第15話 会いたくない、会いたい
いつものパン屋へ曲がる角を通り過ぎてから、私は歩調を緩めた。アドリアンがあの店にいると決まったわけではない。それでも、窓際の席へ目をやる自分が嫌で、今日は別の店まで歩いた。
並んだ菓子のうち、胡桃の入ったものを見ただけで彼の顔が浮かんだ。買おうとしていた手を引き、隣を指す。これと、それも、と選んでいるうちに、包みは一人で食べるには大きくなっていた。
「お客様はこちらがお好きなんですね」
「ええ。……多分」
妙な返事をしてしまった。店の人は笑って包みを渡してくれたが、私は何を確かめるために買ったのだろう。
外の腰掛けで一つ口にすると、ちゃんと甘かった。端が少し硬く、その硬いところも悪くない。なのに、もう一口ほしいとは思わなかった。向かいに彼がいたら、そちらはどう、と聞けたのに。
あの人の好きなものを買わなければ、自由に選んだことになるのだろうか。包みを閉じる手に粉がついた。こんなところまで一人で考えさせられるのが腹立たしくて、その腹立たしさをぶつける相手もいなかった。
ロザリーは菓子の量を見ると、昼食は済ませたの、と尋ねた。私が頷くより先に小皿を二枚出し、湯を沸かしに行った。
「あなたと食べようと思って」
「ありがとう。では、これは明日の分ね」
余った包みを棚へしまう背中に、私は急に話し始めた。都へ行きたくない理由も、部屋と比べられた悔しさも、一度話したことだった。ロザリーは戻ってきて、私が崩した菓子を見ながら聞いた。
「私が行かないと言っても、行くつもりなのよ」
「そうなのね」
「……行かないでほしかったの。私を置いてまで行きたくないって、言ってほしかった」
口にしてしまうと、崩れた菓子から目が離せなくなった。都の部屋や教室を調べていた時には、一緒に行けるか本気で考えていた。それなのに、思いどおりにならなくなると、彼の方が諦めればいいと思った。
「この町でも同じだなんて、言わなければよかった。あんなに楽しそうに話していたのを、知っていたのに」
ロザリーは私の前へ茶を置いた。いいのよ、とも、あなたも悪かったのよ、とも言わなかった。私は菓子の欠片を一つ拾い、今度はゆっくり食べた。
窓の外を荷車が通って、茶碗がかすかに鳴った。今日の午後は大皿を受け取る約束をしていたことを思い出す。もう少しここにいたかったけれど、工房の主人を待たせるわけにはいかなかった。
帰りが遅くなった時に食べる分を、ロザリーが小さく包み直してくれた。私はそれを鞄に入れ、崩してしまった菓子の欠片も食べてから立った。
* * *
工房の台に、大皿が置いてあった。布を外してもらい、私は思わず身を乗り出した。
「こんな色になったのね」
縁を塗った時には、もっと鈍い色だった。今は明るいところと深いところがあり、傾けると、薄く溜まった釉薬のところだけ光った。主人に両手で持つよう言われて、左右からそっと指をかける。
大きい。作っている間も大きかったはずなのに、焼き上がったものを持つと、胸に引き寄せたくなる重さだった。青い器よりも縁が揃っている。少し歪んだ箇所を見つけても、そこへ菓子を並べたところまで思い浮かんで、笑ってしまった。
「たくさん載りますね」
「ええ。今度こそ、選んだものを全部並べられそう」
彼に見せよう、と思った。前の器では窮屈だった菓子を載せて、まだ空いていると笑いたかった。
口元を緩めたまま、その先がなくなった。主人が包む布を探している間、私は皿の裏を見た。底へつけた小さな印まで、自分のものだった。これができたことは嬉しい。彼を呼べないのも、同じくらい本当だった。
「重くないですか。帰りは気をつけて」
「大丈夫です。自分で持ちます」
包みを受け取ると、まだ土だった皿へ指を当てていた日のことを思い出した。大皿を作り始めた頃は、彼が帰ったあとの椅子を見て、一人で笑っていた。あの日から仕上げて乾かし、焼いてもらう間に、会うのが怖くなるなんて思っていなかった。
帰宅すると、扉の下に手紙が差し込まれていた。差出人の文字を見ただけで心臓が速くなったが、皿を抱えていたので、先に机へ置いた。転がり出ないように布を広げてから、手紙を拾った。
封を切る前に、朝の菓子の残りを大皿へ移した。真ん中へ三つ並べても、ずいぶん余白がある。少なすぎると分かっていたのに、そこまで広いとは思わなかった。
手紙には、言い過ぎたことを謝りたい、会って話したいとあった。続きへ目を移すのが怖くて、一度窓を見た。鳥は今日も二羽並んでいる。
『ただ、都の仕事を辞めるとは約束できない。それを隠して会いに来てほしいとは言えないので、先に伝えます』
同じところを二度読んだ。彼は行く。手紙をくれたから、私の望む答えに変わったわけではなかった。
それなら、どうして会うのだろう。机へ伏せてしまおうとして、指を止めた。今すぐ会いたかった。あの声で名前を呼んでもらいたくて、こんなことを書いた彼が憎らしかった。
返事には、彼が挙げた日から、次の週の終わりを選んで書いた。その日付を見つめ、会わない方がいいのかもしれないと思ったが、消さなかった。都へ行くとも、許すとも書かず、店と時刻だけを確かめた。
茶色い布表紙の都の案内書は、まだ机の端にあった。二人で歩いてみたい場所に挟んだ紙を抜くと、その下から挿絵が現れた。楽しみにした通りは、私が歩かなくてもそこにある。
表紙を閉じ、鞄へ入れた。返してしまえば次に会う理由が一つなくなることを、私は知っていた。
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