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君だけに降る星  作者: 春待 ことり
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17/27

知らなかった声

夏休み最初の日、4人はカラオケへ向かいます。

いつもの教室を離れた場所で、それぞれの知らなかった声が聞こえてきます。

終業式の日、最後のホームルームが終わった瞬間、教室の空気が変わった。


 担任が夏休み中の注意を話している間から、生徒たちの気持ちはすでに校門の外へ向かっていた。机の上には通知表と宿題の冊子が重ねられ、黒板の端には次の登校日が大きく書かれている。事故に気をつけるようにという最後の言葉へ、教室中から普段より大きな返事が返った。


 担任が廊下へ出ると、椅子を引く音と話し声が一斉に広がった。夏休みの予定を確かめる者、部活動へ向かう者、通知表を見せ合う者。開け放した窓から蝉の声と熱気が入り、まだ午前中なのに教室は少しも涼しくない。


「本当に今日から休みなんだね」


 灯は宿題の冊子を鞄へ押し込みながら、窓の外を見た。校庭の向こうには、強い陽射しに白く霞んだ住宅の屋根が並んでいる。


「なんだかその言い方、明日も学校へ来そう」


 前の席で帰り支度をしていた真帆が振り返った。


「来ないよ。宿題がこんなにあるんだから、学校まで来る暇ないもん」


「休み初日からやるつもり?」


「最初の3日くらいは」


「4日目からは?」


「夏休みを楽しむに決まってるっしょー」


「あはは、そのまま8月の終わりまで楽しみそう」


 真帆に先を読まれ、灯は宿題の冊子を鞄の奥へ押し込んだ。隣では直人が通知表を二つ折りにしようとして、折れば家で怒られると思い直したのか、教科書の間へまっすぐ挟んでいる。


「今日、このあとどうする?」


 直人が尋ねた。


「まだお昼前だし、このまま帰るのももったいないよね」


 灯が答えると、真帆は窓から入る熱気を避けるように薄いカーテンを閉じた。


「外を歩き回るのは嫌だな。暑すぎるから」


「じゃあ、涼しいところ」


「図書館とか?」


「夏休み最初の日から勉強するの?」


「灯が涼しいところって言うから」


 3人で考えているところへ、後ろから陽流が鞄を肩へ掛けて歩いてきた。すでに帰るつもりらしく、手には宿題の冊子も通知表もなく、全部きれいに鞄へ収まっている。


「あ、陽流!このあと暇?」


 灯が呼び止めると、陽流は教室の時計を見た。


「暇だけど、帰るよ」


「暇なら一緒にどこか行こうよ。4人で」


「どこかってどこ?」


 まだ行き先を決めていなかったため、灯は直人と真帆を交互に見た。直人が少し考え、駅前の方向を指す。


「カラオケは? 昼なら安いし、涼しいよ」


「いいね。行きたい」


 灯はすぐに賛成した。真帆も携帯電話を取り出し、駅前の店の料金を調べる。


「学生料金がある。4人なら、2時間でこれくらい」


「小坂、行く気になってる」


「涼しいところがいいとは言ったから」


 3人の視線が陽流へ集まる。陽流は鞄の肩紐を持ち直し、断る言葉を探すように一度だけ教室の出口を見た。


「言っとくけど俺、歌わないよ」


「行くとは言ったよね」


 真帆がすぐに指摘する。


「歌わないなら来ても楽しくないでしょ」


「聴いてればいいよ。陽流、私たちが歌うのも嫌なの?」


「それは‥嫌とは言ってないけど」


「じゃあ決まりね!」


 灯が陽流の返事を待たずに鞄を持つと、直人も笑いながら立ち上がった。真帆は4人で店へ向かうことを前提に予約画面を開いている。


 陽流はまだ納得していない顔をしていたが、1人だけ別の方向へ帰ることはせず、3人のあとから教室を出た。


     *


 駅前のカラオケ店は、学校を終えたばかりの生徒たちで混み始めていた。


 受付で学生証を見せ、4人ぶんの料金を先に払う。案内されたのは廊下のいちばん奥にある小さな部屋だった。扉を開けると、向かい合うように置かれた黒いソファと、壁いっぱいの画面が見える。冷房の風が制服の熱を一気に奪い、灯は部屋へ入っただけで大きく息をついた。


