表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『環状霊脈線、つばめ食堂はじめます』~元・車内販売員の異世界各駅停車~  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/25

第22話 水量り駅のただの青菜


「次は、水量り駅。水量り駅です」


 ホームに、柱が立っていた。


 柱には、細長い筒がくくりつけてある。

 筒には目盛りが刻まれていて、いちばん下に、小さな穴が開いていた。


 水が、そこから細く落ちている。



「これは」

「乗る方が、ご自分で注ぐのだそうです」

 チャイが言った。

「注いだぶんだけ、列車は停まります」


 わたしは、筒を見た。


 目盛りは、上のほうまである。

 どこまで注ぐかは、注ぐ人が決めるらしかった。


「少なくてもいいし、多くてもいいの」

「はい」

「決めるのは」

「注ぐ方です」


 ひしゃくが、柱の脇に下がっていた。

 わたしは水を汲んで、真ん中あたりまで注いだ。


 水位が上がって、細い落ちる音が、少しだけ太くなった。



 ホームの端に、人が座っていた。


 荷物が、少なかった。

 背嚢がひとつ。それだけだった。


 その背嚢が、肩の形にへこんでいた。

 布がすり切れて、当たるところの色が薄くなっている。


 足元の靴を見た。


 泥がこびりついて、甲のところに深いしわが何本も走っていた。

 何度も曲がって、そのまま形がついたしわだった。


 ――ああ。


 わたしは、その靴を知っていた。



「リトさん」


 声をかけると、その人が顔を上げた。


「……あ」


 それだけ言って、口を開けたままになった。


「食堂の者です」

 わたしは言った。

「お腹、空いていませんか」


 リトさんは、少し笑った。


「その言い方、覚えてる」



 同じ駅ではなかった。


 あのときは、無数の線路が交わる駅だった。分岐器のおもりが倒れるまでの停車で、いつ終わるか分からなかった。

 ここは、水を注いだぶんだけ停まる。


 同じ人が、違う駅にいた。



「筒、注いだ?」

「はい」

「どのくらい」

「真ん中くらいまで」


 リトさんは、柱のほうを見た。


「おれは、上まで入れた」

「たくさんですね」

「うん。……次のが、いつ来るか分かんないから」


 それから、少し考えるように言い直した。


「ってのは、嘘だな。ここで座ってたかったんだ」



 わたしは、その隣に立った。


 背嚢が一つしかないのを、もう一度見た。

 あのとき、この人は担げない量の荷物を持っていた。背嚢が二つ、包みが三つ、長い筒がひとつ。


「荷物」

「減った」

「はい」

「捨てたんじゃないよ。使い切ったのと、あと、いらなかったのが分かったのと」


 リトさんは、背嚢の口を開けた。


 中から、丸めた紙を出す。

 広げると、地図だった。



 あのときと同じ地図だとは、すぐには分からなかった。


 折り目が擦れて、何ヶ所か破れかけている。

 開くとき、破れかけたところを手で押さえていた。


 線が、引いてあった。


 まっすぐな線ではなかった。

 太い道から外れて、大きく回り込んで、また戻ってくる。そういう線が、いくつも重なっている。


 消した跡もあった。

 消して、引き直して、また消した跡だった。



「回り道」

 リトさんが言った。

「したんだ、けっこう」

「はい」

「まっすぐ行けばよかったんだよ。今なら分かる」


 彼は、消し跡のいちばん濃いところを、指でこすった。


「でもさ。回ったときは、回るのが正しいと思ってたんだよね」



 わたしは、地図を見ていた。


「あの街には」

「行った」

「はい」

「三つ、仕事を変えた」


 リトさんは、地図を丸め直した。


「今のがいいのかも、分かんない」

「はい」

「でも、誰のせいでもない」


 そこで、少し止まった。


「そこは、変わらないな。ぜんぶ、おれのせいだ」


 言い方が、あのときと違った。


 同じことを言っているのに、声が沈んでいなかった。



「後悔してますか」


 聞いてから、踏み込みすぎたかと思った。


「してる」

 リトさんは即答した。

「毎日してる」

「はい」

「でも、戻りたいとは思わないんだ。不思議だよね」


 それから、こちらを見た。


「これ、正解だったのかな」


 わたしは、答えなかった。


 答えられることは、あった。

 「正解ですよ」と言えばよかった。たぶん、この人は少し楽になった。


 でも、それは、わたしが決めることじゃない。



 厨房に戻った。


 棚を見た。


 青菜がある。

 野原駅で、あの人がくれたものだ。売れ残りだと言っていた。


 葉先が、まだ立っていた。



 あのときは、全部入れた。


 鉄蕪も、干物も、乾燥肉も、蜜も、定規野菜も、乳も、岩塩も。

 行き先の分からないこの子に、通ってきた駅を全部食べさせようと思った。棚は空になった。


 今日は、それをしない。


 湯を沸かした。


 青菜を洗って、根元の土を落とす。

 太い茎のところだけ、指で裂いた。


 湯が立ったところで、放した。


 濃かった緑が、明るいほうへ動く。


 数えるほどの間で、上げた。


 水気を切って、器に盛る。

 一座の塩を、指でつまんで、上から落とした。


 手を加えたのは、そこまでだった。



 器を持って、外へ出た。


