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君だけに降る星  作者: 春待 ことり
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15/27

暗くなる時間

灯が直人の好きな映画を見に行きます。

好きなものの名前だけでなく、どうして好きなのか、そのときどんな顔をするのか。それを知るためのデートです。

日曜日、灯が駅前の映画館へ着いたのは、待ち合わせ時刻の5分前だった。


 入口の脇にある大きな時計を見上げてから、壁に沿って並ぶ映画のポスターへ目を移す。直人は先週見に来たミステリー映画の前に立ち、上映時間の書かれた案内板を確かめていた。今日は深い緑色の半袖シャツを着ている。直人の好きな色を聞いたばかりだったから気づけたのか、それとも前から何度も着ていたのに意識していなかっただけなのかはわからない。


「直人くん」


 呼びかけると、直人はすぐに振り向いた。灯の姿を見つけて笑い、携帯電話をしまいながらこちらへ歩いてくる。


「おはよう。今日は早いね」


「私だって、待ち合わせにはちゃんと間に合うよ。直人くんは何分前に来たの?」


「今日は10分前」


 答えた直人の目が、ほんの少しだけ時計から逸れた。


「本当に?」


「……12分前」


「増えてる」


「2分くらいなら誤差だろ」


「私が2分遅れたら、遅刻って言われるのに」


「俺は遅れてないから」


 陽流と同じような理屈を使われ、灯は笑った。直人もつられて笑い、それから灯の服へ視線を移す。白い半袖のブラウスに、淡い青色のスカート。どちらも昨日、自分で箪笥から選んだものだった。


「今日も青なんだ」


「うん。好きな色だから」


「ちゃんと覚えてるよ」


 直人はそう言い、自分のシャツの胸元を指でつまんだ。


「俺も緑」


「それ、今日のために選んだの?」


「半分くらい。前から持ってたけど、この前の話を思い出したから」


 自分と同じ理由で服を選んだことがうれしくて、灯は青いスカートの裾を軽く揺らした。以前なら服を褒めてもらえるまで気になっていたのに、今日は互いの好きな色を見つけただけで、もう来てよかったと思えた。


 上映までは30分ほどあった。


 直人が昨夜のうちに席を予約してくれていたため、灯は自分のぶんの料金を渡し、2人で発券機から細長い券を受け取った。座席は中央より少し後ろの通路側。画面が近すぎると灯が疲れるかもしれないと思い、その場所を選んだらしい。


「私、映画館で目が疲れるって話したっけ?」


「前に教室で言ってたよ。授業で映像を見たあと、前の席だと首まで痛いって」


「そんなことまで覚えてるんだ」


「最近聞いたことだから」


 直人は何気なく答えたが、その言葉にこの前の昼休みを思い出した。


 最近の灯を、直人は知っている。昔の灯を知っている陽流とは違う方法で、話したことをひとつずつ覚えている。


 灯は礼を言い、受け取った券を財布へ入れた。上映が終わっても捨てずに持ち帰ろうと決め、折れないよう硬貨の入っていない場所へ差し込む。


 売店の前には、飲み物やポップコーンを買う人の列ができていた。頭上の画面には塩味、キャラメル味、2つを半分ずつ入れたものが並んでいる。


「灯、ポップコーン食べる?」


「食べたい。でも、映画が怖かったら食べるの忘れるかも」


「そんなに怖くないって。たぶん」


「また、たぶんって言った」


「驚く場面が少しあるだけだよ」


「原作を知ってる人の少しは信用できない」


 灯が警戒すると、直人は責任を持って残りを食べると言い、塩味とキャラメル味が半分ずつ入ったものを1つ買った。灯は自分の飲み物を選び、代金を払う。中学生の小遣いで無理をしないよう、奢ったり奢られたりするのは小さなものだけ。いつの間にか、2人の間にはそんな決まりができていた。


 入場を知らせる案内が流れ、券を係員へ見せて薄暗い通路を進む。扉を開けると、まだ明るい館内に大きなスクリーンが浮かび、数人の観客が席を探していた。


 直人は座席番号を順に確かめ、先に灯を通路から遠いほうへ座らせた。鞄を膝の上へ置き、2人の間にある肘掛けのカップホルダーへ飲み物を入れる。ポップコーンはどちらからも手が届くよう、直人が自分の膝の上で持った。


