表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『環状霊脈線、つばめ食堂はじめます』~元・車内販売員の異世界各駅停車~  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/25

第8話 満月市場駅のむすび


 その駅に着いたとき、外は夜だった。


「次は――」

 チャイが言いかけて、また止まる。

「……申し訳ございません」

「いいよ。もう慣れた」


 わたしは扉を開けた。

 開けた瞬間、光が入ってきた。夜なのに、明るい。


 月が出ていた。

 ひとつではない。空に三つ。大きさの違う月が、それぞれの高さで浮かんでいる。いちばん大きなものが、ちょうど真上にあった。


 その光が、地面まで届いている。



 ホームの下は、畑だった。

 いや、市だった。畑と市が同じ場所にある。


 刈られる前の穂が、地面から一面に伸びている。その穂が、光っていた。月の光を反射しているのではない。粒の内側から、白くにじむように光っている。

 その畑のあいだに、板を渡しただけの台がいくつも出ていた。人が行き来し、荷を積み下ろしている。


「月が真上にあるあいだだけ、この穀物は実るそうです」チャイが盆を傾けた。「刈るのも、売るのも、この時間だけ。月が傾きはじめると、穂は閉じてしまうとのことです」

「閉じる?」

「はい。実が硬くなって、食べられなくなると」


 わたしは、真上の月を見上げた。

 それは、はっきり見えた。いま、どのくらいの高さにあるのか。あとどれくらいで傾きはじめるのか。目で分かる。


 ――砂時計と、同じだ。

 いや、少し違う。あれは落ちきったら発車だった。これは、落ちきったら食べ物のほうが消える。



 市を歩いた。


 台の上に、穂を束ねたもの、脱穀した粒、粉に挽いたものが並んでいる。売り買いの声が飛び交っていた。

 なのに、妙だった。


 人の流れが、途中で切れている。

 市の真ん中あたりに、誰も踏まない帯があった。荷車の轍もそこで途切れ、また向こう側から始まる。

 地面には何も引かれていない。線も、柵も、標もない。それでも、みんなそこを避けて歩いていた。


 向こう側には、こちらとは違う背格好の人たちがいる。

 こちら側は背が低く、毛の色が濃い。向こう側は背が高く、耳が長い。

 同じ穂を刈り、同じ台に並べ、同じ月の下にいる。それでいて、どちらの側の者も、その帯をまたがなかった。


 ……その空白を、どう読めばいいのかは分からなかった。

 ただ、誰かが引いた線ではなく、みんなが少しずつ避け続けてできた線なのだと思った。



 その帯のいちばん端、両側から等しく離れたところに、獣人がひとり座っていた。


 足を止めた。


 ラクダに似た顔立ち。ほこりをかぶった外套。積み上げた荷の前にあぐらをかいている。


「バハルさん」


 顔が上がった。


「……食堂の」

 喉の奥で、ごろ、と音がした。今度のそれは、明らかに笑った音だった。

「生きていたか」

「生きてます。バハルさんこそ」

「俺は死なん。砂に慣れすぎた」


 彼は荷紐に手をかけた。

 わたしは、それを見た。


 二重だった。前に見たときのままだ。何重にもは、なっていない。

 解くのに、時間はかからなかった。



「なぜ、ここに?」

「商売だ」

 バハルは、荷を軽く叩いた。

「この穀物は、ここでしか実らん。だが持って出れば、砂漠でも山でも高く売れる。運ぶ者がいる」

「あの、真ん中の……」

 わたしは、誰も踏まない帯を見た。


「ああ」

 バハルの声が、少し低くなった。

「あれのせいで、俺のような余所者が要る。あちらとこちらは、直接取引をせん。俺が片方から買って、片方に売る。両方から手数料を取れる。いい商売だ」

「儲かるんですね」

「儲かる」


 彼は、少し黙った。


「……三十年、やってきた」

 外套の砂を払う。

「悪い商売とは思わん。誰かが運ばねば、どちらも干上がる。だが」

「だが?」

「近ごろ、面白くない」


 バハルは、腰の水筒に手をやった。

 飲まなかった。手を置いただけだった。


「あんたに教わったからな。商談の前に、同じ皿を食う。あれをやろうとしたら、こっちの連中もあっちの連中も、席を立った」

「……」

「一緒に食えんそうだ」



 バハルが呼んできたのは、二人だった。


 こちら側の代表は、年配の女だった。背が低く、手の甲まで濃い毛に覆われている。名乗らなかった。

 向こう側の代表は、若い男だった。耳が長く、腰に細い刃物を差している。こちらも名乗らなかった。


 二人は、誰も踏まない帯を挟んで立った。

