↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏祭りの金魚  作者: 横田 真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/17

第八章 全部やりたい

 最初の一時間のことを、ぼくは全部覚えている。


 順番も、値段も、誰が何を言ったかも。

 これはたぶん、脳みその容量が、そこに全部使われてしまったからだと思う。あの一時間、ぼくは自分の外側で起きていること以外、何ひとつ考えていなかった。


 歩くと、店が来る。

 通り過ぎると、次の店が来る。


 五メートルに一軒だから、それが延々と続く。

 射的、輪投げ、たこ焼き、から揚げ、焼きそば、じゃがバター、りんご飴、綿あめ、かき氷、くじ、お面、水風船。名前を知らない店もあった。


 全部やりたい、と思った。


 文字どおり、全部だ。

 一キロぶんの店、四百軒を、端から端まで、一軒残らず。


 できないことくらい、十歳でもわかる。

 わかっていても、そう思った。



   ◇



 拓海がかき氷の店に並んだので、ぼくも後ろについた。


 四百円。

 拓海がブルーハワイと言ったから、ぼくもブルーハワイと言った。青い色をしていて、味は青い色の味がした。それ以外に言いようがない。


 紙の財布から千円札を一枚出すとき、ぼくは少し手間取った。

 三枚重なっているのを、一枚だけ抜くのがうまくできない。おじさんが待っているのがわかって、指が余計に動かなくなった。


 おつりの六百円を受け取って、それを財布に戻して、マジックテープを閉じる。びりびり、と鳴った。


 残り、二千六百円。


 ぼくは頭の中でそう数えた。


 こういうことをしていたのは、五人のうちでぼくだけだった。

 拓海は財布を見もしないで金を出していたし、健太はポケットに小銭を裸で突っ込んでいた。美咲は――たぶん数えていた。あの子は数えていたはずだ。でも顔には出さなかった。


