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君だけに降る星  作者: 春待 ことり
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23/27

今度は自分で

「灯が決めたことだから」


そう言って一歩下がることは、いつも灯を思う優しさだったのでしょうか。

今度は誰かの決断に隠れず、陽流自身が選ぶ番です。

直人の姿が駅前の人混みへ消えたあとも、灯はしばらくベンチの前に立っていた。


 大きな時計の針が10時半を過ぎ、待ち合わせに来た時より人の流れが増えている。昨日は直人と手をつないで歩いた道を、今日は1人で戻っている。


 別れ際に返した「またね」という言葉が、何度も耳の奥へ戻ってきた。次に会った時、どんな顔をすればいいのかもわからない。それでも直人と過ごした時間を、最後の会話だけで悲しいものに変えたくはなかった。


 駅前を離れ、住宅街へ入ると陽射しは昨日と変わらず強く、塀の上では濡れた洗濯物が風に揺れていた。世界のどこにも、恋人と別れた印は残っていない。ただ、隣を歩いていた人がいないぶん、道だけが少し広く見えた。


 家へ着く前に、陽流へメッセージを送る。


 ――今、話せる?


 既読はすぐについた。


 ――話せるよ。


 灯は自宅の門を通り過ぎ、隣の家の呼び鈴を押した。


 直人とのことを話す前に、確かめなければならないことがある。自分が泣いたことで陽流が誰かを傷つけたのなら、それを幼なじみだからで済ませるつもりはなかった。


 玄関を開けて陽流が顔を出した。外へ出るつもりだったのか、薄い灰色の半袖シャツに着替えていたが、左の頬には昨夜までなかった青い痕が残っている。唇の端も少し腫れていた。


「陽流も、ひどい顔」


「『も』ってことは倉田に会ったの?」


「うん。直人くんも同じような顔してたし」


 陽流は気まずそうに視線を逸らした。


「部屋で話す?」


「話す。聞きたいことがあるから」


 先に靴を脱いだのは灯の方。


     *


 陽流の部屋へ入ると、机の上に新しい問題集が開いたまま置かれていた。買ったばかりの折り目が背表紙に残り、昨日の朝には閉まっていたカーテンが今日は半分だけ開いている。


 何度も入った部屋だった。ベッドと机の間を通る時に避ける鞄の位置も、窓際だけ床の色が少し薄いことも知っている。昨日までは何も考えずに座っていたのに、自分の気持ちへ名前をつけたあとの今日は、同じ部屋がほんの少しだけ狭く感じられた。


 けれど今は、それを意識している場合ではない。陽流が顔を背けても、昼の光の中では腫れた頬を隠しきれなかった。


 ベッドの脇には、布で包まれた保冷剤が置かれている。


「それ、頬に当ててたの?」


「母さんに見つかったから。転んだって言ったけど、信じてなかった」


「私も信じなかったよ」


 灯は保冷剤を取り、陽流へ差し出した。


 布の表面には溶けた水が滲み、指へ冷たさが移った。陽流は机の脇へ立ったまま、受け取ろうとしない。


「まだ冷たいから、ちゃんと当てて」


「もういいよ」


「よくない。腫れてるもん」


 陽流が受け取らないため、灯は自分で布を左の頬へ当てた。


 触れた瞬間、陽流が顔をしかめる。

「いっ‥‥!」

 すぐ近くで見ると、青い痕は頬骨の下まで広がっていた。昨夜、窓の向こうに明かりが戻ったことだけを確かめて安心していた自分が、何も知らなかったのだと思い知らされる。


「痛い?」


「押すからだろ」


「軽く当ててるだけだよ」


「灯の軽くは信用できないから」


 いつもなら言い返していた。けれど今日は、保冷剤を持つ手を少し緩めるだけにした。


「陽流が先に直人くんを殴ったの?」


 陽流の表情から、わずかに力が抜けるのがわかる。


「……うん」


「どうして」


「灯が泣いてたから」


「私、直人くんは悪くないって言ったよね」


「聞いたよ」


「ちゃんと聞いてくれて、私がいいって答えて、震えたら止まってくれたの。直人くんは何も悪いことしてないよ」


「わかってる」


「わかってるのになんで殴ったの?」


 陽流は答えなかった。


 沈黙が肯定の代わりとなる。灯は、自分の涙が陽流の怒る理由に使われたことが嫌だった。直人を庇いたいだけではない。自分で「いいよ」と答え、自分でもわからないまま泣いたことを、誰か1人の悪さに置き換えられたくなかった。