 どちらも、その線をまたがない。


 わたしは、帯の真上に卓を出した。

 二人が、同時にわたしを見た。それから、同時に一歩下がった。


「一皿、作らせてください」

 わたしは言った。

「その前に、少しだけ話を聞かせてもらえますか」


「話すことはない」

 女が言った。しわがれた声だった。

「あちらは、うちの水路を壊した」

「壊していない」

 若い男が、すぐに返した。「先に堰を作ったのはそちらだ。水を止められたから、こちらは掘り直した」

「止めたのではない。うちの畑が先に枯れた」

「こちらの畑も枯れた」


 二人の言葉が、途中から重なりはじめた。

 どちらも、事実を並べているだけだった。どちらの言っていることも、たぶん本当だった。


「いつのことですか」

 わたしが聞くと、二人が止まった。


「……三代前だ」

 女が言った。

「四代前です」

 男が言った。


 二人が、初めて顔を見合わせた。

 すぐに、逸らした。


「どちらでもいい」

 女が言った。

「あのとき、うちの側で二十七人死んだ。飢えて死んだ」

「こちらは三十一人だ」

「知っている」

 女が言った。


 わたしは、息を止めた。


「知っている」

 彼女は、もう一度言った。

「あちらにも死人が出たことは、聞いている。……だから、腹が立つのだ」

「なぜです」

「向こうも同じ数だけ死んだと言われたら、わしは、うちの二十七人をどこに置けばいい」


 誰も、何も言わなかった。


 若い男が、腰の刃物の柄に手をやった。

 抜くためではなかった。何かを掴んでいないと立っていられない、という手つきだった。


「俺は」

 彼は言った。

「俺自身は、あの婆さんに何もされてない。会ったのも三度目だ」

「わしもだ」

「憎む理由が、正直、俺にはない」

 彼は、そこで喉を鳴らした。

「でも、うちの村には、三十一人ぶんの墓がある。俺が『もういいです』と言ったら――あの墓は、何になる」


 女が、目を伏せた。


 二人とも、許したくないのではなかった。

 許したら、死んだ人たちが行き場を失う。たぶん、それが怖いのだ。


 ――バハルさんと、同じだ。


 あのとき、彼は「事情を聞けば許すしかない。許してしまえば、俺が受けた分は、どこにも行き場がなくなる」と言った。

 同じことを、この二人は、自分ひとりぶんではなく、五十八人ぶん背負っている。


 ひとりで抱えるより、ずっと下ろしにくい。



 わたしは、卓を片づけた。


 二人が、怪訝な顔をした。


「同じ卓では、食べていただきません」

 わたしは言った。

「そのかわり、ひとつだけ、お願いがあります」


 月を見上げた。まだ、真上にある。

 でも、真上のままではない。


「あの月が傾くまでに、作ります。持ち帰って、それぞれの場所で食べてください」

「持ち帰る?」

「はい。ここでは食べません」


 女が、少し眉を動かした。

「……それだけか」

「もうひとつ」

 わたしは、二人を見た。

「包みは、二つ作ります。わたしが渡すのではなく――お互いに、相手のぶんを持って帰ってきてください」


 二人の顔が、同時に固まった。


「意味が分からん」

「あちらのぶんの穂は、こちら側の畑から刈ってください。こちら側のぶんは、あちらから」

「なぜ」

「そうしないと、作れないので」


 嘘だった。

 どちらの畑の穂でも、同じものができる。


 でも、わたしは言い切った。


「片方の畑のものだけだと、味が寄ります。両方が要ります」


 女が、長いあいだわたしを見ていた。

 それから、若い男のほうを――見ずに、その足元あたりを見た。


「……何束だ」

「え」

「何束、刈ればいい」

「三束です」


 女は、帯をまたがなかった。

 迂回して、ずいぶん遠回りをして、向こう側の畑へ歩いていった。


 若い男が、しばらくそれを見ていた。

 それから、逆方向に歩き出した。同じだけ、遠回りをして。


 畑のあいだを、二つの背が離れていった。

 向きは逆で、曲がり方は同じだった。



 その間に、火を熾した。


 バハルが、荷から鍋を出してくれた。

「俺のは、砂用だ。深いぞ」

「ちょうどいいです」


 棚を見た。塩がない。

 岩塩は、分岐駅の鍋で使いきっていた。


「塩、譲ってもらえませんか」

 バハルは荷の奥から、布に包んだ塊をひとつ放ってよこした。

「砂漠のだ」

「おいくらですか」

「いらん」


 二人が刈ってきた穂を、脱穀した。

 殻を割ると、中の粒が出てくる。米に似ているけれど、もっと丸い。そして、光っていた。手のひらに乗せると、そこだけ淡く明るくなる。夜露を吸って、内側から仄かに光る粒だった。


