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『環状霊脈線、つばめ食堂はじめます』~元・車内販売員の異世界各駅停車~  作者: 夕凪 鏡介


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第23話 星見台駅の朝ごはん


「次は、星見台駅。星見台駅です」


 暗いうちに、着いた。


 夜だった。ただ、いちばん深い夜ではない。

 空の下のほうだけが、わずかに薄くなっている。


 星が出ていた。

 数えきれないほど出ていた。



 降りると、足の裏から冷たさが上がってきた。


 ホームは石だった。

 四角く切った石が敷きつめてあって、人の通るところだけ、真ん中が浅くへこんでいる。


 線路の反対側は、低い石の手すりだった。

 その向こうには、何もない。下がどれくらい深いのかは、暗くて分からなかった。


 高いところにいるらしかった。

 風が、下から吹き上げてくる。



「停まる時間は」

「星が消えるまでだそうです」

 チャイが言った。


「消える」

「空が明るくなりますと、順に見えなくなってまいります」

「最後の一つが消えたら」

「発車でございます」


 わたしは、空を見上げた。


 まだ、いくらでもあった。



 ホームの先に、立っている人がいた。


 石の手すりのところで、こちらに背を向けている。


 女の人だった。

 髪に白いものが混じっていて、後ろで固くまとめてある。厚い外套の襟を立てて、その中に首をうずめていた。


 手すりに寄りかかってはいなかった。

 寒さに耐えている立ち方でもなかった。長いあいだ、そうやって立ってきた人の形だった。



「食堂の者です」


 声をかけると、その人は振り向いた。


「お腹、空いていませんか」


 返事まで、少しかかった。


「……いま、どのくらい」


 それが、最初の言葉だった。


「どのくらい、とは」

「あと、どのくらいで明るくなる」

「分かりません」


 その人は、また空を見た。


「じきだ」



 言葉の少ない人だった。


 嫌がっている感じはしなかった。必要な数しか出てこない、というだけに見えた。


「作りましょうか」

「……いいの」

「代金はいただいていません」


 その人は、少しのあいだ、黙った。


「じゃあ、もらう」



 足元に、鞄が置いてあった。


 布を厚く重ねた、四角い鞄だった。角のところが丸くなるまで使ってある。


 口が開いていた。

 中に、綴じた本が入っている。表紙の厚い、ぶあつい本だった。



 厨房に戻った。


 棚を見た。


 鉄蕪。糸車駅の根菜。干した豆。

 一座の塩と、砂漠の塩。塊のほうは、もうずいぶん小さい。


 それから、青菜。


 水量り駅でもらったものが、少しだけ残っていた。

 葉先が、下を向いている。昨日は立っていた。


 昨日のうちに使うつもりだった。

 使わないまま、朝になっていた。



 布の袋を出した。


 炭だった。

 リトさんがくれたものだ。まだ、一度も使っていない。


 かまどの灰を、端に寄せた。

 真ん中を空けて、炭を三つ、間を空けて置く。


 軽い。持つと、指に黒がついた。


 火をつけると、しばらく何も起きなかった。


 待った。


 それから、角のところが赤くなった。

 赤が、少しずつ内側へ入っていく。


 煙は、ほとんど出なかった。

 薪のように爆ぜもしない。


 音のしない火だった。



 鉄蕪を厚く切った。


 指の幅くらいにした。薄くすると、すぐ焼けてしまう。

 根菜も、同じ厚さにそろえた。


 かまどの奥から、鉄の網を出した。


 いつからあるのか、知らない。

 この車両に、もとからあったものだ。


 炭の上に、渡す。


 並べると、じり、と音がした。


 それきり、しばらく音がしなかった。


 焼けているのかどうか、見ただけでは分からない。

 手をかざすと、思っていたより下のほうまで熱が来ていた。


 待つしかなかった。



 そのあいだに、青菜を洗った。


 しおれたものは、湯にくぐらせても立たない。

 だから、細かく刻んだ。


 鍋に水を張って、火にかける。

 沸いたところへ、刻んだ青菜を落とした。


 砂漠の塩を、少し。


 汁が、うすい緑になった。



 網の上を見た。


 鉄蕪の下の面に、焦げ目がついていた。

 返すと、じゅ、と鳴って、切り口から水が浮いた。


 焼けた面から、甘い匂いが上がった。


 根菜のほうは、まだだった。

 こちらは火の通りが遅い。網の真ん中へ寄せた。


 もう少し置いて、上から一座の塩を振った。


 粗い粒が、熱で溶けずに、そのまま白く残った。



 器を二つ持って、外へ出た。


 空が、変わっていた。


 さっきまで敷きつめられていた星が、減っている。

 明るいものだけが、まだ残っていた。



「熱いです」

「……ああ」


 その人は、両手で器を受け取った。


 受け取り方が、静かだった。

 指がそろっていて、余計な動きがない。器の縁を避けて、底のほうを持っていた。



 焼いた鉄蕪を、先に口に入れた。


 かんだ。


「……あつい」

「はい」

「甘い」


 それから、もう一つ。


「炭を、変えた」

「はい。もらったばかりで」

「いい炭だ」


