君にだけ降る星
ずっと隣にいたから、いつから好きだったのかはわからない。
それでも、これから誰の隣にいたいのかは、もう2人とも知っています。
幼なじみとして続いてきた時間の、その先へ。
最後まで見届けていただけましたら幸いです。
白い花火が夜空いっぱいに開き、無数の光が尾を引きながら川へ降っていく。
遅れて届いた音が土手を震わせると、河原にいた人々から歓声が上がり、灯も思わず身体を前へ乗り出した。
真帆に結ってもらった髪の白い花が揺れ、浴衣の袖が膝の上から草へ落ちる。
「すごい」
花火の明かりが消える前に次の光が上がった。
青い花が低い位置で開き、その上へ一回り大きな金色が重なる。川面には形を崩した光が流れ、橋の欄干や河原に並ぶ人々の横顔が、明るくなっては暗闇へ戻った。
灯は空を見上げたまま、次にどこから上がるのか探していた。
陽流は、その隣で灯を見ている。
家の前で初めて浴衣姿を見た時から、言おうと決めていた言葉は変わっていない。
射的で笑っている時も、肩が触れた時も、ここまで来れば言えると思っていた。それなのに花火が始まると、灯の横顔から目を離せなくなり、最初の1発が消えても声を出せなかった。
「陽流、見て。今の星みたい」
灯が夜空を指すと小さな金色の光が、中心から何十個も弾けている。大きな花火ほど長くは残らず、瞬く間に黒い空へ溶けていった。
「うん、見てるよ」
「ほら!空のほう」
「ああ、見てる」
答えながらも、陽流の視線は灯の指先から横顔へ戻っていく。
白い光が開くたび、灯の睫毛の影まで見える。
消えれば輪郭だけが暗がりに残っていく。
祭りへ来る前、灯は自分にも伝えたいことがあると言った。その答えを聞くのが怖くないわけではなかった。
それでも今夜は、怖いから黙ることをやめるために灯を誘った。
陽流は草の上へ置いていた右手を握り、指先へついた土を払った。
「灯、伝えたいことがある」
「うん。何?」
灯の顔が空から陽流へと向き直る。
次の花火が打ち上がる前の、短い静けさだった。遠くの祭囃子と川の音だけが聞こえ、今なら届くと思った。
「俺、灯のことが――」
腹の底まで響く音が、言葉の途中へ落ちた。
視界の端から赤い光が広がり、夜空へ大きな円を描く。続けて何発も打ち上がり、陽流の声は歓声と轟音の中へ完全に消えた。
灯は目を瞬き、陽流へ身体を寄せた。
「今、何て言ったの?」
「聞こえなかった?」
「最初しか聞こえなかった」
「そっか」
陽流は一度、空を見上げた。
以前なら、何でもないと言って終わらせていた。聞こえなかったのなら仕方がないと、自分が黙るための理由にできた。
けれど真帆に、本当にそれでいいのかと尋ねられた。
直人には、自分でちゃんとしろと言われた。
灯からは、今度は陽流から聞いてと言われている。
1度消されたくらいで、終わらせることなどできなかった。
「もう1回言う」
少し驚いたように陽流を見て灯は姿勢を正した。
「うん」
花火はまだ続いており、緑と青の光が川の上へ広がって、2人の間へ何度も影を落とす。大きな音の切れ目を待っているうちに、陽流はまた言えなくなりそうだった。
花火の音に負けないよう灯のほうへ身体を向けている。
「灯が好きだ」
声が、次の打ち上げ音より先に届く。
陽流の目を見たまま、膝の上に置いていた手を浴衣の袖ごと握っている。空では金色の花火が開いていたが、そちらを振り返ることはない。
陽流も視線を逸らさなかった。
「ずっと前から。たぶん、自分で気づくより前から、灯が好きだった」
言葉にするたび、胸の中に隠していたものが形となっていく。
毎朝、門の前で2、3分待つこと。灯が熱を出せば母親が帰るまで隣にいること。
窓の明かりが消えれば、もう一度つくまで眠れないこと。
好きな色を間違えれば悔しくて、新しく好きになったものは覚えていたいと思うこと。