 水を張って、炊いた。

 湯気が上がりはじめると、匂いが立った。

 ――甘い。

 砂糖の甘さではない。炊きたての穀物の、あの奥のほうにある甘さ。それが、湯気になって、月の光と混ざりながら上がっていく。


「……月を炊いているみたいだ」

 バハルが、鍋を覗き込んで言った。


 具を用意した。

 卵をほぐして、そぼろにする。竜のところの卵だ。硫黄草をほんの少し混ぜると、香りが締まった。

 苔は、湯で戻して細かく刻んだ。詩人のところの苔。発酵した旨味が、かむと後から出てくる。

 赤い実は、種を抜いて、四つに割った。甘くて、少し酸っぱい。


 炊きあがった粒を、ざるにあけた。

 湯気が引くまで待つ。熱すぎると、握れない。


 手を、水で濡らした。

 塩を、指先につける。


 それから、握った。


 ――七年間、わたしは物を渡す仕事をしていた。

 でも、ほとんどは包装されたものだった。缶を渡す。袋を渡す。手で直接こねて、形にして渡したことは、なかった。


 掌の中で、粒がまとまっていく。

 まだ熱い。指に、少しずつ吸いついてくる。

 力を入れすぎると硬くなる。抜きすぎると崩れる。ちょうどいい力が、手のほうに残っていた。アイスを削る力加減と、たぶん同じところにある。


 具は、三種類とも入れた。

 卵のそぼろ、苔、赤い実。ひとつの中に、三つとも。


 六つ握って、三つずつ、二つの包みに分けた。

 包みは、バハルが荷から出した布だった。



 二人が戻ってきた。


 わたしは、包みを二つ、卓の上に置いた。

 卓は、誰も踏まない帯の上に戻してあった。


「取ってください」

「どちらだ」

「どちらでも同じです。中身は同じなので」


 女が手を伸ばした。若い男も、同時に伸ばした。

 二人の手が、卓の上でぶつかりそうになって、両方が引いた。


 バハルが、動いた。


 彼は腰から水筒を外して、卓に置いた。

 それから、荷の中から茶杯をふたつ取り出して、並べた。


 無言のまま、水筒の栓を抜く。

 二つの杯に、少しずつ注ぎ分けた。同じ量になるように、二度に分けて。


「飲め」

 バハルが言った。

「飯の前に、口を湿らせろ。それだけだ」


 女が、杯を見た。

 若い男も、見た。


「これは、あんたの水か」

 男が聞いた。

「そうだ」

「余所者の水を、俺たちに」

「俺の水だ。誰のものでもない」

 バハルは、荷紐を結び直しながら言った。

「持っていろと言われた。人にやるための一つを、な」


 わたしは、その水筒を見ていた。

 砂漠を三十年渡った革。あの日、誰にも自分の水を飲ませなかった人が、わたしに持たせたのと同じものだ。


 ――あなたも、二つ持っていたんですね。


 女が、先に飲んだ。

 少し遅れて、男も飲んだ。


 同じ水筒から出た水だった。



 それから、二人はそれぞれ包みを取った。


 女は、それを胸の前に抱え込んだ。

 両腕でくるむようにして、少し前かがみになった。こぼさないように、という抱え方だった。


 若い男は、脇に挟んで、その上から片手を回した。

 誰かに取られないように、という抱え方だった。


 抱き方は違った。

 どちらも、大事なものを守って帰る形に見えた。


「まだ、同じ卓では食えん」

 女が言った。

「俺も、それでいい」

 男が言った。

「持ち帰る。うちの者と食う」

「こちらもだ」


 二人は、それぞれ逆の方向へ歩き出した。

 どちらも、誰も踏まない帯をまたがなかった。


 ただ、去り際に、女が言った。


「……何が入っている」

「卵と、苔と、赤い実です」

「苔」

「よその駅のものです」

「よそ」

 女は、少し考えるような間を置いた。

「では、あちらも、同じものを食うのだな」

「はい。同じものです」


 女は、それだけ聞いて、歩いていった。



 月が、傾きはじめた。


 畑の穂が、いっせいに閉じていく。音はしなかった。ただ、あれほど明るかった地面から、少しずつ光が引いていった。