「これ」

「はい」

「これだけ?」

「はい」


 リトさんは、器を受け取った。


 しばらく、見ていた。


「前は、いろいろ入ってた」

「入っていました」

「これ、青菜だけだ」

「はい」


 わたしは、それ以上言わなかった。



 彼は、箸を入れた。


 持ち上げて、口に入れる。

 かんだ。


 目が、開いた。


「……苦い」

「はい」

「苦いのに、甘い」


 もうひと口。


「前のと、ぜんぜん違う」

「はい」

「あれは、いろんな味がした。これは、ひとつしかしない」


 リトさんは、器の中を見た。


「なのに、こっちのほうが」


 そこで、言葉が止まった。


 続きは、言わなかった。



 水の落ちる音が、少し細くなっていた。


 筒の目盛りが、下がってきている。

 彼が上まで入れたぶんは、まだ半分以上残っていた。



「あのさ」


 リトさんが、器を膝に置いた。


「前に、聞いたよね。おれ」

「はい」

「あんたは、どこで降りるのって」


 覚えていた。


「あんた、まだ乗っていたいって言ったんだ。それで、おれが、それも決めたってことじゃないって言って」

「はい」

「あんた、答えなかった」


 わたしは、うなずいた。


「答えられなかったんです」

「うん。分かってた」


 リトさんは、筒のほうを見た。


「いま、どう?」



 わたしは、口を開こうとした。


 開いて、閉じた。


 言葉は、あるはずだった。

 もう、自分の中では決まっている。ずいぶん前に、暗いところで決まった。


 でも、声に出したことが、一度もなかった。


 ――どう言えばいいんだろう。


 この人たちは、いつもこれをやっていたのか。

 わたしの前で、言葉を探して、黙って、それでも何か言おうとしていた。



 水が、落ちていた。


 リトさんは、待っていた。

 急かさなかった。器を膝に置いたまま、筒のほうを見ていた。


 ――待たれると、こうなるのか。


 わたしは、息を吸った。


 筒から水が落ちる音が、ひとつした。



「降りません」


 声が、思ったより小さかった。


「え」

「わたしは、どこでも降りません」

「……ずっと?」

「はい」


 リトさんは、こちらを見た。


「それ、決めたの」

「決めました」

「いつ」

「途中で」


 言葉が、足りなかった。

 足りなかったけれど、それ以上うまくは言えない気がした。


「この列車が、わたしの降りるところです」


 言ってから、耳の奥が熱くなった。


 誰かに言うと、こんなに恥ずかしいものなのか。



 リトさんは、しばらく黙っていた。


 それから、笑った。


「ずるいな」

「はい」

「乗ったまま降りるって、ずるいよ」

「はい」


 彼は、器を持ち直した。


「でも、そういうのもありなんだ」


 残りを食べた。

 最後の一枚まで、箸で拾った。



 水の音が、細くなっていた。


 筒の目盛りが、下のほうまで来ている。


「そろそろだね」

「はい」


 リトさんは立ち上がって、背嚢を担いだ。


 肩に当たる位置が、すぐに決まった。

 背中へ、一息に担ぎ上げた。



「これ」


 背嚢の脇から、布の袋を出した。


 中に、黒いものが入っている。

 炭だった。よく焼けた、軽い炭だ。


「あんたのかまど、これのほうが合うと思う」

「……いいんですか」

「うん」


 どこで手に入れたのか、聞かなかった。

 言わなかったからだ。


 両手で受け取った。

 思ったより、軽かった。



「じゃあ」

「はい」

「またどっかで」

「はい」


 リトさんは、ホームの端から降りていった。


 背中は、まっすぐだった。

 あのときも、振り返らなかった。


 背嚢の取っ手に、荷札が貼ってあった。


 何か書いてあった。

 遠くて、読めなかった。


 読もうとして、やめた。



 水が、落ちきった。


 最後のひとしずくが穴から抜けて、音が止まる。

 それから、発車のベルが鳴った。



 列車が、動き出した。


「チャイ」

「はい」

「聞いてた?」

「はい」


 銀の指が、盆の縁をなぞった。


「わたし、うまく言えなかった」

「はい」

「もっと、ちゃんと言えると思ってた」


 チャイは、少し黙った。


「いつも、そうでございます」

「え」

「お客様も、いつも、そうでいらっしゃいます」


 わたしは、その言い方を聞いていた。


「……そっか」

「はい」

「みんな、あんなふうだったんだ」

「はい」



 棚に、炭の袋を置いた。


 開けて、一つ取り出してみる。

 軽くて、乾いていて、叩くと高い音がした。


 いい炭だった。

 どこで手に入れたのかは、分からない。


 分からないままでいい。



 青菜は、少しだけ残っていた。


 明日には、しおれる。

 今日のうちに、もう一度使ったほうがいい。


 鍋を洗って、伏せた。

 水を切る音が、少しした。



「チャイ」

「はい」

「明日も、いい匂いがするといいね」


 銀の人形が、こちらを向いた。


 しばらく、何も言わなかった。


「……はい」


 それから、もう一度。


「はい」



 窓の外を、水の匂いが流れていった。


 どこかで、まだ誰かが筒に水を注いでいる。


 どれだけ注ぐかは、その人が決める。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