 灯は保冷剤を頬から離し、机の上へ置いた。


「私が泣いたからって、勝手に直人くんを悪い人にしないで」


「悪い奴だと思ったわけじゃない」


「じゃあ、どうして」


「頭にきたんだよ」


「それが勝手だって言ってるの」


 灯の声が少し大きくなった。


 陽流は俯き、腫れていないほうの頬を指で掻いた。


「‥‥ごめん」


「私に謝ってもだめだよ」


「あいつにも謝る」


「絶対だよ」


「うん」


 灯は陽流を見たまま、しばらく何も言わなかった。


 陽流の右手の指にも、小さな擦り傷が残っている。灯はそこへ視線を落とし、昨夜その拳が直人の頬へ当たったところを想像して、もう一度腹を立てた。


 怒っているはずなのに、左の頬に残った痕を見ると痛くないか気になる。もう一度保冷剤を持ち、今度は先ほどより力を抜いて当てた。


「まだ怒ってるんじゃないの?」


「怒ってるに決まってるじゃん」


「じゃあ、放っておけばいいだろ」


「怒ってても、痛そうなのは嫌だもん」


 陽流は何かを言いかけ、やめる。


 灯の指先と陽流の頬の間には、薄い布と冷たい保冷剤がある。それでも陽流は落ち着かないように視線を窓へ向けた。灯はその理由へ気づかず、腫れが少しでも引くように当てる場所をゆっくり変えた。


 灯も、それ以上は何も言わずに保冷剤を持っていた。布越しの冷たさが指へ移り、陽流の頬から少しずつ熱を奪っていく。


「直人くんと、別れたよ」


 陽流の肩がわずかに動いた。


 頬へ当てていた保冷剤が、2人の間で小さく軋んだ。陽流は喜ぶことも、驚くことも許されないように表情を固めたまま、灯の次の言葉を待っている。


「……そっか」


「陽流と喧嘩したからじゃないよ」


「うん」


「私が考えて、自分で決めたの」


「うん」


「直人くんと付き合ったことも、後悔してない」


「うん」


 陽流は短く答える事しかできなかった。


 灯は、陽流が直人のことを悪く言わないように黙っているのだとわかっているし、別れたと聞いて自分に都合のいい意味を探さないよう、意識して一歩下がっていることもわかる。


 それは確かに優しさだった。けれど今の灯が欲しいのは、何も尋ねずに守られることだけではない。


 灯は少しだけ不満になった。自分でも何を言ってほしいのかわからないまま、保冷剤を持つ指へ力が入りそうになり、慌てて緩める。


「何か聞かないの?」


「何を?」


「どうして別れたのかとか」


「だって今、聞いていいのかわからないから」


「灯が話したくなったら聞く。でも、俺から聞いたら、また勝手なことをしそうだからさ」


 昨夜までなら、その答えで納得していたかもしれない。


 灯が決めたことだからと、陽流は何度も一歩下がった。灯も、それが自分を大切にしてくれているのだと思っていた。


 けれど今は、その優しさが少しだけ遠く感じた。


 陽流が自分から何も望まなければ、灯はまたその気持ちを知らないままになる。橋の上で泣くまで、自分自身の気持ちさえ知らなかった灯には、陽流が黙って差し出す優しさの奥まで見つけることはできない。