「わー、涼しい」


「今日ここへ来た目的の半分はそれだから」


 真帆は鞄をソファの端へ置き、選曲用の端末を手に取った。直人は壁際に並んだ2本のマイクを確かめ、灯へ1本渡す。陽流は画面からいちばん遠い隅へ座り、自分は関係ないという顔で飲み物の案内を眺めていた。


 飲み物を取りに行き、灯はメロンソーダ、直人はコーラ、真帆は無糖のアイスティー、陽流は烏龍茶を選んだ。4つのグラスをテーブルへ並べると、透明な氷が冷房の風を受けて小さく鳴った。


「さえ、トップバッターは誰が歌う?」


 直人が尋ねる。


「言い出した人」


 真帆が端末を直人へ差し出した。


「えー、俺?」


「そう、カラオケを提案したのは倉田くんでしょ」


「いやいや、最初はちょっと待って。まだ喉の準備ができてない」


「歌うのに準備がいるの?」


 灯が笑うと、直人は水分が必要だと言い、コーラをひと口飲んだ。真帆は自分も最初は嫌だと端末を押し返す。陽流へ視線を向けても、歌わないと宣言したまま首を振った。


「じゃあ私が歌う」


 誰も始めなければ2時間が飲み物だけで終わってしまう。灯は端末を受け取り、最近よく聴いている曲の一覧から、明るい曲を選んだ。


「『夏色シグナル』これならみんな知ってるでしょ」


「あー!知ってる」


 直人が答え、真帆も頷いた。陽流は曲名の表示された画面を見てから、何も言わずに烏龍茶のグラスへ手を伸ばす。


 前奏が始まり、灯は画面の前へ立った。最初の歌詞が色を変えたのに、マイクから声が出ない。慌てて手元を見ると電源が入っておらず、直人がソファから身を乗り出してスイッチの場所を教えた。


「そこ、下のところ」


「最初からやり直せない?」


「まだ間に合うよ。次から歌えば大丈夫」


 2行目から声が出ると、3人が同時に拍手した。灯は笑いながら歌を続けた。


 音程は大きく外れないものの、歌詞を追うことに夢中になると少し遅れ、知っている部分へ来ると今度は先に進みすぎる。間奏では何もすることがなくなり、映像に出てくる振りを真似て片手を動かした。直人が同じ動きをし、真帆まで座ったまま小さく手を振る。陽流は参加しなかったが、曲に合わせて膝の上の指を動かしていた。


 歌い終わると、画面に84点と表示された。


「最初を歌えてたら、もう少し高かったかも」


 灯が言うと、真帆は端末へ次の曲を入れながら首を振った。


「採点は、最初にマイクが入っていなかったことより、途中で歌詞を間違えたほうを見てると思う」


「うそ、間違えてないよ」


「いや2番の最初、違う言葉を歌ってた」


「でも意味は同じだったでしょ」


「歌詞はね、意味が同じなら変えていいものじゃないよ」


 国語の問題を直されているようで、灯はマイクを直人へ渡した。


「次、直人くん。真帆に採点されるよ。厳しいよー」


「採点は機械だけで十分なんだけどな」


 直人はそう言いながらも立ち上がり、端末へ自分の選んだ曲を入れた。運動部の応援にも使われるような、速くて力強い曲だった。前奏に合わせて肩を回し、歌い始めるまでは、4人の中でいちばん上手そうに見えた。


 最初の数行のキーは確かに原曲に近かった。


 次第に音が高くなるところで届かず、低く歌い直したところから、少しずつ旋律が別の方向へ進んでいく。本人は気づかず、画面へ向かって最後まで真剣に歌っていた。灯は途中から笑いを堪えられなくなったが、直人が楽しそうなので声を出して笑いながら手拍子を続けた。


