↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏祭りの金魚  作者: 横田 真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/17

第十章 焼きそばの前で

「佐久間くん」


 名前を呼ばれて、ぼくは振り返った。


 焼きそばの屋台だった。

 大きい鉄板の上で、湯気と煙が上がっている。ソースの匂いが、風下にいるぼくらのところまで来ていた。


 その屋台の端に、女の子が立っていた。


 白いエプロンをして、髪を後ろでまとめて、割り箸の束を持っている。

 焼きそばを受け取った人に、一膳ずつ渡す係らしい。


 誰だかわからなかった。


 一秒か、二秒。

 それから、わかった。



   ◇



 石川真央は、習字教室で一緒の子だった。


 毎週木曜の夕方、公民館の和室でやっている教室で、ぼくと真央はいつも隣同士だった。

 学校は違う。真央は第一小で、ぼくは第二小だ。だから会うのは週に一回、あの部屋の中だけだった。


 真央とは、普通に話せた。


 これは、ぼくにとってかなりめずらしいことだ。

 墨をこぼしたとか、先生の字が読めないとか、半紙が足りないとか、そういうことを、ぼくは真央には言えた。向こうから話しかけてくることもあったし、こっちから話しかけたこともあった。


 なぜ話せたのかは、いまでもわからない。


 たぶん、あの部屋にはぼくを知っている人が誰もいなかったからだと思う。

 拓海も、健太も、美咲も、あの和室にはいない。教室でのぼくがどういう子かを、真央は知らない。


 だから話せた。



   ◇



「佐久間くん、来てたんだ」


 真央がそう言う。


 ぼくの口は、動かない。


 言うことは、ある。あるどころか、いくつもある。

 来てた、とか、手伝ってるの、とか、その箸すごい量だね、とか。習字教室でならいくらでも言えることだ。


 でも、ここは和室じゃない。


 ぼくのすぐ後ろに、拓海がいる。健太がいる。美咲と杏がいる。

 四人とも、こっちを見ている。


 真央が待っている。

 ぼくが何か言うのを、待っている。


「……うん」


 それだけだった。


 真央は、少し笑って、「そっか」と言った。



   ◇



「誰?」


 拓海だった。


「習字の」

「習字?」

「習ってる。木曜に」

「へえ」


 拓海はそこで一拍おいて、それから言った。


「彼女?」


 健太が「うわ」と言って笑った。


 ぼくは、真央の方を見なかった。

 見られなかった、というのが正しい。


「違う!」


 近くにいた人が、何人かこっちを見た。


 そのまま、ぼくは歩き出した。


 真央に何も言わずに。

 じゃあね、とも、また木曜、とも言わずに。



   ◇



 二十メートルくらい進んでから、一度だけ振り返った。


 真央は、もう別の人に箸を渡していた。


 次の人が焼きそばを受け取って、真央が箸を出して、その人が受け取って、また次の人が来る。

 同じ動きを、何度も繰り返していた。


 こっちは見ていなかった。


 ぼくは前を向いて、また歩いた。



   ◇



「ねえ」


 少し後ろから、美咲の声がした。


 拓海と健太は、もう先の方を歩いている。杏もそっちにいる。


「いまの、感じ悪かったよ」


 ぼくは黙っていた。


「ちがう、ってあんな大きい声で。あの子、聞こえてたよ」

「べつに」

「しかも、なんにも言わないで行っちゃったし」

「うるさいな」


 美咲が、止まった。


 ぼくも止まった。止まるつもりはなかったのに、足が止まった。


 人が、ぼくらの横を通り過ぎていく。何人も、何人も。

 誰も、ぼくらのことは見ていない。


「……ごめん」


 と言えばよかった。


 でもぼくは、そのまま前を向いて歩き出した。

 美咲は、ついてこなかった。



   ◇



 あの日、ぼくが人に向かって強く言葉を出したのは、この一回だけだ。


 拓海にでもない。健太にでもない。真央にでもない。


 美咲に、だった。


 しかも、言うべきことを一番正しく言ってくれた人に向かって。


 ぼくは、それから一時間くらい、誰とも喋らなかった。

 右手の袋を持ち直しながら、四人の後ろの方を歩いていた。


 六時をまわって、屋台の電球が全部点いた。

 空はまだ完全には暗くなっていない。あの、青が濃くなっていく時間だ。


 人はもっと増えていた。


 そして、あと二時間で、ぼくは駅に戻らなければならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。