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第4話 千二百の軍勢を屈服させる

王国軍第三師団長ギルバート将軍は、北西辺境領へ続く街道を進みながら、不機嫌そうに馬上で舌打ちした。

四十五歳。赤茶色の髪を短く刈り込み、頬に古い傷を持つ歴戦の将軍だった。剣の腕前は確かで、部下に対する統率力も高い。しかし、その性格には重大な欠点があった。

自分より優秀な人間を決して認めない。

そして、敗北を何よりも恐れている。

「たかが左遷された軍師一人を捕らえるために、千二百もの兵を動かすとはな」

ギルバートは吐き捨てた。

副官の若い騎士が答えた。

「総司令官閣下の命令です。北西辺境領では不審な魔力反応が観測されているとのことです」

「魔力鉱石だろう」

「おそらくは」

「ならば鉱山を接収すればよい。レオンなど、適当な罪を着せて王都へ連行しろ」

ギルバートは笑った。

「軍師などという連中は、戦場で剣を振るえない臆病者ばかりだ」

副官は返事をしなかった。

実際には、レオンの戦略によって第三師団が何度も救われてきたことを知っていたからだ。

しかし、上官の機嫌を損ねるつもりはなかった。

王国軍は三つの部隊に分かれていた。

先鋒四百。

本隊六百。

後衛二百。

兵站用の馬車は三十台。魔法兵が五十人。騎兵は百二十騎。

通常ならば、地方の小さな領地など一日で制圧できる戦力だった。

だが、彼らは一つのことを知らなかった。

その進軍経路を、すでにレオンが完全に把握していることを。

領都ベルグの執務室では、レオンが地図を前に作戦を立てていた。

「敵は三方向から来る」

彼は地図に三本の線を引いた。

「先鋒は黒水川の橋を渡り、本隊は中央街道を進む。後衛は南の丘陵地帯で待機するだろう」

エリシアが尋ねた。

「なぜ、そこまでわかるのですか」

「ギルバートは昔から同じ戦術を好む」

「しかし、こちらの兵力は三十四人です」

「戦うのは兵士だけではない」

レオンは地図を指さした。

「地形も、天候も、情報も、すべて戦力になる」

ガルドが腕を組んだ。

「それでも千二百人ですよ」

「千二百人だからこそ、弱点がある」

「弱点?」

「補給だ」

レオンは説明を始めた。

大軍は強い。しかし、食料、水、馬の飼料、宿営地が必要になる。

一人の兵士が一日に消費する食料は約一・五キログラム。千二百人なら一日で一・八トン。馬の飼料を含めれば、その数倍になる。

「補給が途絶えれば、どれほど強い軍隊でも戦えない」

エリシアは頷いた。

「では、補給路を断つのですね」

「いや」

レオンは首を振った。

「それだけでは足りない。敵に、自分たちが完全に包囲されたと思わせる」

セレナが笑った。

「幻覚魔法でも使うのか」

「必要ない」

「ほう」

「人間は、自分が恐れているものを勝手に想像する」

レオンは立ち上がった。

「今回は、それを利用する」

その夜、レオンは三十四人の兵士を三つの部隊に分けた。

第一部隊はガルドが率いる十四人。

第二部隊はエリシアが率いる十人。

第三部隊はレオン直属の十人。

それぞれに異なる任務が与えられた。

ガルド隊は街道沿いに旗を立てる。

エリシア隊は黒水川の橋を確保する。

レオン隊は中央街道の地形を変える。

セレナには別の役割があった。

「私は何をすればいい」

「何もしなくていい」

「何だと?」

「ただし、敵の魔法兵が攻撃を始めた場合だけ、防御を頼む」

セレナは不満そうに頬を膨らませた。

「せっかく魔王が協力してやるというのに」

「魔王の力を使えば、こちらの存在が神々に知られる」

「もう知られているだろう」

「だが、どの程度の戦力を持っているかまでは知られていない」

レオンは静かに答えた。

「切り札は、使わないことにも価値がある」

セレナはしばらく彼を見つめていた。

やがて笑った。

「お前は本当に軍師なのだな」

翌朝、王国軍の先鋒四百人が黒水川へ到着した。

橋の手前には、奇妙な光景が広がっていた。

街道の両側に無数の旗が立っている。

赤、青、黒、白。

それぞれ異なる部隊の旗だった。

先鋒隊長は馬を止めた。

「何だ、これは」

部下が答えた。

「敵軍の旗と思われます」

「敵軍?」

「はい。少なくとも十以上の部隊が展開しているようです」