 歌い終わり、画面に68点が表示される。


「倉田くん、途中から別の曲になってたよ」


 真帆が静かに言った。


「小坂、もう少し優しく言えない?」


「そうだなー、最後まで止まらなかったのはよかったと思う」


「それ、歌の感想じゃないだろ」


 直人が肩を落とすと、灯は立ち上がって大きく拍手した。


「でも直人くんの歌、楽しかったよ」


「上手かったとは言わないんだ」


「それはほら、楽しかったほうが大事でしょ」


「……灯がそう言うなら、いいことにする」


 直人は笑い、マイクをテーブルへ置いた。低い点数まで隠さず携帯電話で撮り、「次は70点を超える」と題名をつけて保存する。


 そのまま直人が選んだ次の曲は、男女で交互に歌う『放課後メロディ』だった。


「灯、これ一緒に歌わない?」


「知ってる。歌う」


 2本目のマイクを取り、灯は直人の隣へ立った。男子の部分を直人、女子の部分を灯が歌い、最後のサビだけ2人で声を合わせる。直人は自分の音程を保とうとすると灯へつられ、灯は直人を待とうとして歌詞に遅れた。何度も目を合わせて笑い、最後にはどちらが正しいのかわからないまま同時に歌い切った。


 点数は78点。


「やった!1人のときより10点上がった」


 直人が素直に喜ぶ。


「私の84点と平均したら76点だよ」


「ん?灯、暗算合ってる?」


 真帆に確認され、灯は指を使って計算した。陽流が離れたところから「76で合ってるよ」と答える。


「今日は合ってた」


「歌より暗算で褒められてる」


 灯が不満を言うと、直人がマイクを持ったまま笑った。陽流もわずかに口元を緩め、真帆は次の曲を入れるふりをして、自分の番を先延ばしにしている。


「真帆、次だよ」


「もう少しあとでいい」


「私たち2曲歌ったよ」


「湊くんはまだ1曲も歌ってない」


「俺は最初から歌わないって言ったよ」


「4人で来たのに、2人ともずっと聴いてるだけ?」


 灯が2人を交互に見る。真帆はしばらく端末を指でなぞっていたが、逃げ続けるほうが目立つと思ったのか、小さく息をついた。


「もー、しょうがないな。1曲だけね」


 選んだのは『月と手紙』という、少し前に流行った静かな曲だった。灯も題名は知っているが、最初から最後まで聴いたことはない。


 真帆はマイクを受け取ると、画面の前へ立たず、ソファへ座ったまま歌い始めた。


 声は大きくなかった。それでも音楽に埋もれず、ひとつひとつの言葉がはっきり聞こえた。音程をなぞるだけではなく、どの言葉を長く残し、どこで息を吸うのかまで考えているように、静かな歌が部屋の空気を変えていく。


 灯は途中で手拍子をやめた。直人もテーブルへ伸ばしかけた手を止め、陽流は烏龍茶のグラスを置いて真帆を見る。


 最後の音が消えるまで、誰も声を出さなかった。


 画面に95点が表示された瞬間、灯はソファから立ち上がった。


「真帆、すごく上手い」


「95点って初めて見た」


 直人も驚いている。


「機械の点数だから。声が合っていただけだよ」


 真帆はマイクを置き、すぐにアイスティーへ手を伸ばした。3人から見られていることが落ち着かないのか、グラスの中の氷をストローで何度も動かす。


「真帆、歌手になれるよ」


「大げさ。1曲歌えただけでなれないよ」


「どうして今まで歌わなかったの?」


「歌う機会がなかったから。はい!もう私の番は終わり」


 褒められるほど表情が硬くなり、真帆は話を切るように端末を陽流へ差し出した。


「次、湊くん」


「俺は歌わないよ」


「私も1曲歌ったんだから、公平に歌って」


「公平の使い方、間違ってない?」


「歌わないなら、私が湊くんの曲を選ぶけど」


 真帆は本当に選曲画面を開き、陽流が歌えそうな曲を探し始めた。陽流は自分の知らない曲を入れられると思ったのか、仕方なく端末を受け取る。


「1曲だけだからな」


「それ、さっき私が言ったやつ」


 真帆が少し笑う。


 陽流は検索欄を開いて何度か文字を打ち、1曲を選んだ。予約を知らせる表示のあと、画面に『水色と夏』という題名が出る。


「あっ!これ私が好きって言った曲」


 少し前、学校までの道で陽流に教えた曲だった。あのとき陽流は、あとで聴いてみると答えた。灯は話したことさえ半分忘れていたのに、本当に聴いていたらしい。


「陽流も好きになったの?」


「今、ちゃんと歌える曲がこれくらいしかなかったから」


「覚えるくらい聴いたんでしょ」


「歌えるところまでね」


 陽流は灯を見ず、画面へ向かってマイクを持った。


 前奏が終わり、歌い始めた声は普段話すときより少し低く、落ち着いていた。無理に原曲へ似せようとせず、速い部分も言葉を崩さない。真帆のように完璧ではないが、音程はほとんど外れず、部屋の中へまっすぐ届いた。