「そう」


 灯は保冷剤を陽流へ渡した。


「もう自分で持って」


「うん」


 陽流が受け取る。


 灯は立ち上がり、鞄を肩へ掛けた。


「帰るの?」


「帰るよ。話は終わったもん」


「そっか」


 また同じ返事だ。


 灯は扉へ向かい、取っ手へ手を掛ける。


「ねぇ、陽流」


「何?」


「直人くんと仲直りしてね」


「わかった」


「それから」


 灯は振り返った。


 昨夜、自分の部屋では言えた言葉が、陽流を前にすると喉の手前で止まる。直人と別れた直後に伝えていいものなのか、自分でもまだわからなかった。


「……何でもない」


「何だよ、それ」


「今は言わない」


 灯は扉を開けた。


「でも、今度は陽流から聞いて」


 陽流が目を見開く。


 灯はそれ以上の手がかりを渡さなかった。今ここで自分から言えば、直人と別れた寂しさを埋めるために陽流を選んだように見えてしまう気がした。それだけは嫌だった。


 灯は答えを待たず、部屋を出る。


 廊下を遠ざかる足音が聞こえなくなっても、陽流は保冷剤を頬へ当てたまま動けなかった。冷たさよりも、先ほどまで灯がそこへ手を添えていた感覚のほうが、いつまでも残っていた。


     *


 翌日の夕方、陽流は河原へ向かっていた。


 直人へ謝りたいとメッセージを送ると、返ってきたのは短い文章。


 ――昨日の場所でいい?


 階段を下りると、直人は先に来ており、昨日2人で倒れ込んだ草の近くに立ち、川を見ている。白いシャツの肩には黒い鞄が掛かっていた。


 夕方の河原には昨日より風があり、踏み倒された草だけが喧嘩の跡を残していた。川の流れも橋の影も変わらないのに、そこへ向かう足取りは昨日とはまるで違った。


「早かったな」


 直人が振り返る。


 陽流はその顔を見て、思わず足を止めた。昨日より頬の腫れが濃くなり、口元の傷も目立っている。


「随分ひどい顔だな」


「お前に言われたくないよ」


 直人も陽流の頬を見て笑った。傷が痛んだらしく、すぐに顔をしかめる。


「笑うと痛いんだ」


「じゃあ笑うなよ」


「湊の顔がおかしいから無理」


「お前も同じようなものだろ」


 陽流も少し笑い、頬の痛みに手を当てた。


 昨日は互いの顔を見るだけで腹が立った場所に、今日は同じ傷をつけて立っている。


 笑えたからといって、昨日のことがなかったことになるわけではない。陽流は頬から手を下ろし、直人の正面へ立った。言いにくいことから逃げないために、自分からここへ来たのだと胸の中で確かめる。


「昨日、先に殴ってごめん」


 陽流が頭を下げた。


「うん。俺も殴り返してごめん」


 直人も軽く頭を下げた。どちらが深く下げたか、どちらの拳が強かったかを比べるような空気はもうなかった。謝罪のあとに残った気まずさを、川を渡る風が少しだけ薄めていく。