先鋒隊長は眉をひそめた。

「馬鹿な。北西辺境領の兵力は三十人程度と聞いている」

「しかし、旗の数は……」

遠くの丘には、武装した兵士らしき影が並んでいた。

実際には、木材と古い鎧でつくった人形だった。

しかし、朝霧の中では本物の兵士に見えた。

さらに、地面には無数の馬蹄の跡が残されていた。

レオンが地形掌握によってつくったものだった。

「偵察隊を出せ」

先鋒隊長が命じた。

十騎の騎兵が橋へ向かった。

その瞬間、橋の向こう側から声が響いた。

「そこまでです」

エリシアだった。

彼女は十人の兵士を従え、橋の中央に立っていた。

「ここから先は北西辺境領です。武装した軍隊の無断侵入を認めません」

先鋒隊長が笑った。

「たった十人で四百人を止めるつもりか」

「必要ならば」

「愚かな」

先鋒隊長は剣を抜いた。

「突撃!」

四百人の兵士が動き始めた。

しかし、橋に差しかかった瞬間、異変が起きた。

地面が震えた。

川岸の岩盤が隆起し、巨大な壁が形成された。

橋の前後に高さ十メートルの岩壁が立ち上がる。

王国軍は完全に足止めされた。

「何だ!」

「魔法だ!」

兵士たちが混乱する。

エリシアは静かに告げた。

「これは警告です。これ以上進めば、命の保証はありません」

先鋒隊長は顔を青くした。

しかし、退却することもできなかった。

背後の街道も岩壁によって塞がれていたからだ。

一方、中央街道を進んでいたギルバート本隊にも異変が起きていた。

突然、前方の道路が消えたのである。

正確には、道路そのものが左右へ移動し、巨大な谷が形成されていた。

深さ二十メートル。

幅五十メートル。

馬車では越えられない。

「どういうことだ!」

ギルバートが怒鳴った。

副官が答えた。

「地形変動のようです」

「地震か」

「いえ、地震の記録はありません」

ギルバートは周囲を見渡した。

すると、丘の上に一人の男が立っていた。

黒い外套をまとい、剣を腰に下げている。

レオンだった。

「久しぶりですね、ギルバート将軍」

その声は魔法によって拡大され、街道全体に響いた。

ギルバートの顔が怒りで赤くなった。

「レオン!」

「ずいぶん大勢でお越しですね」

「貴様、何のつもりだ!」

「それはこちらの台詞です。武装した千二百人の兵士を率いて、私の管轄地へ何の用ですか」

「軍務省の命令だ! 鉱山を接収する!」

「正式な王命は?」

ギルバートは黙った。

「王国法第七十二条。地方行政区の財産を軍が接収するには、国王の署名と王印を必要とする。ご存じでしょう」

「黙れ!」

「書類がないなら、お引き取りください」

ギルバートは剣を抜いた。

「全軍、攻撃準備!」

魔法兵たちが杖を構えた。

五十人の魔法兵が一斉に詠唱を始める。

しかし、レオンは動かなかった。

彼の視界には、すでに敵の魔力構造が表示されていた。

《敵性魔法陣を検出》

《火炎魔法:三十二》

《雷撃魔法:十八》

《魔力干渉可能》

レオンは右手を上げた。

敵の魔法陣が一斉に消滅した。

「なっ!」

魔法兵たちが驚愕する。

詠唱は完成していた。

魔力も十分だった。

しかし、魔法が発動しない。

「何をした!」

ギルバートが叫んだ。

「少し魔力の流れを変えただけです」

レオンは平然と答えた。

「将軍。あなたの軍隊は、すでに戦闘能力を失っています」

「ふざけるな!」

ギルバートは騎兵隊に突撃を命じた。

百二十騎が前進する。

その瞬間、地面から巨大な岩の柱が立ち上がった。

騎兵たちは進路を失い、馬を止めざるを得なかった。

さらに、周囲の丘から無数の旗が現れた。

朝霧の中、何千人もの兵士が包囲しているように見えた。

ギルバートの副官が叫んだ。

「将軍! 敵軍に包囲されています!」

「馬鹿な!」

「南方にも敵影!」

「後衛との連絡が途絶えました!」

ギルバートは歯ぎしりした。

レオンは丘の上から静かに見下ろしていた。

彼は敵軍を殺すつもりはなかった。

必要なのは、勝利ではない。

完全な屈服だった。

そのためには、敵に自分たちが絶望的な状況にあると思わせる必要があった。

レオンは最後の仕掛けを発動した。

《地形掌握》

《領域支配》

中央街道の両側に巨大な岩壁が立ち上がる。

高さ三十メートル。

