第18話 残す仕事、出ていく人
説明の始まる少し前に着くと、アドリアンが卓へ図面を広げていた。こちらを見て一度手を止めたが、私が会釈すると、同じように返して紙の角へ重しを置いた。
後ろの席に座るつもりだった。けれど、そこからは線がよく見えず、私は他の住人と一緒に卓の近くへ寄った。手を伸ばせば、彼が押さえている図面へ届く位置だった。
説明の途中、一人が通路の曲がり角を指した。
「ここを荷車で通るのは、今度も難しいんじゃないですか」
「前の案より、この角を下げています。ここの幅を取れば、切り返さずに通れます」
アドリアンは鉛筆を動かし、荷車が進む線を示した。私は、以前見た図面ではそこに壁が出ていたことを思い出した。質問した人も覚えていたらしく、これなら、と隣へ顔を向ける。
「運ぶものが大きいと聞いたので、通れるか測り直しました。工事の間の道はこちらです。そちらは荷の大きさによって、少し回ってもらうことになります」
何でも便利になるという話ではなかった。困ると言われた場所を確かめ、できるところを変えていた。私の窓の話を聞いた時と同じように、彼は紙を相手へ向け直した。
袖口に鉛筆の汚れがあった。あの店で別れてからも、こうして働いていたのだ。私は、机に向かう彼を想像したことがなかったわけではない。ただ、私のことを考えて手が止まる方ばかり、思い浮かべていた。
説明の終わりに、地元の現場を引き継ぐ人が今後の確認について話した。アドリアンが都へ移ったあとも、図面のことで必要があれば本人が戻ることを含めて予定を組むという。
私は鞄から紙を出しかけた。帰ってくる、と聞いただけで、日付を書き留めるつもりになっていた。
「どのくらいの間隔になりますか」
他の人の質問へ、アドリアンが答えた。
「まだ決まっていません。都の担当には、こちらで確認が要る時期を伝えて、受け持つ範囲を相談しています。先に出した手紙の返事を待っているところです。間の対応は、引き継いでからも相談します」
私へ向けた言葉ではなかった。誰かに尋ねられれば同じ返事をする、仕事の話だった。
それでも、全く会えないわけではないのかもしれない。そう思った直後、帰ってきたからといって、私へ会いに来る理由はもうないことに気づいた。取り出しかけた紙を鞄へ戻し、私は工事中の出入口の説明を聞いた。
人が帰り始めても、管理人への質問がいくつか残った。私も移転の日に荷を運び出す場所を確かめ、返事を紙へ書いた。終わって顔を上げると、アドリアンが最後の図面を巻いていた。
そのまま出ていけた。彼も、呼び止めるようには見えなかった。私は鞄を閉じ、卓の反対側へ歩いた。
「部屋、決まったの」
彼は紙を巻く手を止めた。一瞬驚いた顔になり、それから、小さく息をついた。
「そうか。よかった」
「二階なの。今より狭いけれど、朝、窓に日が入るわ」
言わなくてもいいことまで続けた。彼に、自分がそこを気に入ったと知ってほしかった。
「それは、よかった」
二度目は少し笑ってくれた。その笑い方を見ると、窓の幅も、階段を測ったことも話したくなったが、急に話しすぎた気がして口を閉じた。
彼は、どこなのかと聞かなかった。見に行こうとも言わない。今度の窓を自分が確かめてから決めてほしかった、という顔もしなかった。
私が決めたことを、喜んでくれた。それで十分なはずなのに、卓のこちらへ来てくれないのが寂しかった。自分から別れに頷いて、こんなことまで望んでいると知られたくなかった。
「あなたの住むところは? 都の」
彼は巻き終えた図面を袋へ入れた。下に残った数枚の紙を揃える時、簡単な部屋の絵が見えた。
「まだ探している。仕事の始まりには間に合うと思うけれど」
「前に見せてくれたところは」
「あれは、契約する前に断った。今は、一人で泊まる宿を探しているんだ」
胸の奥が、きゅっと痛んだ。私も行くかもしれなかった部屋だった。食卓を窓のそばへ置こうと指を載せた場所に、これから二人で座ることはない。
彼が畳んだ案内には、小さな部屋の形があった。私に見せるために出したものではないので、身を乗り出して読むことはしなかった。
「もっと広いところでなくて、大丈夫なの?」
「図面を広げられる場所は欲しい。そこは、確認している」
仕事のことになると、少し返事が速くなった。私はその変わり方を知っていた。広い卓さえあれば寝台は小さくていいと言いそうで、先に想像してしまった。
「寝る場所も、残しておいてね」
「さすがに、床には寝ないよ」
笑いかけて、二人とも少し黙った。私が行かないことを困ると言われなくて、ほっとしていた。その一方で、私のいない暮らしをもう準備しているのだと分かって、泣きたくなった。
彼は案内を袋へ収めた。私が追いかけると決めるまで二人用の部屋を残しているわけではなかったし、狭い宿になることを、私のせいだとも言わなかった。
「引っ越し、無事に済むといいね」
「ええ。ありがとう」
これで話は終わるはずだった。彼が袋を肩へ掛け、私が一歩下がれば、別々に扉を出ていける。
私は下がらなかった。言わないまま帰れば、今夜もきっと、あの時声をかけておけばと考えてしまう。
「アドリアン。もう一度、会いたいわ」
彼の指が肩の紐を握った。私はその顔を見たまま、息を吸った。
「仕事の説明ではなくて。今週の終わりの午後、あの石橋で、少し話せる?」
「……うん。行くよ」
時刻は私から言った。彼が繰り返したのを聞いて、やっと鞄を持つ手を緩められた。
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