「始まる前は、普通に明るいね」


 灯が周囲を見回すと、直人が笑った。


「まだ早いよ。予告が始まってから」


「暗くなる瞬間が好きなんだよね」


「うん」


 好きなものを覚えていたことが伝わったのか、直人の返事は少しうれしそうだった。


 館内の席が埋まっていき、前後から小さな話し声が聞こえる。灯はポップコーンの塩味をひとつ取り、口へ運んだ。直人も画面を見たまま手を入れ、容器の中で指先が触れた。


 どちらもすぐに手を引いた。


「ごめん」


 直人が声を潜める。


「私も同じところ取ろうとしたから」


「塩味?」


「うん」


「じゃあ、俺はキャラメルにする」


「直人くんも塩味が食べたいなら、取っていいよ」


 2つの味が混ざらないように入っているのに、わざわざ譲り合っていることがおかしくなった。灯が笑うと、直人も声を出さずに肩を揺らした。


 やがて館内の照明が一段落ち、話し声が少し小さくなった。スクリーンに上映中の注意が映り、さらに明かりが消えていく。


「今から」


 直人が囁いた。


 灯は画面ではなく、隣に座る直人を見た。


 スクリーンの光が横顔を淡く照らしている。直人は背もたれへ体を預けながら、これから始まるものを待つようにまっすぐ前を向いていた。いつもの教室よりも表情が幼く、楽しみを隠そうとしていない。


 人の声が止み、咳払いも、ポップコーンの容器が擦れる音も遠ざかる。広い館内で、同じひとつの画面へ全員の視線が集まった。


 直人が好きだと言った時間を、灯にも少しだけ理解できた気がした。


     *


 映画は、雨の夜に駅から姿を消した友人を、1人の少年が探すところから始まった。


 使われなくなった古い改札、誰もいないホームに残された濡れた足跡、駅のロッカーへ毎晩1枚ずつ入れられる写真。少年が手掛かりを見つけるたび、物語は過去と現在を行き来し、同じ場面が少しずつ違う意味へ変わっていく。


 灯は最初こそポップコーンを食べていたが、写真の中にいるはずのない人影が映ったあたりから、容器へ手を伸ばすのを忘れた。


 暗いトンネルの中を主人公が進む場面では、音楽まで消えた。靴音だけが一定の間隔で響き、画面の端にある闇が少しずつ広がっていく。何か出てくるとわかっているのに、それがいつなのかはわからない。


 灯は膝の上に置いた鞄の持ち手を握った。


 主人公が振り返った瞬間、大きな音とともに画面いっぱいへ白い顔が現れる。


「……っ」


 声を飲み込み、灯は反射的に隣へ手を伸ばした。


 掴んだのは直人の手だった。肘掛けの上にあった指を上から包み、そのまま強く握ってしまう。


 直人の手が一瞬だけ固まった。


 灯は画面から目を逸らせないまま、自分が何を掴んだのかに気づいた。離したほうがいいのかと指の力を緩めかける。けれど、その前に直人の掌がこちらへ向き、開いた指が灯の手を握り返した。


 何も聞かれなかった。


 灯も何も言わず、再び映画へ集中した。


 画面の中では主人公がトンネルを抜け、閉鎖された駅の向こうへ進んでいる。物語が動くたび、握っていることを忘れ、静かな場面になると思い出した。直人の手は温かく、驚く場面では灯の指へ少しだけ力が加わる。それが直人も怖がっているからなのか、灯を安心させようとしているのかはわからなかった。


 途中でポップコーンを取ろうとしたが、片手は直人とつながり、もう片方は鞄の上にあった。少し迷った末に諦めると、直人が空いている手で容器を持ち上げ、灯の膝へそっと載せた。


 暗闇の中で目が合う。


 灯は声を出さずに礼を言うよう口元だけを動かし、片手でポップコーンを取った。直人も笑い、つないだ手は離さなかった。


 物語の終盤、消えた友人は主人公を嫌って姿を消したのではなく、ある事件から守るために離れていたことが明らかになった。過去の場面で交わされた何気ない言葉が最後の手掛かりになり、灯は怖かったことも忘れて画面を見つめた。