長さ数百メートル。

王国軍本隊は巨大な石の回廊に閉じ込められた。

さらに、地面がわずかに傾き始めた。

馬車が滑り、兵士たちが悲鳴を上げる。

「止めろ!」

ギルバートが叫んだ。

レオンは右手を下ろした。

地面の動きが止まった。

「将軍」

レオンの声が響いた。

「これ以上の抵抗は無意味です」

「貴様……」

「降伏してください」

「王国軍が、地方の監察官ごときに降伏できるか!」

レオンは静かに答えた。

「ならば、あなたの秘密を公表しましょう」

ギルバートの顔色が変わった。

「何?」

「三年前の南部戦役。あなたは軍資金の一部を横領し、補給物資を横流しした」

周囲の兵士たちがざわめいた。

「その結果、前線では食料不足が起こり、二千人以上の兵士が餓死した」

「嘘だ!」

「証拠はあります」

レオンは懐から一冊の帳簿を取り出した。

それは前の人生で調査していた事件の記録をもとに、今回あらためて入手した写しだった。

「軍需商人との取引記録、金貨の流れ、偽造された納品書。すべて揃っています」

ギルバートは唇を震わせた。

「なぜ……」

「あなたは自分の失敗を隠すため、無実の補給将校を処刑しましたね」

兵士たちの視線が将軍に集まった。

レオンは続けた。

「その将校の名前は、アルベルト・ロイス」

ギルバートの副官が息を呑んだ。

「アルベルト……」

レオンは彼を見た。

「あなたの兄でしたね」

副官の顔が青ざめた。

彼の名はユリウス・ロイス。

兄の無実を証明するため、あえてギルバートの副官となっていた若い騎士だった。

前の人生で、ユリウスは証拠を集める途中で暗殺されている。

レオンはその事実も知っていた。

「ユリウス」

レオンが呼びかけた。

「兄の無実を証明したいなら、今が機会だ」

ユリウスは震える手で剣を抜いた。

ギルバートが怒鳴った。

「何をする!」

「将軍」

ユリウスは静かに答えた。

「兄は、最後まであなたを信じていました」

「黙れ!」

「しかし、あなたは兄を裏切った」

ユリウスは剣を将軍へ向けた。

「私は、もうあなたには従いません」

周囲の兵士たちも動揺し始めた。

ギルバートは剣を振り上げた。

「反逆者め!」

その瞬間、レオンが指を動かした。

地面から細い岩の鎖が伸び、ギルバートの腕を拘束した。

剣が地面に落ちた。

「終わりです」

レオンは静かに告げた。

ギルバートは膝をついた。

王国軍第三師団は、指揮官を失った。

そして、戦う理由も失った。

ユリウスが剣を収めた。

「全軍に告ぐ!」

彼の声が響いた。

「武器を捨てろ! これ以上、無意味な戦闘を続ける必要はない!」

兵士たちは顔を見合わせた。

最初に剣を捨てたのは、補給隊の兵士だった。

続いて歩兵。

騎兵。

魔法兵。

次々と武器が地面に置かれていく。

こうして、千二百人の王国軍は降伏した。

死者は一人も出なかった。

その日の午後、レオンは降伏した兵士たちを領都ベルグの外に集めた。

武器は一時的に没収したが、食料と水は十分に与えた。

兵士たちは困惑していた。

敗軍の捕虜に対する扱いとしては、あまりにも寛大だったからだ。

ユリウスが尋ねた。

「なぜ、私たちを処刑しないのですか」

「処刑する理由がない」

「私たちは、あなたの領地を侵略しようとしました」

「命令に従っただけの兵士を殺しても、何も解決しない」

レオンは答えた。

「責任を負うべき者と、命令に従った者は分けて考える」

ユリウスは深く頭を下げた。

「感謝します」

「ただし、条件がある」

「何でしょう」

「今回の事件について、すべて事実を記録してもらう」

「事実?」

「王国軍が正式な王命もなく領地へ侵入し、財産を接収しようとしたこと。そして、ギルバート将軍の不正が発覚したことだ」

ユリウスは頷いた。

「承知しました」

「証人として、兵士たちにも署名してもらう」

「それは……」

ユリウスは少し考えた。

「王都が認めるでしょうか」

「認めなくても構わない」

レオンは微笑んだ。

「事実は、残しておくだけで武器になる」

翌日、レオンは捕虜たちを解放した。

ただし、希望する者には北西辺境領への移住を認めた。

意外なことに、三百人以上が残留を希望した。

理由は単純だった。