どれも幼なじみだからだと思っていた。
そう呼んでいれば、灯が誰かを選んでも隣にいられると思っていた。
「灯が決めたことだからって、勝手に諦めてごめん。倉田なら大丈夫だって、自分で離れようとしてごめん」
直人の名前を口にすると、陽流の声がわずかに詰まった。それでも灯から目を逸らさず、最後まで続ける。
「もう、灯が決めたことに隠れない。俺は灯の隣にいたい」
陽流は一度、息を吸った。
「幼なじみじゃなくて、俺と付き合ってほしい」
灯の後ろで大輪の花火が開くと一面の夜を黄金色に染め抜いて行く。
薄紫の光が髪の輪郭をなぞり、白い花飾りを一瞬だけ明るくする。灯は何かを言おうとして唇を開いたが、声になる前に大きな音が重なった。
次に聞き取れなかったのは陽流の方。
「何て言った?」
灯は少しだけ目を細めた。
「陽流も聞こえなかったの?」
「聞こえなかった」
「じゃあ、おあいこだね」
家を出た時と同じ言葉が夜空に吸い込まれていく。
陽流は返事を待っていた。
一瞬とも永遠とも思える沈黙の中、灯の横顔には笑みが残っている。
嫌ではないことはわかっても、聞きたい言葉を自分の都合で決めるわけにはいかない。
次の花火が消えたあと、打ち上げが一度途切れる。
余韻の音が遠くへ流れ、河原へ静けさが戻ってくる。夜空には薄い煙が漂い、その向こうから小さな星が1つだけ見えた。
灯は陽流へ向き直った。
「私も、陽流が好き」
灯自身の声が、川の音よりも近く、陽流へ届いた。
「直人くんと付き合う前から好きだったのかは、わからない。陽流とずっと一緒にいたから、どこからが好きなのかも、今でもわからない」
灯は膝の上で握っていた手をほどいた。浴衣の袖に残った皺を撫でながら、自分の中にあるものを順番に言葉へ変えていく。
「でも、陽流が私から離れようとした時、嫌だった。窓の明かりが消えた時も、もう合図できなくなると思った時も、嫌だった」
橋の上で涙があふれた理由を、あの夜は陽流へ話せなくとも、今なら、何も間違えずに伝えられる気がする。
「陽流が、私の知らない誰かを好きになるのも嫌。陽流のことをいちばん知ってるのが、私じゃなくなるのも嫌」
少しわがままな言葉だと我ながら思う。それでも灯は取り消さない。なぜなら、きれいな気持ちだけを選ぶのではなく、自分の中にあるものを全部渡したかったから。
「これからも陽流の隣にいたい。幼なじみじゃなくても、ずっと一緒にいたい」
暗がりの中で何度か瞬きをし、灯の言葉を確かめるように口を閉じている。聞こえなかったのかと思い、灯はもう少し近づいた。
「陽流?」
「聞こえてる」
「じゃあ、何か言ってよ」
「本当に?」
「本当って何が?」
「俺と付き合ってくれるの?」
告白したのは陽流なのに、灯が答えるまで信じられない顔をしている。
「陽流が聞いたんでしょ」
「聞いたけど」
「だから答えてるの」
「もう1回、ちゃんと言って」
「陽流、何回聞くの?」
「最後だから」
「何が最後?」
「付き合う前に聞くのが」
陽流の答えを聞き、灯は少しだけ笑った。
橋の上で泣いた時には、恋人ならキスをするものだと思い、自分の気持ちより先に目を閉じた。今は誰かに教えられた順番ではなく、自分で答えを選べる。
陽流の瞳に照れ笑いする灯が写っている。
「うん!私、陽流と付き合いたい」
言い終えると同時に陽流の肩から力が抜けていく。
大きく息を吐き、顔を伏せる。笑っているようにも、泣きそうになっているようにも見えた。灯が覗き込もうとすると、陽流は片手で目元を隠した。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
「何でもない顔じゃないよ」
「灯がすぐ見るからだろ」
「隣にいるんだから見えるよ」
灯が言うと、陽流は手を下ろした。
花火の光がなくても、その表情はわかった。長い間、言わずにいたものをようやく渡し、灯から返された答えを抱えきれずにいる顔だった。