 やがて音楽が流れ、暗い駅の上へ朝日が差し込む。最後の場面がゆっくり消え、黒い画面を白い文字が流れ始めた。


 周囲の観客が小さく息をつき、座り直す気配が広がった。


 灯と直人の手は、まだつながっていた。


 映画が終わったのだから離してもいいはずなのに、どちらからも動かなかった。灯は流れていく出演者の名前を眺めながら、隣にある温度を確かめる。怖い場面はもう終わっている。それでも手をつないでいる理由は、恐怖とは別のところにあった。


 館内の明かりが少しずつ戻り、ようやく直人が灯を見た。


「大丈夫だった?」


「途中は大丈夫じゃなかった」


「ごめん。あそこまで怖くなってると思わなくて」


「直人くんの『少し怖い』は、もう信用しない」


「そんなに怖かった?」


「大きな顔が出てきたところ、本当にびっくりした」


 灯はそう答え、つないでいた手を少し持ち上げた。


「でも、これがあったから大丈夫だった」


「灯からつないだんだろ」


「直人くんも握り返してくれたでしょ」


「もう毎回聞かなくていいって言われたから」


 直人は照れたように笑った。前の列の観客が席を立ち、出口へ向かい始める。それをきっかけに2人も手を離し、飲み物と鞄を持って立ち上がった。


 膝の上にあったポップコーンは、塩味だけがほとんどなくなり、キャラメル味が容器の半分に残っていた。


「直人くん、やっぱり塩味食べてない」


「映画が始まったら、食べるの忘れてた」


「私に譲ったからでしょ」


「残りは帰りに食べるよ」


 灯はキャラメル味をひとつ取り、直人のぶんを残すよう容器の端へ手を伸ばした。映画館を出る頃には、最後のひとつをどちらが食べるかで譲り合い、結局2人とも手を出せなくなった。


     *


 上映後のロビーは、人の声と明るさが急に戻ってきたように感じられた。


 直人は壁に貼られた場面写真の前で足を止め、映画と原作で違っていたところを話し始めた。駅のロッカーへ写真が入れられる順番。主人公が最初の手掛かりを見つける場所。映画では短くなっていた回想場面。


「原作だと、あの時計が止まってた時間にも意味があるんだ。でも映画では説明がなくて、ただ壊れてるみたいになってた」


「時計、映ってた?」


「映ってたよ。主人公がトンネルへ入る前」


「その頃は、何か出てくることしか考えてなかった」


「一番大事な手掛かりなのに」


 直人は残念そうに言い、別の写真を指した。普段より話す速度が速く、灯が頷く前に次の言葉が続く。途中で自分だけが話していることに気づいたのか、急に口を閉じた。


「ごめん。原作を知らないのに、こんなに話してもわからないよな」


「全部はわからないけど、もっと聞きたい」


「本当に?」


「うん。直人くん、映画の話をしてるとき、すごく楽しそうだから」


 直人は灯を見たまま、次の言葉を忘れたように黙った。耳が少し赤くなり、場面写真へ視線を戻す。


「じゃあ、原作を貸したら、もう1回話してもいい?」


「私も読んでからなら、時計の話もわかると思う」


「映画と違うところ、印をつけておく」


「それだと、読む前にどこが大事かわかっちゃうよ」


「そっか。じゃあ、読み終わるまで何もしない」


 直人はすぐに考え直し、今度は結末に触れない範囲で、登場人物の名前が原作と違う理由を説明し始めた。灯は隣を歩きながら、その声を聞いた。


 話の内容だけなら、半分も理解できていなかったかもしれない。けれど直人がどの場面を楽しみにし、何が変わっていて悔しかったのかはわかる。それは映画そのものを知るのとは少し違う、直人を知るための時間だった。