「灯に謝れって言われたよ」


「俺も、喧嘩したことは灯のせいじゃないって言っておいた」


「そっか」


「その返事、灯の前でもした?」


「何で?」


「少し怒ってなかった?」


 陽流は昼前の灯を思い出した。


 保冷剤を持つ手は優しかったが、帰る時の声は少し固かった。


「怒ってたよ、かなり」


「やっぱり」


「何がやっぱりなんだよ」


「別に」


 直人は川へ向き直った。


「灯から聞いたと思うけど、俺たち別れたよ」


「そう聞いてる」


「理由もか?」


「いや、そっちは聞いてない」


「聞かなかったのか?」


「今聞いたら、また勝手なことしそうだったから」


 直人は呆れたように息を吐いた。


「本当に、そういうところだよ」


「何がだよ」


「俺には殴りながら好きだって言えたのに、灯には何も聞けないんだな」


「昨日別れたばかりだろ。今すぐ何か言えるわけない」


「今すぐ告白しろとは言ってないよ」


 直人は足元の草を靴の先で払った。


「でも、何も言わずにまた離れるのは違うだろ」


「灯がどう思ってるか、お前は知ってるの?」


「知ってても言わないね」


 直人の言葉に迷いはない。


 その横顔に、灯と別れた痛みが消えたわけではない。陽流は初めて、直人が灯の気持ちを知っていながら、それを自分への手土産にはしないのだと理解した。


「灯が俺に話したことだから。聞きたいなら、自分で灯に聞けよ」


 それは昨日、直人が言った言葉と同じだった。


 自分で言え。


 今度は灯に。


 昨夜は怒りに任せて叫べた言葉が、灯を前にすると声にならない。直人はそこまで見抜きながら、答えだけは渡さなかった。


 陽流は川面へ目を向けた。夕陽を反射した水が揺れ、形のない光を下流へ運んでいる。


「倉田」


「何?」


「付き合ってた間、灯を大事にしてくれてありがとう」


「それ、いちばん腹が立つ言い方だな」


 直人の眉が寄った理由を、陽流はすぐには理解できなかった。礼を言うことで、また自分が灯を預けた側へ戻ろうとしていたことに、指摘されてから気づく。


「何でだよ」


「だから、灯はお前のものじゃないって言っただろ」


 陽流は口を閉じた。


「……ごめん」


「でも、礼は受け取っておく」


 直人は少し笑った。


「俺が灯を大事にしたのは、俺が好きだったからだけどな」


「うん」


「やっぱり、敵わなかった」


 声には昨日のような怒りはなかった。


 諦めたふりをした軽い言葉でもなかった。直人が灯と過ごした時間をすべて抱えたまま、自分で認めた敗北だった。


 陽流は返す言葉を探したが、何を言っても直人をさらに傷つける気がした。


「何も言わないの?」


「何て言えばいいんだよ」


「たまには自分で考えてみろよ」


「難しすぎるだろ」


「俺はずっと、それをやってたんだよ」


 直人は鞄の位置を直した。


「灯のこと、頼んだ」


 陽流は直人を見た。


 昨日なら、その言葉を当然のように受け取っていたかもしれない。けれど今は、直人が何を訂正させようとしているのかわかっていた。


「お前、昨日は任せるなって言っただろ」


「そうだったっけ」


 直人は困ったように笑った。


「じゃあ、頼まない。灯は俺のものでも、お前のものでもないから」


「うん」


「自分でちゃんとしろ、湊」


「……わかった」


「それから、灯をまた泣かせたら、今度は本気で殴るからな」


「昨日も本気だっただろ」


「昨日より本気で殴る」


「もう殴り合いはいいよ」


 2人は同時に笑う。


そして同時に頬が痛み、同じように顔をしかめる。それがおかしくて、もう一度笑いそうになり、今度は互いに口元を押さえた。


 殴り合う前と同じ友人へ、すぐに戻れるわけではない。直人が灯を好きだった事実も、陽流がその恋を傷つけた事実も残る。それでも、相手の顔を見て笑えるところまでは戻ってこられた。


 ここは昨日と同じ河原。


 帰る時に2人は数歩の距離を空けず、並んで階段を上った。


     *


 それから数日、陽流は灯へ夏祭りのことを言えずにいた。


 灯とは毎日、短いメッセージを交わしていた。宿題がどこまで進んだか、夕立が来そうだから洗濯物を入れたほうがいいこと、近所の店で西瓜が安かったこと。以前と変わらない言葉ばかりなのに、灯が部屋を出る前に残した「今度は陽流から聞いて」というひと言だけが、その下に隠れているように見えた。


 夜になれば、隣の窓に明かりがつく。合図を送ろうと思えば送れたが、陽流は懐中電灯へ手を伸ばさなかった。昔と同じやり方で呼べば、また幼なじみの場所へ戻ってしまう気がしたから。


