話せばいいのか迷った。


 その沈黙を埋めたのも、直人だった。


「でも、その本を貸したのは俺だから。読み終わった時の感想は、最初に俺へ教えて」


「うん。それは約束する」


 灯が答えると、今度は直人も本当に嬉しそうに笑った。


     *


 木曜日の体育では、男子が校庭でサッカーをしていた。


 女子は体育館へ移動するため、灯は渡り廊下の窓からグラウンドを見下ろした。直人が相手のボールを奪い、そのまま前へ走る。少し離れたところにいた陽流へ蹴ると、陽流は足元で受け、すぐに直人へ返した。2人の間をボールが往復し、最後は直人がゴールへ蹴り込む。


 男子の歓声が窓越しに聞こえた。直人は陽流の肩を叩き、陽流も何か言い返している。


「普通に話すんだね」


 灯が呟くと、隣で髪を結んでいた真帆が窓の外を見た。


「何が?」


「陽流と直人くん。私が直人くんと付き合ったら、気まずくなるのかなって少し思ってたから」


「湊くんと倉田くんは、灯だけで友達になったわけじゃないでしょ」


「そうだよね」


「それに、2人とも灯より大人だから」


「どういう意味?」


「そのままの意味だよ」


 真帆は結び終えた髪を背中へ払い、先に体育館へ向かった。


 灯はもう一度だけ校庭を見る。陽流からボールを受けた直人が、今度は別の男子へパスを出していた。今までどおりに見える2人を確かめ、灯も真帆のあとを追った。


     *


 金曜日の朝も、陽流は門柱の前で待っていた。


 灯は時間どおりに家を出たつもりだったが、陽流は携帯電話の画面を見て首を傾げる。


「今日は早いね」


「遅れても早くても何か言うの?」


「灯が時間より前に出てくるの、珍しいから」


「陽流がまた先に行かないように急いだの」


「もう行かないよ」


 その返事を聞き、灯は満足して隣へ並んだ。


 歩き始めたところで、鞄の中から携帯電話の振動が伝わる。画面には直人からメッセージが届いていた。


 ――明日、駅前のショッピングモールに行かない? この前言ってた本の続きもあると思う。


 灯は歩きながら返事を打ちかけ、前から来た自転車に気づくのが遅れた。陽流が灯の肩を軽く引き、自分が外側へ入れ替わる。


「歩きながら見ると危ないよ」


「ごめん。直人くんからだった」


「そう」


「明日、駅前のショッピングモールに行かないかって。2回目のデートになるのかな」


「付き合ってるなら、なるんじゃない」


「そっか」


 ――行きたい。何時にする?


 送信すると、すぐに既読がついた。待っていたのだろうかと思うと嬉しくなり、灯は画面を見たまま笑った。


 その隣で、陽流は何も尋ねずに歩いている。自転車が通り過ぎても車道側から戻らず、灯が白線の内側にいることを時々確かめていた。


「やっぱり朝は、陽流と一緒が落ち着く」


 灯が言っても、陽流は答えなかった。


 ただ少しだけ歩幅を緩め、灯が携帯電話を鞄へしまうまで隣を歩いた。


 灯は、朝だけは今までどおりに戻ったのだと思った。


 陽流がその言葉に何も答えなかった理由までは、まだ考えなかった。

直人との新しい約束を増やしながら、朝だけは陽流の隣へ戻る灯。

今までどおりに見えるほど、3人の距離はもう同じではありません。

次話「つないだ手」へ続きます。

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