「間に合ったな」

 バハルが言った。

「はい」

「あの二人は、和解せんぞ」

「しないと思います」

「俺の商売も、当分なくならん」

「はい」


 彼は、笑った。今度は、はっきり分かる笑い方だった。


「だが、あの婆さんが最後に聞いたことは、初めてだ」

「何がですか」

「あちらが何を食うのか、聞いた。三十年見てきて、初めてだ」


 わたしは、閉じていく畑を見た。


「同じものを食べてる、って知ってるだけでも」

「変わるか?」

「……分からないです」

 わたしは正直に言った。

「でも、知らないよりは」


 バハルは、荷を担いだ。


「あんたの飯は、相変わらず妙だな」

「妙ですか」

「解決せん。だが、少し軽くなる」



 列車に戻る前に、わたしは聞いた。


「バハルさん。ハキムさんとは」


 彼の手が、荷の上で止まった。


「……まだだ」

「そうですか」

「探してはいる」

 彼は、外套の砂を払った。

「どこにいるかは分からん。だが、砂漠を出たらしい。人づてに、そう聞いた」

「どこへ」

「北のほうだと。鉱山だか何だか、そういう土地だと聞いた」


 わたしは、動きを止めた。


「……鉱山」

「知っているのか」

「たぶん、行ったことがあります」


 バハルが、こちらを見た。


「駅があります。ずいぶん古い、鉱山が枯れた駅です。駅長さんがひとりで開けてます」

 わたしは言った。

「ゴルダさんっていいます。地精族の、おばあさんです」


 バハルは、しばらく黙っていた。


「……客は、来るのか」

「わたしが降りた日は、わたしだけでした。でも」

 わたしは、少し笑った。

「いまは、もしかしたら」


 彼は、荷紐を握った。

 二重に結ばれたそれを、一度ほどいて、また結び直した。今度は、一重だった。


「聞いておく」

 それだけ言って、彼は背を向けた。


 その背中が、暗くなっていく畑のほうへ消えるまで、わたしは見ていた。

 結び直したばかりの荷紐の端が、歩くたびに揺れていた。



 車内に戻ると、棚に穂の束が置いてあった。

 バハルが積んでくれたらしい。月が沈んだので、もう光ってはいなかった。ただの、丸い粒だ。


「お客様」

 チャイが、盆を抱えて隣に来た。

「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「なに?」

「あの二人は、同じものを食べます。けれど、離れた場所で、別々に食べます」

 銀の人形は、窓の外を見ていた。

「あれは、分かち合ったことになるのでしょうか」


 わたしは、少し考えた。


「ならないかもしれない」

「では――」

「でも、同じ味になる」


 チャイが、こちらを見た。


「あっちの村でも、こっちの村でも、今夜、同じ味がするんだよ。誰も知らないまま」

「……はい」

「たぶん、それだけだよ。それだけだけど」


 わたしは、握った手を見た。

 まだ、少し塩が残っている。


「わたしの手で、両方とも握ったから」


 チャイは、何も言わなかった。

 しばらくして、盆を持ち直す音がした。前より、少しだけはっきり聞こえた。



 列車が動き出す。


 窓の外で、市が畳まれていく。誰も踏まない帯が、暗くなって見えなくなった。

 線がなくなったわけではない。ただ、夜が来て、見えなくなっただけだ。


「次は――」

 チャイが言いかけて、また止まった。


「……やはり、出てまいりません」

「うん」


 わたしは、棚の穂に手を置いた。


「北に行けるかな」

「北、でございますか」

「うん。鉱山のほう」


 チャイは、少し首を傾けた。

 それから、静かに言った。


「――決めながら、進む区間ですので」


 窓の外の線路が、ゆるやかに曲がりはじめていた。

 どちらへ曲がったのかは、まだ分からない。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