 商店街には提灯が下がり、駅前の掲示板には祭りの日付を知らせるポスターが貼られている。去年までは約束をしなくても、どちらかが行くと言えば一緒に出かけていた。


 今年は、同じようには誘えていない。


 祭りへ行くだけなら、これまで何度もあった。けれど今年は、灯へ伝えたいことがある。その言葉を胸に持ったまま誘えば、ただの幼なじみとして出かけることはできなかった。


 灯が直人と別れたばかりだからという理由は、本当だったその一方で、断られることが怖いという気持ちもある。


 灯が直人を選んだ時には、灯が決めたことだからと自分へ言い聞かせることができた。今度、自分の言葉で誘って断られれば、誰の決めたことにも隠れることはできない。


 その日の午後、陽流は宿題をするため図書館へ行った。


 入口横の掲示板にも、駅前と同じ夏祭りのポスターが貼られていた。浴衣姿の子どもと花火が描かれ、開催日は次の土曜日になっている。


 ポスターの端には、屋台が並ぶ時間と花火の開始時刻が小さく印刷されていた。陽流は何度も見たはずの日付を、初めて確かめるように目で追った。


 自然とその前で足を止まる。


「誘わないの?」


 後ろから聞こえた声に振り返った。


 真帆が図書館から出てきたところだった。長い黒髪を背中へ流し、腕には借りた本を2冊抱えている。


「誘うって誰を?」


「そんなの聞かなくてもわかってるでしょ」


 真帆は陽流の隣へ立ち、同じポスターを見た。


「灯から、倉田くんと別れたことは聞いたよ」


「そっか」


「湊くんと倉田くんが喧嘩したことも」


「それも聞いたの?」


「灯が怒ってたから」


「やっぱり怒ってるよな」


「当たり前でしょ。灯は、自分のことで2人が殴り合うのを喜ぶような子じゃないんだから」


「それはわかってる」


「倉田くんには謝った?」


「謝ったよ。あいつも謝ってた」


「なら、そのことはもういい」


 真帆はそれ以上、喧嘩を責めなかった。


 陽流は再びポスターの日付へ視線を戻す。


「灯は別れたばっかりなんだ。今、俺が誘うのは違うだろ」


「灯がそう言ったの?」


「言ってないけど」


「また灯が決めたことにするつもり?」


「そういうわけじゃない」


「同じだよ」


 真帆の声は静かだった。


「湊くんはいつも、灯が決めたことだからって言う。でも今は、灯は何も決めてない。湊くんが何も言ってないんだから」


 陽流は答えられなかった。


「断られるのが怖い?」


「……怖いよ。怖いに決まってる」


 真帆には、誤魔化しても無駄だと悟った。


 口に出すと、胸の中で理由をつけていたものが、たったそれだけの感情へ戻る。灯のために待つという言葉の奥で、陽流はまた自分が傷つかない場所を選ぼうとしていた。


「それなら、灯のために待ってるんじゃない。自分が傷つきたくないから黙ってるだけだよ」


「それもわかってる」


「本当に?」


 真帆が陽流を見た。


「ねぇ湊くん。本当にそれでいいの?」


 以前にも同じことを尋ねられた。


 その時、陽流は灯が決めたことだからと答えた。自分が我慢すればいいと思い、真帆の言葉を退けた。


 今は、同じ答えを口にできなかった。


 灯が決めたことだからではない。


 直人に任せることもできない。


 自分がどうしたいのかを、今度は自分で決めなければならなかった。


「……よくない」


 陽流が答えると、真帆は小さく頷いた。


 声にした答えは短かったが、以前のように突っぱねる余地は残っていなかった。直人にも真帆にも、自分が黙ることで誰かを守ったつもりになっていると見抜かれていた。


「じゃあ、自分で決めて」


 真帆はそれだけ言い、駅の方向へ歩いていった。


 陽流は掲示板の前に残り、携帯電話を取り出した。


 灯との画面を開く。


 何度か文字を打ち直し、最後にはいちばん簡単な言葉だけが残った。


 ――今年の夏祭り、久しぶりに2人で行かない? 伝えたいことがあるんだ。


 送信する前に、指が止まる。


 断られた時に使える言い訳を、もう一度探しそうになった。


 陽流は画面の上にある送信の印を押した。


 今度は、自分で決めた。


 送った文章を見た途端、指先から遅れて緊張が広がった。「伝えたいこと」が何なのか、灯が気づくかもしれない。気づいたうえで断られるかもしれない。それでも、もう取り消すことはしなかった。


 既読はすぐにつかなかった。


 陽流はポスターの前で待った。図書館へ入る人と出る人が横を通り過ぎ、入口の自動扉が何度も開閉する。


 やがて携帯電話が震えた。


 ――行きたい。私も陽流と行きたかった。


 陽流はその返事を、もう一度読み直した。


 灯が「伝えたいこと」には触れていないのが、少しだけ怖く、同じくらい救いでもあった。答えは祭りの夜に、自分の声で聞かなければならない。


 夏祭りまで、あと6日

直人は灯から聞いた答えを陽流へ渡さず、「自分で聞け」と言いました。

真帆も灯の代わりには決めず、「自分で決めて」と背中を押しました。


2人から同じ場所へ送り出された陽流は、ようやく自分の意志で灯を誘います。


――今年の夏祭り、久しぶりに2人で行かない? 伝えたいことがあるんだ。


次話「鏡の中の答え」へ続きます。

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