第24話 温室駅の詰め物蒸し
「次は、温室駅。温室駅です」
窓の外が、緑だった。
線路の両側から、葉が迫っている。
車体をこすって、ときどき、ぱさ、と音がした。
速度が落ちて、止まった。
降りると、空気が重かった。
あたたかくて、湿っている。
息を吸うと、土と葉の匂いが、そのまま喉の奥まで入ってきた。
ホームの上に、屋根があった。
ガラスだった。
枠に細い鉄が渡してあって、その間にガラスがはめてある。
ただ、半分ほどが割れていた。
割れたところから、外の枝が入り込んでいる。
入り込んだ先で、また枝分かれして、内側へ垂れていた。
「これは」
「もとは、屋根の中だけで草木を育てる駅だったそうです」
チャイが言った。
「いまは」
「……はみ出しております」
わたしは、足元を見た。
石畳の目地から、細いつたがはい出していた。
その先が、線路のほうへ伸びている。
伸びた先に、車輪があった。
「チャイ」
「はい」
「これ、伸びてる?」
「伸びております」
銀の人形は、車輪のほうを見た。
「あのつたが、車輪を包んでしまいますと、出られなくなるそうです」
「どのくらいで」
「分かりません。ただ、いまも伸びております」
見ていると、分からなかった。
動いているようには見えない。
でも、さっきより、先が近い気がした。
ホームの奥に、しゃがんでいる人がいた。
背をこちらに向けて、土をいじっている。
男の人だった。若くはないが、老けてもいない。
手に、革の手袋をはめていた。
厚い手袋だった。
指の先が、ずいぶん余っている。動かすたびに、先だけが遅れてついてくる。
「食堂の者です」
土をいじっていた手が、止まった。
「お腹、空いていませんか」
その人は、立ち上がった。
それから、少し迷ってから言った。
「先代の弟子の、テオといいます」
名乗り方が、それだった。
「テオさん」
「はい」
「お腹は」
「……減っています」
その人は、手袋を見た。
「でも、いいんです。先代は、仕事の途中で食うなと言っていましたので」
「そうですか」
「そういうものだそうです」
わたしは、待った。
「……いや」
テオさんは、土のほうを見た。
「今日は、もう、途中でもないような気もします」
この人は、自分のことを言うとき、必ず誰かの言葉をつけた。
先代は、こう言っていました。先代は、こうしていました。そういうものだそうです。
じぶん、という言い方をした。
「じぶんは、まだ、そこまでではないので」
その「まだ」が、いつまでなのかは、言わなかった。
温室の中を、少し歩かせてもらった。
棚が並んでいる。
鉢がきちんと間隔を空けて置かれ、土の色が均されていた。
ここだけは、外と違った。
葉のはみ出したものが一つもない。
伸びすぎた枝は切られ、切り口に薄い膜のようなものが塗ってある。
「きれいですね」
「先代のとおりにしています」
「はい」
「じぶんは、覚えているだけです」
テオさんは、棚の縁をなでた。
「配置も、水の量も、切る場所も、ぜんぶ決まっています」
わたしは、割れた屋根を見上げた。
そこから伸びてきた枝が、棚の上を通って、向こうまで届いている。
その枝には、はさみが入っていなかった。
「あれは」
「あれは、先代のときには、なかったので」
テオさんは、そこで言葉を止めた。
「どうすればいいか、書いてありません」
厨房に戻った。
棚を見た。
鉄蕪が、いくつか。糸車駅の根菜。干した豆は、あと少し。
一座の塩。砂漠の塩の塊は、指でつまめるくらいになっている。
布の包みを開けた。
乾かした根だ。星見台駅で、あの人がくれたもの。
まだ使っていない。
一つ取って、割ってみた。
かたい。断面が白っぽい。
匂いを嗅ぐと、鼻の奥を刺すような苦さがあった。
これを汁に溶かしたら、たぶん、全部が苦くなる。
鉄蕪を一つ取った。
いちばん大きいものを選んで、上のほうを横に切った。
切ったほうを蓋にする。
中を、スプーンでくり抜いた。
厚みを残しながら、丸く。
くり抜いた身は、刻んで取っておく。
途中で、刃が滑った。
蓋にするほうの切り口が、斜めになった。
削り直せば、まっすぐになる。
少し小さくなるけれど、きれいに閉まる。
わたしは、蓋を持ったままでいた。
それから、削らないことにした。
干した豆を、少しだけ戻した。
外へ出て、割れた屋根の下へ行った。
入り込んだ枝の先に、新しい葉が出ている。
まだ小さくて、色がうすい。指でつまむと、簡単に折れた。
いくつか摘んで、戻った。
棚の鉢には、手を触れなかった。
くり抜いた鉄蕪の中に、戻した豆を入れた。
刻んだ身と、摘んできた新芽を混ぜて、上から詰める。
乾かした根を、布に包んで叩いた。
粗く砕けた。
粒の大きさがそろわない。大きいものと、粉に近いものが混ざっている。
それを、指でつまんで散らした。
一座の塩を少し振って、斜めの蓋を載せた。
隙間ができた。
向こう側が、少し見えている。
わたしは、そこを見て、そのまま手を離した。
鍋に湯を張って、蒸した。
湯が沸くと、鍋の底で、ぼこ、ぼこ、と鳴りはじめた。
しばらくすると、鍋の蓋が動いた。
かた、かた、かた。
蒸気が押し上げて、また落ちる。それが続いた。
昨日の炭は、音がしなかった。今日は、うるさいくらいだった。
湯気が、厨房の天井まで上がった。
外を見た。
つたの先が、枕木のところまで来ていた。
器に移して、運んだ。
「これは」
「鉄蕪を蒸しました」
それだけ言った。
テオさんは、器を受け取ろうとして、手を止めた。