彼らの多くは貧しい農村の出身であり、王国軍でも十分な給料を受け取っていなかった。

レオンは彼らに土地と仕事を約束した。

「兵士として残りたい者は防衛隊へ。農業を希望する者は開墾隊へ。職人の経験がある者は工房へ配属する」

ガルドが驚いた。

「旦那、こんなに人を増やして大丈夫なんですか」

「食料生産も増やす」

「住む場所は?」

「つくる」

「給料は?」

「鉱山から捻出する」

ガルドは頭をかいた。

「本当に、何でもつくるんですね」

「国をつくるとは、そういうことだ」

その夜、領主館では新しい会議が開かれた。

参加者はレオン、エリシア、ガルド、オルフェン、ユリウス、そしてセレナだった。

机の上には領地の地図が広げられていた。

「現在の兵力は三百四十人」

エリシアが報告した。

「さらに、農地開墾隊に百二十人、道路建設隊に八十人、鉱山復旧隊に六十人を配属しました」

オルフェンが続けた。

「領民の士気は高まっています。ただし、食料備蓄が不足しています」

レオンは頷いた。

「次の目標は食料だ」

「どうするのですか」

「南部の穀倉地帯から買い付ける」

ユリウスが尋ねた。

「資金は?」

「魔力鉱石を使う」

セレナが口を挟んだ。

「鉱石の売却は禁止したのではなかったか」

「原石は売らない」

レオンは机の上に小さな装置を置いた。

それは青白い光を放つ円筒形の器具だった。

「魔力灯だ」

エリシアが手に取った。

「これは……」

「魔力鉱石を加工した照明器具だ。燃料なしで半年間使える」

オルフェンが目を見開いた。

「そんなものがあれば、都市部で高値がつきます!」

「その通り」

レオンは頷いた。

「原石を売るより、加工品として売る方が利益は大きい」

ユリウスが感心したように言った。

「軍事だけでなく、経済にも詳しいのですね」

「戦争も経済も、資源をどう配分するかという点では同じだ」

レオンは新たな計画書を広げた。

「まず魔力灯を百個製造する。それを南部の商業都市へ運び、穀物と交換する」

「交易路は危険です」

ガルドが言った。

「山賊や魔物が出ます」

「だから護衛隊をつける」

「誰を指揮官に?」

レオンはユリウスを見た。

「君に任せたい」

ユリウスは驚いた。

「私に?」

「補給部隊の指揮経験があるだろう」

「ありますが……」

「それに、兄の事件を調査するため、商人たちとの人脈も持っているはずだ」

ユリウスはしばらく黙っていた。

やがて深く頭を下げた。

「承知しました。必ず成功させます」

会議が終わると、セレナがレオンを呼び止めた。

「一つ聞きたい」

「何だ」

「なぜ、あの兵士たちを解放した」

「説明しただろう」

「表向きの理由はな」

セレナは微笑んだ。

「お前はもっと大きなことを考えている」

レオンは窓の外を見た。

「王都へ戻った兵士たちは、今回の出来事を話すだろう」

「それが?」

「千二百人の軍隊が、たった三十四人に敗れたこと。そして、捕虜が丁重に扱われたことだ」

セレナの瞳が輝いた。

「なるほど」

「王国軍の内部には不満が溜まっている。将軍たちは腐敗し、兵士たちは使い捨てにされている」

レオンは続けた。

「そこへ、別の選択肢があると知らせる」

「兵士たちが、お前の領地へ流れてくるというわけか」

「それだけではない」

レオンは静かに答えた。

「王国軍の内部に、私たちへ協力する者が現れる」

セレナは声を上げて笑った。

「恐ろしい男だ」

「何がだ」

「お前は戦わずに敵の軍隊を奪っている」

レオンは何も答えなかった。

実際、その通りだった。

王国軍の弱体化は、すでに始まっている。

しかし、彼の本当の目的は王国を滅ぼすことではなかった。

五年後に訪れる破滅を防ぐこと。

そのためには、王国の軍事力を一つにまとめ直す必要があった。

そして、それを実現するには、腐敗した権力者たちを排除しなければならない。

その夜、王都アルヴェインでは緊急の軍議が開かれていた。

総司令官バルザックは、報告書を机に叩きつけた。

「千二百人が降伏しただと!」

将軍たちは沈黙していた。

「しかも、死者は一人もいない? どういうことだ!」

参謀の一人が答えた。

「地形操作による包囲と、ギルバート将軍の不正発覚が原因とされています」

「地形操作?」