 灯は驚いて陽流を見つめた。


 家が隣でも、陽流が歌っているところを聞いた記憶はない。幼い頃に一緒に歌った童謡や、学校行事の合唱ならあったかもしれない。それでも、今の陽流の声で、自分が好きな曲を聴くのは初めてだった。


 サビへ入ると、灯の口も無意識に歌詞をなぞった。マイクは持っていないため声は音楽に消えたが、知っている部分を小さく一緒に歌う。陽流は画面を見ていたものの、間奏に入る直前、一度だけ灯へ視線を向けた。


 その短い間奏の間に陽流と灯の目が合う。


 灯は声を出さず、続きを促すように笑った。陽流はすぐに画面へ顔を戻し、最後まで歌った。


 採点結果はは89点で概ね好意的なコメントが添えられている。


「陽流、歌上手かったんだ」


「そうかな、普通だよ」


「ううん、普通は89点取れない。もう1曲歌って」


「1人1曲って言っただろ」


「それは最低1曲って意味だよ」


「勝手に意味を変えないで」


 陽流はマイクを置き、灯が渡そうとした端末から逃げるようにソファへ座った。灯はもう一度同じ曲を入れれば歌うかもしれないと考えたが、真帆が先に別の曲を予約した。


 4人とも知っている、アニメの主題歌『勇者の地図』


「最後まで2人ずつで歌えばいいよ」


 真帆が2本のマイクを灯と直人へ渡し、2番で交代するよう提案した。


 1番は灯と直人が歌った。直人はまた少し音程を外したが、灯が合わせるのを諦めて原曲どおりに歌うと、途中から無理やり同じ音へ戻ってきた。2番では真帆と陽流がマイクを持ち、真帆の声に陽流の低い声が重なる。最後のサビはマイクのない灯と直人も加わり、4人の声が狭い部屋の中で混ざった。


 誰の音程が正しいのかも、採点が何点だったのかも、今度ばかりは誰も気にしない。


     *


 それからの1時間は、最初よりずっと短く感じられた。


 灯と真帆は女性2人組の曲を選び、直人は70点を超えるため、先ほどよりゆっくりした曲へ挑戦した。結果は69点で、目標には1点届かなかった。陽流は2曲目を拒み続けたが、ほかの3人が歌うときには手拍子をし、ときどき知っている部分だけ口を動かしていた。


 途中で注文したフライドポテトが、曲が終わるたびに少しずつ減っていく。直人が歌っている間に灯が最後の1本を食べると、歌詞の途中で「あ」と声を出し、採点の音程表示が大きく外れた。真帆はそれも点数が伸びなかった理由のひとつだと言い、陽流は歌っている最中に食べ物を見るほうが悪いと笑う。


 終了10分前を知らせる電話が鳴り、真帆が受話器を取った。


「延長はしないよね?」


「したい!まだ帰りたくなーい」


 灯はすぐに答えたが、真帆は宿題を忘れないようにと受話器を置いた。直人も家で昼食を食べると話してきたらしく、今日は予定どおり終えることになった。


 最後にもう1曲だけ、全員で歌える明るい曲を入れる。灯は立ったままマイクを持ち、直人と交代で歌った。真帆はソファに座りながらも声を重ね、陽流もマイクなしで最後の部分だけ加わった。


