表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『環状霊脈線、つばめ食堂はじめます』~元・車内販売員の異世界各駅停車~  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/25

第11話 風待ち駅のパン粥


「次は――」


 チャイの声が続きを持たないまま、宙に浮いていた。


「どこでしょうね」

「はい。分かりません」

「でも」

「でも、行きます。二人で」


 わたしは、それを聞きながら笑った。

 窓の外に、灰色の空が見えはじめていた。


 列車が、ゆっくり速度を落としていく。

 チャイが先に扉のほうへ動きかけて、途中で止まった。わたしを見る。

 行き先を決めるのは、もう、チャイひとりの仕事じゃない。

 わたしたちは並んで、扉の前に立った。

 見知らぬ駅の風が、扉の隙間から、ふたりの間を吹き抜けていった。



 降りたホームには、風があった。


 強くはない。でも、途切れない風だった。

 あちこちに、布の切れ端を結んだ棒が立っている。旗のようなものが、みんな同じ向きにはためいていた。


 人が何人もいた。

 でも、誰も動いていなかった。荷物を背負ったまま、じっと空を見上げている人。船着き場のような場所に、帆を畳んだ小舟が並んでいる。誰も乗っていない。


「風待ち駅、というそうです」

 チャイが言った。

「待つんですか、風を」

「はい。向きが変わるまで、誰も出発できないのだと」


 そういう駅もあるのか、と思った。

 制約は、いつも列車の外側にある。今日は、風だった。


 旗を見上げている老人がひとりいた。

 荷を担いだまま、動かない。何日も、そうしているような立ち方だった。

「あの人は」

 わたしが聞くと通りかかった別の旅人が答えた。

「もう十日は待ってる。頑固な風向きでね」

「困りませんか」

「困らんよ。風は、風の都合で変わる。わしらの都合じゃない」


 旅人はそれだけ言って、自分の荷物のところへ戻っていった。

 誰も急いでいなかった。

 急いでも、風は変わらない。それを、みんな知っている顔をしていた。


 この駅には、鐘もない。砂時計もない。

 ただ、待つための場所だった。



 その人は、ホームの隅にいた。


 長い脚。細い体。外套の下、腕のあたりに灰色の羽根のようなものが見えた。首も、少し長い。鳥に似た種族なのだと分かった。


 靴を見た。

 真新しい靴だった。革の色が、まだ濃い。でも、底が、もうすり減っている。


 変だ、と思った。

 新しい靴の底が減るには、それなりに歩かなければならない。でも、この人が長く旅をしてきたようには見えなかった。


 よく見ると、減り方が、偏っていた。

 つま先の内側と、かかとの右側。同じところばかり、繰り返し擦れている。

 ――外を、歩いた減り方じゃない。

 狭いところを、何度も、行ったり来たりした減り方に見えた。


「あの」

 声をかけた。


 彼は驚いたように顔を上げた。

「……食堂の、方ですか」

「はい。お腹、空いていませんか」

「いえ」

 即座に、そう言った。それから、少し考えて、言い直した。

「……空いているのかも、しれません」



 名前は、シリルといった。


 外套を脱ぐと、腕に沿って灰色の羽根が並んでいるのが見えた。折り畳まれたまま、広げられていない。


「渡りの季節、なんですよね」

 わたしが聞くと、シリルは、こくりと頭を動かした。

「群れは、もう発ちました。三日前に」

「あなたは」

「僕は、残りました」


 窓の外を見た。

 遠くの空に、鳥の群れらしき影は、もう見えなかった。


「見送ったんですか」

「はい。この駅まで、一緒に来ました。それで、僕だけ、降りて」

「群れの人たちは、何か言いましたか」

「何も。……いつものことなので」


 いつものこと、という言い方が引っかかった。

 毎年、同じことをしているのだと分かった。渡りの季節が来て、群れが発って、シリルだけが残る。それを、もう何度も繰り返してきた。


「育ての親が、飛べないので」


 その言葉には、迷いがなかった。

 迷いがないことが、逆に気になった。



「育ての親は、何と言ってるんですか」

 わたしは聞いた。

「行けと。何度も」

「あなたは」

「行けません」


 シリルは自分の靴の先を見た。


「僕がいなくなったら、あの人は、一人になります」

「……」

「僕を育てるために、あの人は、飛ぶのをやめました。もう何年も前に。だから、僕が今度は」


 言葉が、そこで止まった。


「僕が飛んでいったら、あの人がくれたものを、無駄にすることになる気がして」


「無駄」

 わたしはその言葉を、そのまま返した。

「はい。あの人は、僕のために、空を捨てました。その分だけ、僕が、地上で何かを返さないと」

「返す」

「……そうしないと、あの人が捨てたものが、ただ捨てただけになる」


 それは、恩ではなかった。

 恩なら、返せば終わる。

 でも、シリルが言っているのは、たぶん、違う種類のものだった。返し終わることのない、続く義務。


「群れのみんなは、いい人だって言います。親のそばに残るなんて」

 シリルはそう言って、少しだけ笑った。うまく笑えていない笑い方だった。

「でも、僕は、本当は」


 その先を、言わなかった。


 わたしは何も言わなかった。

 言葉は、たぶん、わたしの仕事じゃない。


 ――覚えが、あった。

 わたしも、駅を出るたびに、少しだけ同じことを考える。ゴルダさんも、ニィナさんも、バハルさんも、置いてきた人たちだ。次の駅へ行くことが、その人たちを置き去りにすることのような気がして、発車のベルを聞くたび、胸の奥が少し痛んだ。