手袋をはめた両手を見た。
右手から、外した。
指が出てきた。
それから、左手も外した。
まめも、傷も、なかった。
庭を触る人の手ではなかった。
テオさんは、自分の手を見た。
持ち上げて、指を開いて、閉じた。
それから、裏を返して、また見た。
手のひらを、もう片方の指でゆっくりなぞった。
何も言わなかった。
風が入ってきて、割れた屋根のところで葉が鳴った。
テオさんは、まだ手を見ていた。
それから、器を受け取った。
「蓋が」
「はい」
「斜めですね」
「はい」
わたしは、それだけ答えた。
直せた、とは言わなかった。
テオさんは、蓋を持ち上げた。
湯気が、いっぺんに出た。
中の豆が、うすい緑の葉と混ざって、汁を吸ってふくらんでいる。
その上に、黒い粒が散っている。
スプーンを入れて、口に運んだ。
「……あまい」
「はい」
「蕪が、やわらかい」
もう一口。
途中で、動きが止まった。
「……にがい」
テオさんは、口を押さえなかった。
かんだまま、目を細めた。
「これは」
「入れました」
「なるほど」
飲み込んでから、息を吐いた。
「消えませんね。あとに残ります」
「はい」
「……先代は、苦いものは客に出すなと」
そこで、止まった。
止まってから、もう一口すくった。
今度は、黒い粒のあるところを、自分で選んで取った。
つたが、枕木を越えていた。
「先代は」
テオさんは、器を膝に置いた。
「三十年、あそこを守っていました」
「はい」
「じぶんは、七年です」
手袋が、脇に置いてある。
その上に、手を置いた。
「同じようにやれています。誰にも、何も言われません」
それから、少し黙った。
「町の人が、褒めてくれます」
テオさんは、手袋の上の手を、少し動かした。
「よく守っている、と」
「はい」
「……守っている、というのは、そうなんですけど」
言葉が、途切れた。
テオさんは、割れた屋根のほうを見た。
「あそこは、じぶんが割ったわけじゃないんです。嵐で割れました」
「はい」
「そのままにしてあります」
「はい」
「直し方も、書いてありませんので」
あなたのやり方でいい。
そう言えば、この人は楽になる。
でも、それは、この人の代わりにはさみを持つことだった。
チャイが、テオさんの手袋のそばに来ていた。
「先代は」
テオさんが、また言いかけた。
「先代は、はさみは、迷ったら入れるなと言っていました」
「……お預かり、しております」
チャイが言った。
テオさんが、顔を上げた。
「え」
「先代さまのお言葉を、お預かりしております」
銀の人形は、盆を持ち直した。
「わたくしは、そういうものを、たくさん持っております」
テオさんは、しばらく、チャイを見ていた。
何か言おうとして、やめた。
やめてから、器の中を見た。
まだ、少し残っていた。
「……食べます」
「はい」
最後まで食べた。
黒い粒も、残さなかった。
「ごちそうさま」
テオさんは、器を返した。
それから、手袋を持ち上げた。
はめようとして、止まった。
右手だけ、はめた。
左は、持ったままだった。
しばらく、そうしていた。
そして、左手のほうも、はめた。
わたしは、それを見ていた。
何も変わらなかった。
「これ」
テオさんは、腰の道具入れから、細長いものを出した。
はさみだった。
小さくて、刃が短い。持つところが木でできている。
「先代のものが、二つあるので」
「いいんですか」
「一つは、使っていません」
受け取ると、刃が合わさるところに、油の匂いがした。
「手入れは、してあります」
「はい」
「ずっと、してあります」
使わないまま、ずっと。
「そろそろですね」
テオさんが、線路のほうを見た。
つたの先が、車輪の縁に触れていた。
「切りましょうか」
わたしは、少し考えて、答えた。
「いえ」
「でも」
「間に合います」
発車のベルが鳴った。
テオさんは、ホームに立っていた。
手袋をはめた両手を、下げたままだった。
わたしのほうを見て、それから、割れた屋根のほうを見た。
列車が、動き出した。
車輪が、つたを引きずった。
少し引っぱって、それから、ぷつ、と切れた。
切れたほうが、ホームに残った。
「チャイ」
「はい」
「さっきの」
「はい」
「先代の言葉、預かったの」
銀の人形は、盆の縁に指を置いた。
「はい」
「どうして」
少し、間があった。
「あの方が、ご自分の言葉でお話しになるたびに、途中で止まっておいででした」
「うん」
「止まるところに、いつも、先代さまがいらっしゃいました」
わたしは、窓のほうを見た。
「取り上げなかったんだね」
「はい」
チャイは、盆を抱え直した。
「わたくしも、長いこと、そうでしたので」
それきり、何も言わなかった。
棚に、はさみを置いた。
小さなはさみだった。
刃を開いて、閉じてみる。かちり、と鳴った。
刃と刃の合わさりに、隙間がなかった。
使っていないのに、手入れだけしてある道具の匂いがした。
鍋に、鉄蕪の切れ端が残っていた。
水で流した。
斜めに切れた蓋のかけらも、一緒に流れていった。
「チャイ」
「はい」
「今日の、苦かった?」
チャイは、食べない。
それは知っていて、聞いた。
「……分かりません」
「うん」
「ですが、あの方は、二口目からは、ご自分でお選びになっておいででした」
わたしは、布を置いた。
「見てたんだ」
「はい」
窓の外で、緑が遠くなっていった。
割れたガラスの屋根が、葉のあいだに一度だけ光って、それきり見えなくなった。
つたは、まだ、伸びている。




