第5話 知らない人の描く窓
パン屋の窓には、小さな焼き菓子が三列に並んでいた。丸いものと四角いもの、砂糖をふったもの。青い器に何を載せるか考えながら眺めていると、ロザリーが私の肩越しに店の中を覗いた。
「全部は載らないわよ」
「まだ何も言っていないわ」
「三列とも同じ顔で見ているもの」
林檎の焼き菓子を四つ選び、袋へ入れてもらった。割れてしまった端を味見にと渡され、店を出てから一口かじる。薄い皮がぱりっと割れ、甘い砂糖のあとから、煮た林檎の酸っぱさがした。
軒下に、紙を広げた男の人がいた。長椅子の端へ腰かけ、通りを見ては鉛筆を動かしている。何気なく覗いた紙に、見覚えのある窓があった。
「あ、それ、私の――」
指そうとした手から、白い粉がこぼれた。屋根にも壁にも、描きかけの細い線の上にも落ちてしまう。
「申し訳ありません。私、紙を……」
買って返します、と続ける前に、彼が顔を上げた。私の手に残った菓子を見て、それから紙を見て笑った。
「雪になりましたね」
「私の窓のところだけ、大雪です」
「では、早く払わないと」
彼は紙を傾け、端を指で軽くたたいた。粉が落ちると、二階の窓が現れた。先ほどまで私が立っていた窓に違いなかった。
「そこに住んでいらっしゃるんですか」
「今日からです。荷物を運び終えたところで」
「それは。私はアドリアンといいます。建築家で、この通りを調べています」
立ち上がった彼は、思っていたより背が高かった。紙の下には寸法の書かれた別の紙があり、長椅子の脇に革の図面袋が置かれている。私も名乗り、ロザリーを従姉だと紹介した。
「綺麗に描かれるのですね。でも、朝のほうが、もっと綺麗です」
言ってから、褒めたのかけなしたのか分からない言い方だったと気づいた。彼の鉛筆が止まり、少し眉が動く。
「今の光も、悪くないと思ったのですが」
「悪くはありません。ただ、朝は窓の縁が明るくなるのです。中にあるものも。白いものを置くと、よく分かります」
今朝の二羽を思い出して言うと、彼は私の窓を見上げた。鉛筆の先を持ち替え、私の指すほうへ体を向ける。
「向こうの屋根を越えて、光が入るんですね。何時頃でしたか」
尋ねられて、少し困った。時計など見ずに鳥を並べていたのだ。パン屋が焼けたパンを窓へ並べていた頃、と答えると、彼はそれを紙の端に書いた。
ロザリーが私の袋をつついた。握ったまま残していた菓子を、慌てて口へ入れる。
「私は糸を買ってくるわ。あなたは?」
「もう少し、窓を見てから帰るわ」
ロザリーは頷き、あとで私の部屋へ寄ると言った。彼は紙を重ねると、通りの裏から屋根の高さを見たいのだと言う。私も帰り道だから、と答えたけれど、部屋の入口は反対側にあった。
裏道は細く、表よりもひんやりしていた。石の隙間に草が残り、どこかの台所から玉葱を炒める匂いがする。彼は窓の位置を確かめながら歩いていたが、角を曲がると急に足を速めた。
「これです。ここの積み方が、表とは違っていて――」
「アドリアン様。私には、まだ見えていません」
彼は三歩ほど先で振り向いた。菓子袋を抱えて立ち止まった私を見ると、すぐ戻ってくる。
「すみません。つい」
「壁を見つけると、そんなに速く歩かれるのですか」
「時々です」
「壁に逃げられたことがおありなのね」
彼は口を開きかけ、笑ってしまった。さっき紙の粉を払った時よりも、大きな笑い方だった。私も笑って、袋を反対の手へ持ち替えた。
今度は並んで角を曲がった。彼が見せたかったのは、色も大きさも揃っていない石の壁だった。補いながら長く使われてきたものだと、継ぎ目を指で追って説明する。
「私は、表の白い壁のほうが好きです」
「こちらのほうが、見ていて飽きませんよ」
「洗濯物を干す窓には、明るい壁がいいわ」
彼はもう一度壁を見て、確かに、と言った。全部を褒めなくても、話が終わらなかった。私が分からないと言えば別の場所を示し、私の好きな窓の飾りには、掃除が大変そうだと真面目に答えた。
話していると、ふいに目が合うことがあった。私の返事を聞いてから次を話す、その短い間が気になった。見られているのは窓だけではないのだと思うと、手の中の袋を持ち直したくなった。
表通りへ戻ったところで、彼が図面袋を肩へ掛けた。もう部屋の入口は目の前だった。
「教えてくださって、ありがとうございました」
「明日の朝も、晴れるそうです」
お礼への返事になっていなかった。彼が私を見るので、私は窓を見上げた。
「朝の光を見たいのでしたら。パン屋に最初の人が来るくらいの時刻に」
「そうですね。一度、確かめたいと思います。調べておく必要もありますから」
彼は明日来るとは言わなかった。私は余計なことを頼んだだろうかと思いかけ、でも、来てはいけないと言ったわけでもないのだと、袋の口を折り直した。
部屋へ戻り、袋から一つ取り出して、立ったまま食べてしまった。店先で味見をしたのに、まだ足りなかったのだ。残りの三つを青い器へ載せると、あとから来たロザリーが、もう減っているのね、と笑った。私は答える代わりに茶を注いだ。
彼女が帰ったあと、もう一つ食べた。窓辺で食べると林檎の香りがよく分かる気がしたが、窓は閉まっていた。外を見たかっただけだと気づいて、少し可笑しくなった。
西の空には雲が少なかった。食べ終えた指の砂糖を払い、私は明日の分の菓子を布で覆った。
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