 映画館を出た頃には昼を過ぎていた。


 2人は駅ビルの中にある洋食店へ入り、窓際の2人掛けの席へ案内された。休日の店内は家族連れで賑わい、厨房からバターと焼けたチーズの匂いが流れてくる。


 メニューを開くと、直人が向かい側からひとつの写真を指した。


「灯、オムライスあるよ」


「本当に覚えてたんだ」


「昨日、テストに出たから」


「昨日じゃないよ。もう1週間前」


「1週間なら覚えてるよ」


 半熟卵の上へ赤いソースがかかった写真を見て、灯はすぐにそれを選んだ。直人はメニューの別のページにあるカレーを見つける。


「直人くんはカレーだよね」


「でも、これは2日目じゃないからな」


「お店で2日目のカレーは出さないと思う」


「味が濃そうだから、これにする」


 互いに注文を決め、店員へ伝える。飲み物は水だけにして、映画の半券を見せるともらえる小さなアイスを食後に頼んだ。


 料理が届くまで、直人は映画のパンフレットをテーブルの上へ広げた。人物紹介や撮影場所の写真を一緒に眺め、灯が見落としていた場面を教えてもらう。さっきまで怖いとしか思えなかった暗い駅も、明るい店の中で見ると、丁寧に作られた場所だとわかった。


「灯は、普段どんな映画を見るの?」


「家でお母さんが見てるのを一緒に見るくらい。恋愛映画とか、動物が出てくるのとか」


「怖いのは見ない?」


「今日のでしばらくいい」


「あれ、怖い映画じゃないんだけどな」


「直人くんの基準がおかしいんだよ」


 料理が運ばれてきても、話は途切れなかった。灯がオムライスの端へスプーンを入れると、半熟の卵が中のご飯を包むように崩れる。直人のカレーは大きな皿いっぱいに盛られ、湯気と一緒に香辛料の匂いが立ち上った。


「どう?」


 灯が尋ねると、直人はひと口食べ、真剣な顔で考えた。


「おいしい。でも、父さんの2日目のほうが好き」


「お店に勝ったんだ」


「父さんに言ったら、来週も作るって言いそうだから黙っておく」


「好きなら作ってもらえばいいのに」


「毎週カレーになる」


 灯は笑い、オムライスを口へ運んだ。直人が話した父親の姿をまだ見たことはない。それでも、日曜日に台所へ立ち、得意なカレーを家族へ作る様子は少し想像できた。好きな食べ物を知ることは、味だけでなく、その人の家にある時間まで知ることなのかもしれない。


 食後の小さなアイスが運ばれてきた。灯は白いアイスをスプーンで削りながら、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「今日の映画、直人くんは何回くらい私のほう見た?」


「え?」


「途中で何回か目が合った気がする」


 直人はアイスへ視線を落とし、少しずつ溶けている縁を意味もなくスプーンで混ぜた。


「怖がってないか気になっただけ」


「やっぱり見てたんだ」


「あんなに鞄を握ってたら、気づくだろ」


「映画を見ないともったいないよ」


「見てたよ。灯が手をつないでからは、ちゃんと」


「その前は?」


「……映画も見てた」


 答えになっているようでなっていない。灯が笑うと、直人は困ったように笑い返し、溶けかけたアイスを急いで口へ運んだ。


     *


 昼食のあと、2人は駅ビルの書店へ寄った。


 映画化された原作は入口近くに平積みされ、表紙には出演した俳優の写真が使われている。直人はその隣に置かれた以前からの版を手に取り、灯へ見せた。雨の駅と、遠くに立つ2人の影だけが描かれた表紙だった。


「俺が持ってるのはこっち」


「こっちのほうが好き」


「どうして?」


「映画を見る前なら、誰が出てくるのかわからないから」


「俺もそう思う」


 直人の顔が明るくなった。映画の内容については教えてもらってばかりだったが、同じ表紙を好きだと言えたことが灯もうれしかった。


 本を買うことはせず、次に貸してもらう約束だけをして書店を出る。駅の改札へ向かう途中、灯は自分から直人の手を取った。


 直人は一瞬だけ驚き、それから何も尋ねずに指を絡める。映画館の暗闇よりも、明るい場所でつなぐほうが少し恥ずかしい。それでも灯は離さず、改札の前まで並んで歩いた。


 帰りの電車では、今日は眠らなかった。


 窓の外を流れる街を眺めながら、映画の結末や次に借りる本の話をする。直人は同じ作家の作品を3冊持っていて、どれから貸すか決められないらしい。灯が怖くないものからにしてほしいと言うと、どれも少しは怖いと答えた。