 でも、行かなければ、次の誰かに会えない。

 行くことと、裏切ることは、たぶん、違う。分かっていても、その違いを、うまく言葉にできたことは、まだなかった。



 シリルの荷物を見た。

 背負い袋が、ぱんぱんに膨らんでいる。


「重そうですね」

「……はい」

「開けても」


 彼は、少しためらってから、こくりと頭を動かした。


 中から出てきたのは、硬い麦のパンだった。もうずいぶん時間が経っている。石のように硬い。

 その下に、乾いた根菜が、束になって入っていた。細く切って干したものだ。丁寧に、ひもでしばってある。


「これは」

「……親が、用意してくれました。旅立つときのために」


 わたしはその硬いパンを持ち上げてみた。

 軽い。乾ききっている。


「いつのですか、これ」

「……渡りの、三日前です」


 三日間、ずっと持って歩いていたことになる。

 使わないまま。



 厨房に戻った。


 チャイが盆を抱えて、ついてきた。

 いつもなら、わたしが動くのを、少し離れて見ているだけだった。今日は、棚の前まで来て、並んで立った。


「手伝います」

「うん」


 何を手伝うか、決めていなかった。

 でも、並んで立っているだけで、じゅうぶんだった。


 硬いパンを、薄く切った。

 乾いた根菜を、水で戻す。しばらく置くと、少しずつ、やわらかくなっていった。


 鍋に、戻した根菜と、水を入れた。

 塩を、ひとつまみ。バハルさんにもらった、あの塩だ。


 煮立ってきたところに、薄く切ったパンを沈めた。

 最初は、硬いまま浮いていた。かたかたと、鍋の縁に当たる音がした。

 でも、少しずつ、端のほうから、水を吸いはじめた。


 しばらく待った。


 パンが、ゆっくり、崩れていく。

 強張っていた角が丸くなって、輪郭がぼやけて、親の根菜と溶け合っていく。

 硬かったものが、粥のようになっていく。


 匂いが立った。

 根菜の、土の匂いに似た甘さ。パンの、麦の匂い。三日間、袋の中で寝かされていた匂いが、湯気になって、ようやく外に出てきたようだった。


 チャイが、鍋を見ながら言った。

「……硬いものが、やわらかくなっていきますね」

「うん」

「戻らないんでしょうか。硬いままには」

「戻らないよ。一度こうなったら」


 器に、よそった。



 シリルの前に、器を置いた。


 彼は、しばらく見ていた。

 それから、器を両手で持ち上げた。


 ひと口。

 もうひと口。


 手が、止まった。


「……これ」

「はい」

「親の畑の、匂いがします」

「そうかもしれません」


「親は、この根菜を、いつも同じ大きさに切ります。誰が切っても分かるくらい、揃えて」

 シリルは、器の中を見ながら言った。

「几帳面な人なんですね」

「はい。……僕が持ち歩いてる間に、少し曲がってしまったと思います。切り方が」


 わたしはそれには答えなかった。

 三日間、開けられずにいた包みの中身が、少しくらい曲がっていても、おかしくない。


 彼はまた口をつけた。


 わたしはその足元を見ていた。


 靴の先が、床を、軽く叩いていた。

 とん、とん、と。

 本人は、たぶん気づいていない。



「チャイ」

 わたしは小さく呼んだ。


