表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/11

第7話 霊の実

第7話 霊の実


 アルム村に夏の気配が訪れていた。


 朝日を浴びた麦畑が黄金色へ変わり始めている。


 風は温かい。


 教会の裏庭では薬草の花が咲き始めていた。


 ルークは早朝から畑にいた。


 白いシャツに紺色のベスト。


 腕まくりをして薬草を摘み取っている。


 土の匂いが心地良かった。


「おはよう!」


 元気な声が飛んでくる。


 ミアだった。


 麦わら帽子を被り、黄色いワンピースを着ている。


 以前より顔色が良い。


 笑顔も増えた。


「おはようございます」


「ベル爺が探してたよ」


「またですか」


「またです」


 ミアは笑った。


 その時だった。


「ルーク!」


 遠くから聞き慣れた声が響く。


 ベル爺である。


 今日も元気だった。


 元気すぎるくらいだった。


「どうしました」


「聞いてくれ!」


 ルークは少し笑った。


 以前ならため息をついていただろう。


 今は違う。


 老人の顔を見るだけで少し嬉しくなる。


「何でしょう」


「庭のトマトがな!」


「はい」


「初めて実った!」


 ベル爺は満面の笑みだった。


 小さな籠を差し出す。


 赤いトマトが三つ入っている。


 たった三つ。


 だが宝物のように大切そうだった。


「おめでとうございます」


 ルークは心からそう言った。


 ベル爺は嬉しそうに頷く。


「一緒に食べよう」


「はい」


 その日の昼。


 教会の食堂で皆が集まった。


 ベル爺のトマト。


 焼きたての黒パン。


 野菜スープ。


 ルミナが持ってきたチーズ。


 豪華ではない。


 だが温かい食卓だった。


 ミアがトマトをかじる。


「甘い!」


「本当ですね」


 ルークも驚く。


 ベル爺は得意そうだった。


「わしが育てたからな」


「絶対関係ない」


 ルミナが即座に否定する。


 皆が笑った。


 その時。


 ルークはふと気付いた。


 以前の自分なら。


 トマト三個の収穫など気にも留めなかった。


 効率が悪い。


 成果が小さい。


 そう考えただろう。


 だが今は違う。


 ベル爺が喜んでいる。


 それだけで嬉しかった。


 夕方。


 教会に一人の女性がやって来た。


 三十代くらいだろうか。


 疲れ切った顔をしている。


「どうしました」


 ルークが尋ねる。


 女性は涙ぐんでいた。


「夫が病気で……」


 話を聞く。


 長い話だった。


 治療費。


 不安。


 子供たちのこと。


 眠れない夜のこと。


 女性は途中で泣き出した。


 以前のルークなら。


 すぐに薬を渡していただろう。


 祈りを捧げて終わっただろう。


 しかし今は違う。


 黙って話を聞いた。


 一時間。


 二時間。


 女性は最後に大きく息を吐いた。


「すみません」


「何がですか」


「こんなに話してしまって」


「構いません」


 ルークは微笑む。


「少し楽になりましたか」


 女性は驚いたような顔をした。


 そして静かに頷く。


「はい」


 その笑顔を見た時だった。


 ルークの胸に何かが落ちてきた。


 まるで。


 長い間探していた答えが見つかったような感覚だった。


 夜。


 教会の礼拝堂。


 誰もいない。


 ランプの灯りだけが揺れている。


 ルークは一人で祈っていた。


 最近ずっと考えていたことがある。


 なぜポーションが変わったのか。


 なぜ村が変わったのか。


 薬草は同じ。


 作り方も同じ。


 祈りも同じ。


 なのに結果だけが違う。


 そしてようやく気付いた。


「そうだったのですね」


 小さく呟く。


 ベル爺。


 ミア。


 マルク。


 村人たち。


 皆の顔が浮かぶ。


 ポーションが特別なのではない。


 神が祝福してくださっているのだ。


 人に寄り添った時。


 誰かの話を聞いた時。


 誰かと喜びを分かち合った時。


 その歩みを。


 神はご覧になっている。


 ルークは祭壇の前で聖書を開く。


 そして目に留まった言葉を静かに読む。


「愛」


 ベル爺の話を聞いた時間を思い出す。


「喜び」


 ミアの笑顔を思い出す。


「平和」


 皆で囲んだ食卓を思い出す。


「辛抱強さ」


 同じ話を何度も聞いた日々を思い出す。


「親切」


 困っている人へ手を差し伸べたことを思い出す。


「善良」


 村人たちの温かな心を思い出す。


「信仰」


 追放された日も祈り続けたことを思い出す。


「温和」


 怒りではなく優しさを選んだことを思い出す。


「自制」


 自分を誇らず歩こうと決めたことを思い出す。


 霊の実。


 それは特別な力ではなかった。


 誰かを大切に思う心だった。


 誰かのために時間を使うことだった。


 誰かを愛することだった。


 ルークの頬を涙が伝う。


 悲しい涙ではない。


 温かい涙だった。


「ありがとうございます」


 神へ感謝する。


 追放されたことも。


 辺境へ来たことも。


 今なら分かる。


 もし王都にいたままだったら。


 きっと気付けなかった。


 仕事ばかり見て。


 人を見ていなかった。


 その夜。


 完成したポーションは今までで最も美しく輝いた。


 淡い金色。


 その奥に虹色の光が揺れている。


 まるで朝日を閉じ込めたような優しい輝きだった。


 ルークは知らない。


 王都では神の薬と呼ばれ始めていることを。


 しかし神はご覧になっていた。


 ポーションではなく。


 少しずつ育ち始めた霊の実を。


 そして人を愛することを学んだ、一人の青年の歩みを。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