第7話 壊された発電機
廃ポンプ場の発電機は、外装に大きな傷がないまま使えなくなっていた。燃料は抜かれ、配線は二本だけ切断されている。設備に詳しい人間の作業だった。
奈緒は工具箱の貸出簿を調べた。赤い塗料の付いたニッパーと燃料用のホースが、再開発会社の現場責任者、榊原の署名で持ち出されている。
榊原は河川敷の工事現場で、作業員へ大声を上げていた。
「住民が残っているから、測量が進まない」
「住民ではなく、患者です」奈緒が言う。
「名前がない人間を患者とは呼ばない」
奈緒は、五年前の名簿を見せた。榊原の表情が一瞬だけ止まる。彼は名簿の存在を知っていた。再開発の契約書には、旧河川敷に居住者はいないと書かれている。生存者が確認されれば、契約の前提が崩れる。
その夜、奈緒と吉川は倉庫の内側で待機した。佐伯は守衛室、大庭は市役所の会議室、水野は河川敷の入口を担当する。
午前二時十四分、床下から水の音がした。奈緒が板の隙間へ耳を近づけると、弁の向こうで金属が擦れる。二時十七分、鐘が鳴った。
鐘楼へ駆け上がると、鐘の綱は動いていない。代わりに、古い水路から伸びた細い金属線が、鐘の舌を引いていた。水圧の変化を利用した自動装置だった。
「人が鐘を鳴らしていないなら、音だけでは犯人を示せません」
「でも、弁を開けた人間は必要だ」
奈緒は床下へ降り、線の先を追った。途中の金具には新しい赤い塗料が付いている。発電機の工具と同じ色だ。
棚の裏から、二つ目の箱が落ちた。薬は入っていない。中にあったのは、洪水の未帰還者名簿の複写だった。
榊原は薬の不足を作り、救助鐘の騒ぎに紛れて記録を消そうとしている。奈緒はそう考えた。だが、箱の中の紙には、榊原の印ではなく大庭の古い署名があった。
発電機の修理には、冷蔵薬品を守れる時間が六時間しかなかった。奈緒は市の設備課へ部品を頼み、吉川は診療所へ氷を運んだ。捜査と救助を同時に進めなければ、誰かの薬が使えなくなる。
榊原は、発電機を壊した夜は工事事務所にいたと答えた。ところが事務所の暖房メーターは二時十五分に一度だけ急上昇している。誰かが戻り、車のエンジンをかけた時間と重なった。
奈緒は工具の刃を設備課の顕微鏡で調べた。赤い塗料は発電機だけでなく、水路の金具にも付いている。さらに刃先の欠け方が、配線の切断面と一致した。
「榊原さんが弁を開け、発電機を壊した」
吉川が言う。
「それだけなら、名簿を箱へ入れた理由がありません」
榊原の事務所から、立ち退き順位の一覧が見つかった。旧河川敷の四世帯が最初に交渉対象になっている。名簿に載らない住民を増やし、土地を空き地に見せる計画だった。
奈緒は監視カメラの死角を確認した。水路の出口に映る人物は、左足を引いている。榊原ではない。榊原は別の目的で動いていたが、薬を運ぶ仕組みを利用していた。
事件は一人の犯行ではない。だが鐘を二度鳴らした仕掛けを作った人物は一人いる。奈緒は、佐伯が持つ古い鍵の返却時刻を調べることにした。
発電機の冷却箱には、温度を示す赤い表示が出ていた。あと一時間で薬が使えなくなる。奈緒は捜査を中断して、診療所へ予備の保冷容器を運ぶ手配をした。
榊原はその判断を見て、「捜査官の真似事より、仕事をしろ」と笑った。
「これも仕事です。記録を調べるのは、誰かを助けるためです」
彼女は工具の証拠を設備課へ渡し、設備課の判断だけで榊原を断定しないようにした。自分の推理を証拠の順番へ合わせることが、奈緒の修正だった。
設備課の部品が届き、吉川は発電機を仮復旧させた。冷蔵箱の温度が戻ると、診療所から小さな拍手が起きる。
奈緒はその音を聞きながら、工具の貸出簿を閉じた。犯人を追うことと、被害を止めることは別々に進められる。次は鐘が鳴る瞬間を捕まえる。
修理用の部品を受け取った設備課員が、工具の貸出簿へ新しい署名を加えた。これで、誰がいつ何を使ったかが残る。
奈緒はその筆跡を見て、佐伯の返却時刻をもう一度調べることにした。
修理の明かりが戻ると、発電機の横に落ちた赤い塗料が見えた。小さな色が、工事現場と水路を結んでいた。
設備課員が工具を洗い、赤い塗料を落とした。残った傷の形は変わらない。証拠はきれいにするほど、細部が見えることもある。