 銀の人形が盆を抱えて、こちらに来た。

 シリルの前で、少し止まる。


 それから、盆を、数ミリだけ、前に押し出した。

 かちり、と小さな音がした。

 銀の小さな手が、盆の縁を、わずかに強く握っていた。


「……お忘れ物、していませんか」


 シリルが顔を上げた。


 いつもの「お忘れ物のないよう」ではなかった。

 問いになっていた。


「忘れ物」

「はい」

「……何を、忘れているんでしょう」


 チャイは答えなかった。

 ただ、盆を抱えたまま、静かに立っていた。



 わたしは何も言わなかった。

 チャイも、それ以上は言わなかった。


 シリルはしばらく、自分の靴を見ていた。

 それから、窓の外を見た。


 旗が、揺れていた。

 さっきまでとは、少し違う向きに。



 風が、変わりはじめていた。


 さっきの老人が荷を担ぎ直しているのが見えた。

 十日ぶんの待ちが、今、終わろうとしている。

 急いでいるようには見えなかった。ただ、当たり前のことのように、立ち上がっただけだった。


 ホームの旅人たちが、いっせいに動き出した。船着き場で、帆が上がる。荷を担ぎ直す音。


 シリルは立ち上がった。

 器の底に残った粥を、最後まで、すくって食べた。


 それから、靴のひもを、結び直した。

 すり減った底を、一度、指でなぞってから。


「……僕は」

 彼は、言った。

「僕は、まだ、分かりません」

「うん」

「でも」


 外套を、羽織った。

 背から、灰色の羽根が、少しだけのぞいた。


「歩いてみます。とりあえず、外まで」


 それだけ、言った。


 それ以上は、聞かなかった。

 わたしが知る必要は、たぶん、ない。



 彼は荷物を背負って、ホームへ降りた。


 風の中を、歩いていく。

 最初の一歩は、小さかった。

 次の一歩は、少しだけ、大きかった。


 旗の下を通るとき、外套の背が、一度、大きく膨らんだ。

 中の羽根が、風をはらんだのだと分かった。

 広げたのか、広げかけただけなのか、ここからでは分からなかった。


 振り返らずに、旗の向こうへ、歩いていった。



 発車のベルが鳴った。


 わたしは厨房に戻った。

 空の器を、片づける。


「チャイ」

「はい」

「さっきの、良かったね」

「……何がでしょう」

「お忘れ物、していませんか。あれ」


 チャイは少し黙った。


「……分かりません。ただ、そう言いたく、なりました」

「うん。それで、いいと思う」


 列車が、動き出した。

 窓の外で、風待ち駅の旗が、遠ざかっていく。


 棚を見た。

 シリルが、荷物の隅から出して、置いていったものがあった。


 灰色の、小さな羽根。


 持ち上げてみる。

 軽い。


 来年、また同じ渡りの季節が来たとき、この駅に、この人がいるかどうかは分からない。

 群れと一緒に発っているかもしれないし、また靴をすり減らして、部屋の中を歩いているだけかもしれない。

 どちらでも、わたしには分からない。


 いつか、誰かの役に立つかもしれない。

 そう思って、羽根を、棚の奥にしまった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