*3*
サグラシオンは時計を持たない。時計代わりになる物も。
だから、ニ十分かかると言われたが、いつ、時計専門店に戻ればいいのか解らなかった。
あたりを見回しても、しるべになりそうな物は見当たらない。
サグラシオンは、強いしるべを求めて、街まで出てきたのだ。
店に行き、まだ出来上がっていないと言われたら嫌だな、とサグラシオンは思った。
がらんどうな時間が生まれそうで、怖かった。
優しい草花もない街で、がらんどうになるのは心細い。
けれど結局、時計専門店に向かった。
迷っている間にも、がらんどうにつけ狙われる気がしたから。
腕時計のベルトの穴は、もう、きちんと空けられていた。
サグラシオンは、とても、ほうっとした。
着けてみると、それは手首に沿って、しっかり巻くことが出来た。
緩くもきつくもない。
小さなしるべを左手首にして、サグラシオンは帰りのバスに乗った。
それ以上、街を楽しむ力もなかった。
腕時計を得たサグラシオンの心は、一時だけ高揚した。
高揚したが、心はまた涼しい風を感じた。
時間が解れば心強い。
〝ちゃんとした〟時計はそれだけで、サグラシオンをほんの少し〝ちゃんと〟見せてくれるだろう。
だがそれは、強いしるべには遠かった。
ぼろぼろの心身を一気に充電させることは出来ない。
この時計を得たことに意義は感じるけれど、自分に最も必要なのは、もっと違う、他のものらしい。
サグラシオンはそう気づいてしまった。
バスを降りたサグラシオンに涼しい風が吹きつける。
寒い風が吹きつける。
人いきれよりは好ましいけれど、寒いことは寒いのだ。
いつも写真を撮る場所に、サグラシオンは向かった。
いつ行っても、滅多に人がいない。そして明るい。
サグラシオンお気に入りの場所だった。
子供が遊ぶには古びてしまった遊具と、桜の樹が目につく。
適度に放置された野原も。
桜の蕾は固い。
春はまだ遠い。
しるべは無い。
サグラシオンは疲れている。
左手首に寄り添う、しなやかな短毛の仔猫のような感触は、サグラシオンの心に擦り寄り慰めるようで、強くはないが得られて良かったと思った。
春を望む気力もサグラシオンには残っていない。
ただ荒れ狂う大海のような苦しみでぼろぼろに痛む無数の傷が、悲鳴を上げたくなるほどに辛い。
好きな桜の樹さえ荒涼として見える。
冷たい骨組みのように。
「なぜ蕾をつけているんだ?」
桜は沈黙する。
「春を信じることは愚かだ」
桜は沈黙する。
「四季に従順に、花開く。なぜ、」
桜は沈黙する。
「そうまで強くいられる?」
答えないまま、桜は春になればほころぶのだ。
サグラシオンとて知っていた。
答えずにただ在り、ただ咲く生を知っていた。
黙々として貫く光と苛酷を。
サグラシオンは、神様を信じていない。
だが、神と同じように沈黙を保つ桜の樹のことは尊敬していた。
そこらの人間よりも、ずっと。
「知ってる。ただ強いだけじゃない。それは人の押しつける姿でエゴだ。君は、そんな風にしか生きられないんだ。そんな風にしか生きられなくて、だから、そんな風に生きていられるんだ………生きているんだ……」
桜は沈黙する。
サグラシオンは沈黙しない。
生きている。
<結>
不明瞭なサグラシオンの旅にお付き合いいただき、ありがとうございました。