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第3話 頑固老人の三時間

第3話 頑固老人の三時間


 翌朝。


 ルークは少し憂鬱だった。


 教会の裏庭で薪を割りながら、大きなため息をつく。


「どうしたの?」


 ルミナが笑いながら近づいてきた。


 今日は白いシャツに青いスカート姿だった。猫耳が朝日に照らされてふわふわ光っている。


「ベル爺です」


「ああ」


「話が長いです」


「うん」


「しかも同じ話を何度もします」


「うん」


「昨日だけで五回聞きました」


 ルミナは吹き出した。


「まだ五回か」


「まだ?」


「最高記録は十五回」


 ルークは真顔になった。


「それは拷問ではありませんか」


「慣れるよ」


「慣れたくありません」


 ルミナはお腹を抱えて笑った。


 その日の昼。


 ルークはベル爺の家へ向かった。


 村の外れにある小さな木造の家だった。


 庭には雑草が伸びている。


 古びた風車が風に軋んでいた。


 コンコン。


 扉を叩く。


「ベル爺、ルークです」


「おお!」


 勢いよく扉が開いた。


「待っとった!」


 老人は嬉しそうだった。


 白髪はぼさぼさ。


 麻のシャツに古いズボン。


 杖をついている。


「入れ入れ!」


 家の中へ案内される。


 室内には木の匂いが漂っていた。


 暖炉の上には家族写真が並んでいる。


 だが今は一人暮らしらしい。


「座れ」


「失礼します」


 椅子へ腰掛ける。


 ベル爺は待ってましたと言わんばかりに話し始めた。


「わしが若い頃な」


「はい」


「村一番の美男子でな」


「はい」


「娘たちが列を作った」


「はい」


「本当ですか?」


「本当じゃ」


 怪しい。


 だが話は続く。


 昔の狩りの話。


 若い頃の失敗談。


 大雨の日の話。


 麦畑の話。


 昔の祭りの話。


 話題が次々変わる。


 しかも。


「そういえばわしが若い頃な」


 十分前にも聞いた話だった。


 ルークは内心頭を抱えた。


 しかし帰るわけにはいかない。


 ルミナとの約束だった。


 窓の外では風が揺れ、草がさらさら音を立てている。


 暖炉の火がぱちぱちと爆ぜた。


 二時間。


 三時間。


 正直言えば退屈だった。


 何の意味があるのか分からない。


 話は堂々巡り。


 結論もない。


 学びもない。


 中央大聖堂ならとっくに別の仕事へ向かっていただろう。


 その時だった。


「……なあ」


 ベル爺の声が少し小さくなった。


「はい」


「最近な」


 老人は窓の外を見る。


「誰も来んのじゃ」


 ルークは黙った。


 初めて聞く話だった。


「息子は王都だ」


「はい」


「孫もおる」


「はい」


「忙しいから仕方ない」


 老人は笑おうとした。


 だが笑えなかった。


「みんな忙しい」


「……」


「わしも若い頃は忙しかった」


 暖炉の火が小さく揺れる。


 部屋の中は静かだった。


「じゃから分かる」


 ベル爺はそう言った。


「分かるんじゃが……」


 そこで言葉が止まる。


 しばらく沈黙が続いた。


 ルークは待った。


 初めて急かさなかった。


「寂しいんじゃよ」


 老人はそう呟いた。


 ルークは胸が少し痛くなった。


 王都では聞かなかった言葉だった。


 病気の話でも。


 怪我の話でも。


 お金の話でもない。


 寂しい。


 ただそれだけ。


 だがそれはとても重かった。


「そうでしたか」


 ルークは小さく答えた。


「すまんな」


「なぜ謝るのですか」


「年寄りの愚痴じゃ」


「愚痴ではありません」


 ベル爺は驚いた顔をした。


 ルーク自身も驚いていた。


 自然に言葉が出たからだ。


「寂しいのは悪いことではありません」


 老人の目が潤んだ。


「そうか」


「はい」


「そうか……」


 ベル爺は何度も頷いた。


 やがて夕日が窓から差し込む。


 部屋の中が金色に染まる。


 帰る時間だった。


「今日はありがとうございました」


 ルークが立ち上がる。


 ベル爺も立ち上がった。


 そして。


 ぽろり。


 涙が落ちた。


 ルークは驚く。


「ベル爺?」


 老人は目元を拭った。


「すまん」


「どこか痛いのですか」


「違う」


 老人は首を振る。


 そして笑った。


 泣きながら。


「こんなに話を聞いてくれたのは久しぶりだ」


 その言葉に。


 ルークは何も言えなかった。


 帰り道。


 夕焼け空が広がっている。


 麦畑を渡る風が心地よい。


 村へ戻るとルミナが待っていた。


「どうだった?」


「三時間でした」


「頑張ったね」


「はい」


 少しだけ疲れていた。


 だが不思議だった。


 いつもの仕事の疲れとは違う。


 胸の奥が温かかった。


 その夜。


 ルークは教会の作業室でポーションを作っていた。


 薬草を刻む。


 鍋で煮込む。


 祈りを捧げる。


 いつも通りの作業だった。


 何一つ変わらない。


 だが。


「あれ?」


 完成したポーションを見て眉をひそめる。


 瓶の中の液体が淡く光っていた。


 今まで見たことのない光だった。


 月光を閉じ込めたような柔らかな輝き。


「失敗でしょうか」


 首を傾げる。


 しかし香りは良い。


 薬草の青い香りに、どこか花のような甘さが混じっている。


 試しに少しだけ飲んでみた。


 瞬間。


 疲れがふっと軽くなる。


「……?」


 おかしい。


 いつものポーションより明らかに品質が高い。


 ルークは知らなかった。


 神がご覧になっていたことを。


 老人の話を聞いた三時間を。


 誰かの寂しさに耳を傾けた時間を。


 その小さな変化を。


 そして静かに。


 霊の実が芽吹き始めていたことを。



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