「はい。山や川を自在に動かしたという証言が……」

バルザックは鼻で笑った。

「馬鹿げている」

しかし、その顔には焦りが浮かんでいた。

レオン・グレイヴ。

あの男は、王国軍で最も優秀な軍師だった。

だからこそ、危険だった。

国王よりも兵士たちから信頼されている。

貴族の権威よりも実力を重視する。

そして何より、軍の腐敗を知りすぎている。

「放置できん」

バルザックは呟いた。

「レオンを消す」

そのとき、会議室の扉が開いた。

黒い法衣をまとった男が入ってきた。

王国の最高神官、アドルフ大司教だった。

「総司令官閣下」

「何の用だ」

「北西辺境領について、神殿から報告があります」

大司教は一枚の羊皮紙を差し出した。

そこには、奇妙な紋章が描かれていた。

六枚の翼を持つ騎士。

そして、その中央に赤い十字。

「神聖監察官が一体、消滅しました」

会議室が静まり返った。

バルザックは眉をひそめた。

「何の話だ」

「神の使者です」

大司教は答えた。

「本来、人間が倒せる存在ではありません」

「それが、どうした」

「消滅地点は北西辺境領の地下です」

バルザックの表情が変わった。

大司教は続けた。

「そして、その直後に古代魔王の反応が確認されました」

「魔王?」

「はい」

大司教は静かに告げた。

「レオン・グレイヴは、魔王と契約した可能性があります」

会議室が騒然となった。

バルザックはしばらく黙っていた。

やがて、口元に笑みを浮かべた。

「なるほど」

彼は椅子から立ち上がった。

「ならば、話は簡単だ」

「何をなさるのですか」

「異端審問だ」

バルザックは将軍たちを見渡した。

「レオン・グレイヴを国家反逆者、そして神への冒涜者として告発する」

大司教は頷いた。

「神殿も協力しましょう」

二人は互いに微笑んだ。

その背後で、一人の若い書記官が黙って会議の内容を書き留めていた。

彼の名はカイル・フェルン。

エリシアの弟だった。

そして、レオンが王都に残してきた数少ない協力者の一人でもあった。

カイルは記録用紙を閉じると、静かに席を立った。

その夜、一羽の伝書鳥が王都を飛び立った。

向かう先は北西辺境領。

その脚には、小さな密書が結びつけられていた。

《王国軍と神殿が共同で動き始めた》

《異端審問の準備が進行中》

《暗殺部隊が派遣される可能性あり》

そして、最後に一文が記されていた。

《王宮地下に、古代文明の記録が存在することを確認》

数日後、密書を読んだレオンは、静かに目を細めた。

「王宮地下か」

セレナが覗き込んだ。

「何かあったのか」

「古代文明の記録が見つかったらしい」

その瞬間、セレナの表情が変わった。

「まさか……」

「心当たりがあるのか」

セレナはしばらく沈黙した。

そして、低い声で答えた。

「王宮の地下には、かつて神々が封印したものがある」

「何だ」

「世界を滅ぼす兵器だ」

レオンは黙った。

セレナは続けた。

「それが目覚めれば、この大陸は一夜で消える」

「ならば、封印を維持すればいい」

「そう簡単な話ではない」

セレナは窓の外を見た。

「神々は、その兵器を使おうとしている」

レオンの視界に赤い警告が浮かんだ。

《世界管理機構からの通知》

《王都地下施設の起動準備を確認》

《世界再編計画・第一段階開始》

《予定実行日まで、残り千八百日》

レオンは文字を見つめた。

五年後の王国滅亡。

地下に眠る古代兵器。

神々の世界再編計画。

それらが一つの線で結ばれ始めていた。

「どうやら、時間がないらしい」

レオンは呟いた。

セレナが尋ねた。

「どうするつもりだ」

「予定を変更する」

「何を?」

「三年で軍事国家をつくると言ったが、二年に短縮する」

セレナは呆れたように笑った。

「無茶だ」

「無茶でもやる」

レオンは地図を広げた。

「まず、交易路を確保する。次に周辺領地との同盟を結ぶ。そして、王都の内部に協力者を増やす」

「それから?」

レオンは静かに答えた。

「王国の中枢を奪う」

セレナは目を細めた。

「ついに反乱を起こすのか」

「違う」

レオンは首を振った。

「反乱ではない」

彼は王都の位置に指を置いた。

「王国そのものを、内側から変える」

そのとき、執務室の扉が激しく叩かれた。