「じゃあ、直人くんが一番好きなの」


「一番好きなのは、今日の原作」


「それを最初に貸して」


「映画を見たあとでも面白いかな」


「直人くんが、違うところをいっぱい教えてくれたから読みたい」


 灯が答えると、直人は窓へ向けていた顔をこちらへ戻した。


「灯を誘ってよかった」


「映画が怖くても?」


「それは悪かったと思ってる」


「でも楽しかったよ」


「本当?」


「うん。直人くんが好きな理由も、少しわかったから」


 何を好きなのか知るだけでは、その人のことを知ったことにはならない。どうして好きなのか、そのときどんな顔をするのか。隣にいて初めてわかることがある。


 直人は照れたように目を伏せ、座席の上に置いていた手を少しだけ灯のほうへ動かした。指先が触れる。灯も手を寄せ、2人の間で静かにつないだ。


     *


 最寄り駅を出ると、午後の陽射しは少し傾き、建物の影が歩道へ長く伸びていた。


 直人は灯の家の近くまで送ると言った。遠回りになるから断ろうとしたが、映画館の場所を選んだのは自分だから最後まで付き合いたいと言われ、2人で住宅街を歩いた。


 家の前が近づくにつれ、朝から続いていたデートが終わってしまうことを意識する。次の日には学校で会える。それでも制服ではない直人と並び、時間を気にせず話せる日は、教室とは違う特別なものだった。


「直人くん」


「うん?」


「映画が始まる前の時間、私も好きになった」


「暗くなるところ?」


「うん。直人くんが、今からって教えてくれたところ」


 直人は立ち止まりかけ、つないでいた手に少し力を入れた。


「次に映画を見るときも、教えるよ」


「もうわかるから、聞かなくても大丈夫」


「それでも言いたい」


「じゃあ、また教えて」


 灯の家が見える角で、2人は足を止めた。直人はここからなら1人で帰れると言い、つないでいた手をゆっくり離す。


「また明日、学校で」


「うん。原作、忘れないでね」


「映画の感想より、それを覚えてたんだ」


「感想は今日いっぱい話したでしょ」


 灯が手を振ると、直人も笑って手を上げた。角を曲がって姿が見えなくなるまで見送り、それから自分の家へ向かう。


 ポケットの中には、朝に受け取った映画の券が残っていた。


     *


 その夜、灯は机の引き出しから小さな箱を出し、映画の券をしまった。


 水族館の入館券や、写真シールの余った1枚も同じ場所に入れてある。並べてみると、直人と出かけた日が少しずつ形になって残っていた。


 携帯電話が震え、直人からメッセージが届く。


 ――今日は話しすぎた気がする。ごめん。


 灯はすぐに返信欄を開いた。


 ――楽しかったから、また話して。原作を読んだら私も話すから。


 送信すると、少しして次の言葉が届いた。


 ――灯の好きな映画は?


 昼休みに作った質問にはなかったものだった。灯はこれまで見た映画を思い出そうとしたが、題名より先に、今日の暗い館内と、隣にいた直人の横顔が浮かんだ。


 ――今日見た映画。今のところ。


 返事はすぐに来た。


 ――それは、かなりうれしい。


 灯は携帯電話を胸元へ引き寄せ、机の上に置いたクラゲの栞を見た。


 誰かの好きなものを教えてもらうと、それは少しずつ、自分の好きなものにもなっていく。


 映画が始まる前の、暗くなる時間。


 灯が好きになったのは、これから物語が始まる予感と、その暗闇の中で、直人の手が自分の手を握り返してくれたことだった。

誰かの好きなものを教えてもらうと、それは少しずつ自分の好きなものにもなっていく。

灯が好きになったのは、これから物語が始まる予感と、暗闇の中で握り返された直人の手でした。

次話「14歳の灯」へ続きます。

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