 舌が青くなった。

 健太が「うわ、見して」と言うので見せた。健太のはイチゴで、赤かった。二人でお互いの舌を見せ合って、なんでもないことで笑った。



   ◇



 次は、健太が「たこ焼き」と言って歩き出したので、五人でそっちに行った。


 六百円。八個入り。


 紙の舟に入っていて、ソースと青のりと鰹節がのっている。鰹節が熱でうねうね動くのを、杏がしゃがみこんで見ていた。


「動いてる」

「動いてない。湯気で揺れてるだけ」

「動いてるよ」


 美咲がそう言い切っても、杏は動いていると言い張った。杏がそんな風に引かないのを、ぼくは初めて見た。


 一つ食べたら、中がまだ熱くて、口を開けたまま息を吸った。

 そういう、みっともない食べ方をしても、誰にも何も言われない。


 残り、二千円。


 三千円のうち、もう千円が消えていた。

 まだ一時間も経っていない。


「優真くん、ペース考えた方がいいよ」


 美咲が横から言った。ぼくの財布を見たわけでもないのに。


「まだ二時間以上あるんだから」

「わかってる」

「わかってないでしょ」

「うるせーな」


 答えたのは拓海だった。ぼくではなく。

 拓海は笑いながら言ったので、美咲もそれ以上は言わなかった。


 ぼくは、助かった、と思った。

 自分で言い返さずに済んだことに、ほっとしていた。



   ◇



 金魚すくいの店の前で、ぼくは足を止めた。


 止まったのは、ぼくだけだった。


 拓海と健太は、その少し先で射的の店をのぞいていた。美咲と杏は、反対側のりんご飴の前にいた。

 四人とも、こっちを見ていない。


 浅い水槽が、青いビニールを敷いた木の枠の中に置いてある。

 その中に、金魚がびっしりいた。


 赤いのと、まだらのと、黒くて丸いの。数え切れない。

 水は薄く濁っていて、上から蛍光灯みたいな明かりが当たっていた。


 四百円、と紙に書いてある。


 ぼくは、金魚すくいをやったことがなかった。

 去年までは、母のとなりで見ているだけだった。「やる?」と聞かれて、「いい」と答えていた気がする。あれはたぶん、失敗するのが嫌だったのだと思う。


 でも、その日は、四百円を出した。


 誰も並んでいない店に、ひとりで。

 自分で決めて、自分で払った。



   ◇



 おじさんは、金を受け取ると、紙のポイと白いお椀を黙って渡してきた。


 ぼくは水槽の前にしゃがむ。


 やり方は知らない。聞けば教えてくれたと思う。

 でも聞かない。


 見よう見まねで、ポイを水に入れる。

 真上から、まっすぐ。金魚のいるあたりに、ざぶんと。


 紙が破れる。


 水に触れて、金魚が散って、真ん中に穴が空いている。

 一匹もすくっていない。


 四百円。

 三秒。


 耳のあたりが熱くなった。



   ◇



 立ち上がって、破れたポイを差し出す。


 すみません、とか、ありがとうございました、とか、何か言うべきだった。

 口は動かない。


 おじさんはポイを受け取って、水槽の横に置いた。


 それから透明な袋を一枚取り、水を少し入れる。

 網で、隅にいた小さいのを一匹すくって、袋に落とす。


 口をねじって、輪ゴムで留めて、こちらに差し出す。


「はい」


「え」

「持ってきな」


 おじさんは、もう次の子の方を見ていた。


 ぼくは袋を受け取って、頭を下げた。

 頭を下げただけで、その場を離れた。


 あの日、ぼくが礼を言えなかった人は二人いる。

 一人目が、このおじさんだ。



   ◇



 袋は思っていたより重い。


 持ち上げると下がぐっと沈んで、手のひらに食い込む。

 中で金魚が一匹、ゆっくり向きを変える。


 赤くもない。どちらかというとオレンジで、五センチもない。


「え、すくえたの?」


 美咲が戻ってきて、袋をのぞきこんだ。


「うん」


 ぼくは袋を少し持ち上げて、見せた。


 美咲は「へえ」と言った。

 それだけだった。



   ◇



「一匹だけかよ」


 拓海が来て、そう言って笑った。


「うるさい」

「持って帰んの、それ」

「持って帰る」

「死ぬぞ」


 拓海はそう言って、また射的の方へ行ってしまった。


 死ぬぞ、と言われて、ぼくは初めて、この袋の中身が生きものであることを意識した。


 それまでは、賞品みたいなものだと思っていた。

 でも、これは動いている。ぼくが持ち上げるたびに、水の中で向きを変える。


 右手に、重さがあった。


 残り、千六百円。


 そして、この日ぼくの右手は、もう空ではなくなった。



   ◇



 四時をまわると、人が急に増えた。


 さっきまでは前が見えていたのに、いつのまにか大人の背中しか見えない。歩くというより、押されて進む感じになってきた。


 五人で固まって歩くのが、だんだん難しくなる。


「射的やろうぜ」


 拓海が言った。もう決めた声だった。


「あれ絶対取れる。あの箱のやつ」

「並んでるじゃん」

「並ぶ」


 健太は、から揚げの店の行列を見ていた。


「あっちの方、うまいらしい」

「どっち」

「あっち」


 杏が、りんご飴の前で立ち止まっていた。買うわけでもなく、ただ、赤いのが並んでいるのを見ていた。


 美咲は、どこも見ていなかった。

 美咲だけが、ぼくら四人を見ていた。


 ぼくは、どうしたかったのだろう。


 いま考えても、思い出せない。

 射的をやりたかったのか、から揚げが食べたかったのか、りんご飴を見ていたかったのか。


 たぶん、どれでもよかったのだ。

 どれでもよかったから、ぼくは何も言わなかった。


 五人の視線が、四つの方向に散った。


 いま思えば、ここが分かれ目だった。

 あの一時間で終わっていれば、あの日は完璧な日として残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。