 曲が終わると同時に、画面へ退室時刻の案内が表示された。


「ねー、夏休みが終わる前に、もう1回来ようよ」


 灯が言うと、直人は次こそ70点を取ると宣言した。真帆は宿題が終わっていればと条件をつけ、陽流は返事をしなかった。


「陽流もまた来るでしょ?」


「今日は1曲歌ったから、次は行かなくていいよね」


「次は2曲歌えばいいよ」


「なんでそこで増えるんだよ」


 荷物をまとめながらも会話は途切れなかった。テーブルに残った空のグラスを戻し、冷えた部屋から廊下へ出る。店の自動扉が開いた瞬間、外の熱気が4人へまとわりついた。


 灯は思わず目を細めた。2時間前より陽射しは高く、駅前の舗装から揺れるような熱が上がっている。冷房で冷えた制服が、歩き始めるとすぐに温かくなった。


「楽しかった」


 灯が言うと、真帆が隣で頷いた。


「思ったよりね」


「真帆が一番上手かった」


「点数の話はもういいよ」


「私はもう1回聴きたいな」


「灯は湊くんにも同じこと言ってたでしょ」


 真帆は褒められる話から逃げるように歩く速さを上げた。陽流がその隣へ並び、灯と直人は少し遅れてあとを歩く。


 直人は前を行く2人を見てから、灯へ尋ねた。


「今日、楽しかった?」


「うん。陽流があの曲を知ってたの、びっくりした」


 答えたあとで、質問はカラオケ全体のことだったと気づいた。灯は続けて楽しかったことを話そうとしたが、直人が先に笑う。


「湊、思ったより上手かったな」


「うん。私が教えた曲、本当に聴いてくれてた」


「きっと灯が好きな曲だから、覚えたんだろうな」


「そうかな。今度聞いてみる」


 直人はそれ以上何も言わず、歩調を灯へ合わせた。信号の前で4人が追いつくと、灯は自分から直人の手を取った。直人は少し驚いた顔をしたものの、すぐに握り返す。


「直人くんの歌も楽しかったよ」


「それ、俺が聞いたから言ってる?」


「違うよ。本当に楽しかった。次は70点取れるといいね」


「灯まで点数の話をするんだ」


 直人が笑い、信号が青へ変わる。4人は並んで横断歩道を渡った。


     *


 駅前の交差点で、4人の帰る方向が分かれた。


 真帆は駅へ向かい、直人も途中までは同じ道を使う。灯と陽流は住宅街へ続く道へ曲がるため、横断歩道の手前で足を止めた。


「また連絡するね」


 灯は直人の手を離し、真帆と2人へ向かって手を振った。直人も手を上げ、陽流は短く「また」と言う。信号が変わり、灯と陽流は先に道路を渡った。


 向こう側へ着くと、灯はすぐに陽流の隣へ並んだ。何かを尋ねながら、先ほど歌った曲のサビを小さく口ずさんでいる。陽流は迷惑そうに答えたあと、灯が間違えた音を同じ部分だけ歌って直した。


 2人の背中は、住宅街へ続く道の先へ遠ざかっていく。


 直人は信号が再び変わるまで、その姿を見ていた。


「倉田くん、行かないの?」


 隣に残っていた真帆に呼ばれ、直人は足元の白線から顔を上げた。


「行くよ。信号待ってただけ」


「そう」


 真帆はそれ以上尋ねず、青になった横断歩道を渡り始めた。直人も少し遅れて隣へ並ぶ。


 今日、灯は何度も笑っていた。直人の歌にも笑い、2人で同じマイクを持ち、店を出てからは自分から手をつないでくれた。楽しかったという言葉に嘘はない。


 それでも、何が楽しかったかと尋ねたとき、最初に灯の口から出たのは陽流の名前だった。


 幼なじみなのだから、知らなかった一面に驚くのは当たり前だ。自分だって、陽流が歌えるとは思っていなかった。そう考えれば、それだけのことだった。


 直人は灯から言われた言葉も、きちんと覚えている。


 ――直人くんの歌も楽しかったよ。


 その言葉を疑う理由はなかった。


 ただ、陽流が歌っていた間、灯が一度も画面を見ず、その横顔を見つめていたことだけが、曲の終わったあとも直人の中へ残っていた。

灯は直人の歌にも笑い、自分からその手をつなぎました。楽しかったという言葉に、嘘はありません。

それでも何が楽しかったのかと尋ねられ、最初に灯の口から出たのは陽流の名前でした。

直人は灯の言葉を疑いません。ただ、陽流が歌う間、灯がずっとその横顔を見つめていたことだけが残りました。

次話「夏休み4日目」へ続きます。

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