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第9話 包囲

第9話 包囲


 夏の朝だった。


 アルム村の空は青く澄み渡り、麦畑には黄金色の穂が揺れている。


 教会の裏庭では薬草の香りが風に乗って漂っていた。


 ルークは朝食の準備を手伝っていた。


 焼きたての黒パン。


 野菜と豆のスープ。


 ベル爺が育てたトマト。


 ミアはパンをちぎりながら頬を膨らませている。


「野菜食べなさい」


 ルークが言う。


「あとで」


「今です」


「あとで」


 いつものやり取りだった。


 ルミナが笑う。


「本当に仲良しだね」


 その時だった。


 遠くから鐘の音が響いた。


 村の見張り台の鐘だった。


 一度。


 二度。


 三度。


 異常を知らせる鐘。


 食堂の空気が変わる。


 ルミナの表情が引き締まった。


「まさか」


 彼女は立ち上がる。


 ルークも外へ出た。


 村の入口へ向かう。


 すると。


 誰もが息を呑んだ。


 街道の向こう。


 無数の旗が見える。


 陽光を反射する鎧。


 槍。


 剣。


 軍馬。


 そして中央で翻る教会の紋章。


「教会軍……」


 ルミナが呟く。


 村人たちがざわめく。


「なんでだ」


「戦争か?」


「俺たち何もしてないぞ」


 子供たちが母親にしがみつく。


 空気が一気に重くなった。


 やがて軍勢は村を取り囲むように展開した。


 逃げ道はない。


 その中央から一頭の白馬が進み出る。


 赤と金の法衣。


 威圧感のある視線。


 大司教カルロスだった。


 ルークは静かに目を閉じる。


 予感はしていた。


 いつか来るかもしれないと。


「ルーク・アークライト!」


 カルロスの声が響く。


「前へ出よ!」


 ルークはゆっくり歩き出した。


 村人たちが止める。


「行くな!」


「危ない!」


 ベル爺まで前へ出る。


「わしが代わりに――」


「ベル爺」


 ルークは優しく微笑んだ。


「大丈夫です」


 そして村の前へ立つ。


 カルロスは馬上から見下ろした。


「久しぶりだな」


「お久しぶりです」


「ずいぶん楽しそうではないか」


 皮肉だった。


 しかしルークは怒らない。


「皆さんのおかげです」


 カルロスの眉がぴくりと動く。


「異端者め」


「異端ではありません」


「黙れ!」


 怒声が響く。


 馬たちがいななく。


「貴様は教会の許可なく奇跡を行った!」


「奇跡ではありません」


「神の力を私物化した!」


「しておりません」


「神級ポーションとやらで信者を集めている!」


 ルークは首を振った。


「集めておりません」


「ならなぜ人が集まる!」


 カルロスは叫んだ。


 その声には怒りだけでなく焦りが混じっていた。


 王都では人々がルークを称賛している。


 教会よりも。


 大司教よりも。


 それが許せなかった。


 ルークは少し考えた。


 そして答える。


「皆さんが優しいからです」


「何?」


「私は何もしていません」


 カルロスは理解できなかった。


 理解したくもなかった。


「ルーク・アークライト」


 冷たい声が響く。


「異端罪により身柄を拘束する」


 村人たちがざわつく。


 ミアの顔が真っ青になる。


「嫌だ!」


 飛び出そうとする。


 ルミナが抱きしめた。


「ミア!」


「ルークさんを連れていかないで!」


 涙声だった。


 ベル爺も杖を握りしめる。


 マルクも前へ出る。


「ふざけるな!」


 だが相手は軍勢だった。


 百人以上いる。


 農具で勝てる相手ではない。


 夕方になる。


 村は完全に包囲された。


 誰も出られない。


 畑にも行けない。


 商売もできない。


 子供たちは泣いている。


 宿屋には不安そうな顔が並んでいた。


 夜。


 孤児院では簡単な夕食が出された。


 豆の煮込み。


 固い黒パン。


 少しだけ残っていたチーズ。


 しかし誰も楽しそうではない。


 ミアはほとんど食べていなかった。


「食べてください」


 ルークが言う。


「いらない」


「駄目です」


「食べたくない」


 涙がぽろぽろ落ちる。


「ルークさんいなくなるんでしょ」


 静かになった。


 ルークは答えられない。


 代わりにミアの頭を撫でた。


「大丈夫です」


「大丈夫じゃない」


「神は見ておられます」


 ミアは泣きながら俯いた。


 その夜遅く。


 村人たちが眠った後。


 ルークは一人で礼拝堂へ向かった。


 誰もいない。


 ランプの火が揺れている。


 窓の外には包囲する軍の篝火が見えた。


 無数の灯り。


 圧倒的な数。


 ルークは祭壇の前へ跪く。


 正直に言えば怖かった。


 戦う力はない。


 剣もない。


 軍もない。


 神級ポーションがあっても軍勢は止められない。


 胸が締め付けられる。


 だが。


 今まで学んできたことがあった。


 人を愛すること。


 寄り添うこと。


 神を信頼すること。


 それだけは失いたくなかった。


 ルークは頭を垂れる。


「神よ」


 静かな声だった。


「私は何もできません」


 涙が一滴落ちる。


「どうか人々をお守りください」


 ベル爺を。


 ミアを。


 ルミナを。


 マルクを。


 村人たちを。


 その願いだけだった。


「私ではなく」


 祈りは続く。


「どうか皆さんを」


 礼拝堂は静かだった。


 返事はない。


 だが不思議と心は穏やかだった。


 窓の外では星々が輝いている。


 そしてその夜。


 人々は知らなかった。


 天の高い場所で。


 一人の忠実なみ使いが神の命令を待っていたことを。


 人々を愛し。


 自分より他者を願った。


 一人の青年の祈りを。


 神が静かに聞いておられたことを。



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