「灯」
「何?」
「ありがとう」
「私も、言ってくれてありがとう」
2人の間へ、静かな風が通った。
付き合うことになったからといって、急に何をすればいいのかはわからない。肩が触れそうな距離も、話す時に名前を呼ぶことも、昨日までと同じだった。
しかし、今は同じではない。
陽流はもう、灯が決めたことだからと離れない。灯も、陽流が何も言わなくてもわかると思わない。幼い頃から続いてきた時間の先を、今度は2人で選んだ。
場内放送が、最後の連続花火を知らせた。
河原のあちこちで人が空を見上げる。灯と陽流も並んだまま顔を上げたが、先ほどまでより互いの肩が近かった。
1本の光が、川の向こうから昇った。
高い場所で赤い花火が開く。続いて白、青、金色の光が重なり、夜空の黒を埋めていった。いくつもの音が途切れず響き、川面も土手も、そこにいるすべての人を明るく照らす。
最後に、ひときわ大きな赤い花火が開いた。
丸い光が灯の視界を満たし、ゆっくり形を崩しながら降ってくる。
同じ赤を、灯はずっと前にも見ていた。
*
幼い灯の足元で、赤いりんご飴が土の上を転がっていた。
透明な飴には細かな砂がつき、丸い表面の一部が欠けている。落とした時に棒が外れ、少し離れた場所へ転がっていた。拾っても、もう食べることはできなかった。
灯は淡い桃色の浴衣を着ていた。裾には小さな金魚が泳ぎ、赤い帯が背中で大きく結ばれている。肩に届かない黒髪は短い2つ結びにされ、泣くたびに左右の毛先が揺れている。
両手で目元を拭っても、涙は次々にあふれた。
同じように浴衣を着た陽流が、その前に立っていた。まだ灯とほとんど背丈は変わらず、片手には自分のりんご飴を持っている。人の流れから灯を守るように少し前へ出ながら、困った顔で地面の赤い飴を見た。
「泣くなよ灯」
「だって陽流と一緒に食べたかったんだもーん」
灯の声は泣きすぎて途切れ、最後の言葉が長く伸びた。
陽流は自分のりんご飴と、泣いている灯を見比べた。半分にできるか考えたように棒を持ち直し、それから屋台の並ぶ参道へ顔を向ける。
「もう1個買うから行こうぜ、ほら」
陽流が空いている手を差し出した。
小さな掌が、提灯の赤い光の下で灯の手を待っていた。灯は涙で濡れた手を浴衣へ擦り、まだ鼻をすすりながら、その手を握った。
「うん」
あー、そっか。わたしあの時から好きになってたんだ
幼い自分の声に重ねるように、灯の唇がほんの少しだけ動いた。
その言葉は、最後の花火の余韻に紛れ、陽流にも届かなかった。
花火が終わったあとの参道を、浴衣姿の2人が並んで歩いている。
祭りを出る人の流れはゆっくりで、屋台の明かりも少しずつ落ち始めている。真帆が結った灯の髪には白い花がまだ残り、淡い黄色の浴衣の隣で、陽流の紺色の袖が揺れていた。
灯の右手は、陽流の左手とつながっていた。
転ばないためでも、はぐれないためでもなかった。どちらから差し出したのかを確かめる必要もなく、指と指が互いの間を埋めるように重なっている。
幼い頃より大きくなった手は、あの夜と同じ温もり。
参道を抜けると、頭上から提灯の列の間隔が次第に伸びてゆく。
花火の煙が風に流れたあとには、小さな星がいくつも戻っている。派手な光が消えても、星はずっとそこにあった。
灯と陽流は手をつないだまま、同じ歩幅で家へ続く道を歩いていった。
幼い灯の「うん」から、現在の2人が手をつないで歩く後ろ姿へ。
泣いていた灯へ陽流が手を差し出したあの夜から、自分たちの意志で同じ手を選ぶこの夜まで、2人の間には数えきれない時間が流れました。
派手な花火が消えたあとにも、星はずっとそこにある。
気づくより前からそこにあった、2人の気持ちと同じように。
全26話、最後まで『君だけに降る星』をお読みいただき、本当にありがとうございました。