 その人は、うなずいただけだった。



 次に、汁に口をつけた。


 うすい緑の湯気が、白い息と一緒に上がる。


「これは」

「青菜です。しおれていたので、刻みました」

「うん」


 ひと口飲んで、その人は、器を膝の高さで止めた。


「朝ごはんだ」


「はい」

「ずっと、寝てから食べてた」

「はい」

「帰って、寝て、起きてから食べる。だから、朝に食べるのは」


 そこで、言葉が切れた。


 続きは、来なかった。



 空の星が、数えられるほどになっていた。



「二人で、見てた」


 その人が言った。


「交代で。夜のあいだ、ずっと」

「はい」

「片方が見て、片方が寝る。明るくなったら、代わる」


 わたしは、聞いていた。


「代わるときに、声をかけた」

「はい」

「決まった言い方だった。二十年、同じ」


 その人は、汁の器を両手で包んだ。


「その人は」

「いない」


 短かった。


「もう、いない」



 風が、下から吹き上げてきた。


 外套の裾が、少しふくらんだ。

 その人は、片手で押さえた。


 押さえてから、もう片方の手の器を、こぼしていないか見た。

 こぼれていなかった。



 それから、鞄のほうを見た。


「あれは、あの人のだ」

「はい」

「続きは、書いてる」


 その人は、手を伸ばして、鞄から本を取り出した。


 膝の上で開かずに、表紙を見た。


 うすく、白いものがのっていた。


 ほこりだった。


 その人は、それを見た。

 見てから、袖でこすった。


 早い動きだった。



「……毎日、開けてた」

「はい」

「いまは、開けない日がある」


 本を、膝に置いた。


「忘れてるんだ」


 その人は、空を見た。


「顔は、まだ分かる。声は、もう分からない」

「はい」

「どっちが先に消えるか、数えたことがある」



 言葉は、いくつも浮かんだ。


 どれも、この人が言われ慣れているもののような気がした。


 わたしは、器の熱が手に残っているのを感じながら、そこに立っていた。



 空に、星がいくつか残っていた。


 下のほうから、色が変わりはじめている。

 灰色が、うすい橙になって、そこから上へ薄れていく。



 チャイが、少し前に出ていた。


 盆を抱えたまま、手すりのほうを向いている。

 わたしのほうでも、その人のほうでもなかった。


 空を見ていた。



「……おはようございます」


 チャイが言った。


 誰にでもなかった。

 明るくなってきた空に向かって、ただ、そう言った。



 その人の肩が、動いた。


「……おはよう」


 言ってから、止まった。


 口が、半分開いたままだった。

 それから、指がゆっくり上がって、自分の口元に触れた。


 触れたまま、動かなかった。



 ゆっくりと首をめぐらせて、その人は、隣を見た。


 誰もいなかった。

 石の手すりが、そのまま続いているだけだった。



 空を見た。


 星が、一つになっていた。


 それも、見ているあいだに薄くなった。

 薄くなって、青の中に混ざって、分からなくなった。


 空が、明るかった。

 どこにも星のない、ただ、明るいだけの空だった。



 その人は、器を膝に置いたままでいた。


 しばらく、そのままだった。


 それから、残りを食べた。

 鉄蕪も、根菜も、汁も、最後まで食べた。


「ごちそうさま」



 立ち上がって、鞄を持った。


 本を、中にしまう。


 しまうとき、表紙をもう一度、袖でこすった。


 さっきと、同じ動きだった。

 ただ、さっきより少しだけ、長かった。



「これ」


 その人は、外套の内側から、小さな包みを出した。


 中に、乾かした根が入っていた。

 細くて、黒っぽい。


「かむと、目が覚める」

「はい」

「夜が長いときに」


「ありがとうございます」

「うん」



 その人は、ホームの奥へ歩いていった。


 石の階段があるらしかった。


 途中で、一度だけ空を見上げた。

 もう、何もない空だった。


 それから、下りていった。



 発車のベルが鳴った。


 列車が、動き出した。



 窓の外が、明るかった。


「チャイ」

「はい」

「さっきの」

「はい」

「誰に言ったの」


 銀の人形は、盆を抱えたままでいた。


「……分かりません」

「うん」

「空が、明るくなってまいりましたので」

「うん」

「それだけでございます」



「返事、きたね」

「はい」


 チャイは、盆を持ち直した。


「あれは、わたくしへのお返事では、なかったと思います」

「うん」

「けれど、聞こえました」



 棚に、乾かした根を置いた。


 一つ、かんでみた。


 苦かった。舌の奥に、長く残る苦さだった。

 目は、たしかに覚めた。



 青菜は、なくなった。


 網を外して、灰を落とした。


 炭は、まだ赤かった。

 消えるまでに、まだかかる。


 そのまま、置いておくことにした。



「チャイ」

「はい」

「朝に出したの、はじめてかもしれない」


「明日も、朝は来ます」

「うん」

「来ないことは、ございません」



 窓の外に、星はなかった。


 ただ、明るかった。





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