ガルドが飛び込んできた。

「旦那! 大変です!」

「どうした」

「南の街道で、交易商人の一団が襲われました!」

「山賊か」

「違います!」

ガルドは息を切らしながら答えた。

「襲ったのは、王国軍の紋章をつけた騎士たちです!」

レオンの表情が険しくなった。

「人数は?」

「二十人ほど。商人を殺し、積み荷を奪っています」

「生存者は?」

「一人だけ逃げてきました」

レオンは立ち上がった。

「案内しろ」

領主館の地下室には、負傷した商人が寝かされていた。

胸に深い傷を負い、意識は朦朧としている。

レオンが近づくと、商人は震える手を伸ばした。

「助けて……ください……」

「何があった」

「騎士たちが……突然……」

「何を奪われた」

「魔力灯です……」

レオンの目が細くなった。

魔力灯。

まだ試作品しか製造していないはずだった。

なぜ、交易商人がそれを運んでいたのか。

「誰から受け取った」

商人は苦しそうに息をした。

「王都の……商人から……」

「名前は?」

「ア……アドルフ……」

レオンの表情が変わった。

アドルフ大司教。

神殿の最高責任者。

商人は最後の力を振り絞って告げた。

「気を……つけて……」

「何にだ」

「その灯りは……人を……」

言葉が途切れた。

商人は意識を失った。

エリシアが脈を確認した。

「生きています。ですが、危険な状態です」

レオンは頷いた。

「治療を続けてくれ」

彼は商人の荷物を調べた。

そこには、壊れた魔力灯が一つ残されていた。

レオンが手に取ると、視界に警告が表示された。

《未知の魔力構造を検出》

《内部に精神干渉術式を確認》

《危険度:極大》

レオンは息を呑んだ。

魔力灯に似せた装置。

しかし、その内部には人間の精神を操作する魔法陣が組み込まれていた。

《精神支配術式》

《対象:広範囲》

《効果:思考誘導・記憶改変・命令服従》

レオンは静かに呟いた。

「そういうことか」

セレナが近づいた。

「何かわかったのか」

「神殿は、魔力灯を使って人々を支配しようとしている」

「どういう意味だ」

「この装置を都市全体に普及させれば、住民の思考を操作できる」

セレナの顔から笑みが消えた。

「神々のやり方だ」

「知っているのか」

「古代帝国も、同じ方法で滅ぼされた」

レオンは魔力灯を机に置いた。

彼の頭の中で、新たな戦略が組み立てられ始めた。

神殿は王国軍を利用し、異端審問を口実に北西辺境領へ侵攻する。

同時に、精神支配装置を各地へ広め、人々を操ろうとしている。

そして、その背後には世界再編計画が存在する。

「エリシア」

「はい」

「領内にある魔力灯をすべて回収しろ」

「私たちが製造したものもですか」

「いや。製造番号を確認し、外部から持ち込まれたものだけを隔離する」

「承知しました」

「ガルド」

「はい!」

「南の街道を封鎖しろ。襲撃者を捕らえる」

「了解!」

レオンはセレナを見た。

「お前には、別の仕事を頼む」

「何だ」

「神殿の魔法について調べてほしい」

セレナは微笑んだ。

「よかろう」

レオンは窓の外を見た。

夜の闇が領都を包んでいた。

遠くの山々には、青白い魔力鉱石の光が浮かんでいる。

この土地は、まだ小さく貧しい。

兵士も少なく、財源も十分ではない。

しかし、確実に変わり始めていた。

そして、その変化を恐れる者たちが動き始めている。

王国軍。

神殿。

そして、神々。

レオンは静かに剣を握った。

「来るなら来い」

彼の声は誰にも聞こえなかった。

「今度は、すべてを奪い返してやる」

その瞬間、視界に新しい文字が浮かんだ。

《特殊任務が発生しました》

《任務名:神殿の陰謀を暴け》

《達成条件:精神支配装置の製造拠点を破壊》

《報酬:古代技術解放》

《失敗条件:領都ベルグの住民の過半数が精神支配下に入る》

《制限時間:七十二時間》

レオンは目を細めた。

七十二時間。

三日後には、神殿の計画が実行される。

「なるほど」

彼は静かに笑った。

「次の戦いは、時間との勝負か」

そして、領主館の鐘が鳴った。

深夜零時。

運命の三日間が始まった。

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