第8話 教会の焦り
第8話 教会の焦り
王都の中央大聖堂は朝から慌ただしかった。
大理石の床を神官たちが忙しなく行き交う。
高い天井から差し込む光は美しい。
だが空気は重かった。
大司教カルロスの機嫌が最悪だったからだ。
「またか」
執務室に低い声が響く。
机の上には報告書が山のように積まれていた。
そのほとんどが同じ内容だった。
アルム村。
奇跡のポーション。
神の薬。
辺境の聖職者。
カルロスは眉間に皺を寄せる。
「何度読んでも馬鹿馬鹿しい」
しかし報告書は増え続ける。
冒険者ギルドからの報告。
商人ギルドからの報告。
王都の医師たちからの報告。
どれも同じだった。
ルークのポーションが人々を助けている。
「あり得ん」
カルロスは吐き捨てる。
あの青年は無能だった。
五年間見てきた。
誰より働く。
だが成果は出せない。
だから追放した。
判断は正しかった。
正しかったはずなのだ。
「大司教様」
側近の神官が声を掛ける。
「南区の貴族から問い合わせです」
「断れ」
「北区の商会も」
「断れ」
「王宮薬師団からも」
カルロスは机を叩いた。
木の鈍い音が響く。
「なぜ私のところへ来る!」
「教会の名で広まっておりますので……」
カルロスは立ち上がった。
窓の外を見る。
王都は活気に満ちている。
しかし最近は違った。
人々が話題にするのは教会ではない。
アルム村だった。
辺境だった。
追放した男だった。
その頃。
アルム村ではベル爺が朝から元気だった。
「ルーク!」
教会へ飛び込んでくる。
「どうしました」
「見ろ!」
ベル爺は胸を張った。
手には籠がある。
中には大量のキノコ。
「すごいですね」
「わしが採った!」
「そんなに歩いて大丈夫なのですか」
「若いからな!」
八十近い老人が言う台詞ではなかった。
ルークは苦笑する。
するとミアがやって来る。
黄色いワンピースを着ている。
「ベル爺、それ毒キノコ混ざってる」
「なにっ!?」
ベル爺が青ざめた。
ルークは思わず吹き出した。
以前なら笑わなかっただろう。
だが今は違う。
村人たちの失敗も。
笑い話も。
全部が愛おしかった。
その日の昼。
アルム村へ二人の神官が到着した。
白い法衣。
銀の十字架。
教会の紋章。
エドガーとサイモンだった。
カルロスが派遣した調査員である。
「ここがアルム村か」
エドガーは周囲を見回す。
もっと荒れた村を想像していた。
だが違う。
畑には作物が実っている。
子供たちは元気だ。
老人たちも笑っている。
「変だな」
「何がです?」
サイモンが尋ねる。
「幸せそうすぎる」
その言葉にサイモンも頷いた。
教会が支援する辺境村は数多く見てきた。
だがここは違う。
貧しい。
なのに暗くない。
むしろ温かい。
「旅の人?」
ミアが話しかけてきた。
「そうだよ」
「お腹空いてる?」
サイモンは思わず笑った。
「少し」
「じゃあ夕飯食べていきなよ」
いきなりだった。
普通は警戒する。
しかしミアは当然のように誘う。
夕方。
二人は孤児院へ案内された。
食堂には良い香りが漂っていた。
大鍋では野菜と豆の煮込みがぐつぐつ煮えている。
焼き立てのパンの香りもする。
鶏肉の香草焼きまであった。
豪華ではない。
しかし心が温まる匂いだった。
「いただきます!」
子供たちの声が響く。
ルークも席についていた。
白いシャツに茶色のベスト。
以前の彼を知る二人は驚いた。
表情が違う。
柔らかい。
穏やかだ。
「お久しぶりです」
ルークが微笑む。
「ルーク……」
エドガーは言葉を失う。
同じ人物とは思えなかった。
食事が始まる。
ベル爺が昔話を始める。
ミアが笑う。
ルミナが呆れる。
マルクがパンを配る。
ルークは皆の話を聞いていた。
ただ聞いているだけ。
説教もしない。
威張らない。
なのに皆が自然と集まってくる。
食後。
サイモンがルークに尋ねた。
「なぜこんなに慕われているんだ?」
ルークは少し考えた。
「分かりません」
「分からない?」
「私はただ話を聞いているだけです」
その答えが妙に胸に残った。
翌日。
調査員たちは村を歩く。
農夫に聞く。
老人に聞く。
孤児に聞く。
皆が同じことを言った。
「ルークさんは話を聞いてくれる」
「一緒に笑ってくれる」
「困ったら来てくれる」
誰もポーションの話を最初にしない。
皆がまずルークの話をする。
その夜。
宿屋の部屋でエドガーがため息をついた。
「報告書どう書く?」
「困ったな」
サイモンも苦笑する。
「不正なし」
「うん」
「異端性なし」
「うん」
「むしろ教会が学ぶべきかもしれない」
二人は沈黙した。
窓の外では村の灯りが揺れている。
遠くから笑い声が聞こえる。
どこか懐かしい。
昔の教会はこうだったのではないか。
ふとそんなことを思った。
一方その頃。
王都ではカルロスが報告を待っていた。
しかしまだ知らない。
送り込んだ調査員たちの心が。
少しずつアルム村に残されていることを。
そしてルークが育てていたのはポーションではなく。
人と人との温かな繋がりだったことを。




