第2話 仕事はある、人が見えていない
第2話 仕事はある、人が見えていない
辺境の村アルムへ到着したのは、追放されて三日後の昼だった。
春の陽射しは柔らかいが、風はまだ少し冷たい。
ルークは背負い袋を担ぎながら、目の前に広がる村を見つめた。
王都とは比べものにならないほど小さな村だった。
石造りではなく木造の家々。
傾いた柵。
修理跡だらけの屋根。
遠くには麦畑が広がっているが、ところどころ土がむき出しになっている。
決して豊かには見えなかった。
「ここがアルム村か……」
村の入口で立ち止まる。
すると獣耳の少女が駆け寄ってきた。
茶色い猫耳が風に揺れている。
年齢は二十歳前後だろうか。
白いブラウスに茶色のベスト、膝丈のスカート姿だった。
「もしかして教会から来た人?」
「はい。ルークと申します」
頭を下げる。
少女はほっとしたように笑った。
「よかったー! 私は村長のルミナです」
「村長?」
「若いって思ったでしょ?」
「少しだけ」
「みんな言う」
ルミナは笑った。
その笑顔は王都ではあまり見ない種類のものだった。
飾り気がない。
まるで春の日差しみたいな笑顔だった。
「とりあえず案内するね」
村の中を歩く。
道は土のまま。
子供たちが駆け回っている。
畑では農夫が鍬を振るっていた。
「ルークさんは何ができるの?」
「掃除、聖水作成、書類整理、礼拝運営、祭壇管理、在庫管理、会計補助……」
「長い長い」
「まだあります」
「十分です」
ルミナは苦笑した。
ルークは首を傾げる。
聞かれたので答えただけだった。
その日の夜。
歓迎会代わりの夕食が開かれた。
村の集会所。
木の長テーブルに料理が並ぶ。
豆と野菜の煮込み。
黒パン。
干し肉。
山菜のサラダ。
質素だが温かい香りが漂っていた。
「いただきます」
ルークは丁寧に頭を下げた。
村人たちは賑やかに食事している。
誰かが笑い。
誰かが昔話をしている。
だがルークは少し戸惑っていた。
食事中なのに皆よく喋る。
王都ではもっと静かだった。
「ルークさん」
ルミナが隣に座る。
「辺境生活どう?」
「まだ分かりません」
「正直だね」
「はい」
その夜。
ルークは教会の空き部屋で眠った。
小さな部屋だった。
ベッド。
机。
椅子。
それだけ。
しかし王都の自室より不思議と落ち着いた。
翌朝。
ルークは日の出前に起きた。
そして教会の掃除を始めた。
床を磨く。
窓を拭く。
祭壇を整える。
朝食前には全て終わった。
「素晴らしい」
自分でも満足する出来だった。
ところが。
「ルークさん!」
ルミナが飛び込んできた。
「どこ行ってたの!?」
「掃除です」
「え?」
「教会が汚れていましたので」
ルミナは額を押さえた。
「井戸のロープが切れたって昨日言ったよね?」
「はい」
「手伝ってほしかったんだけど」
「ですが掃除が先です」
「えぇ……」
ルミナは何とも言えない顔をした。
その後も似たようなことが続いた。
農夫が腰を痛めた。
ルークは完璧な湿布用ポーションを作った。
しかし農夫は浮かない顔をしている。
「効きませんか?」
「いや効くよ」
「なら問題ありませんね」
「そうじゃなくて……」
農夫は困ったように笑った。
「今年の作付けが心配なんだ」
「それは農業担当の仕事です」
「そうなんだけどなぁ」
話が終わる。
ルークは次の仕事へ向かった。
数日後。
村の老人が風邪をひいた。
ルークはすぐに見舞いへ行く。
祈りを捧げる。
薬を置く。
完璧だった。
「では失礼します」
「待て」
老人が呼び止める。
「はい?」
「少し話を……」
「申し訳ありません。次の予定があります」
老人の言葉を最後まで聞かずに帰る。
その日の夕方。
ルミナに呼び出された。
村長室代わりの小さな事務所だった。
古い木机。
積み上がる帳簿。
窓から夕日が差し込んでいる。
ルミナは腕を組んでいた。
「ルークさん」
「はい」
「怒らないで聞いてね」
「はい」
ルミナは少し考えてから言った。
「ルークさん、人の話聞いてる?」
「聞いています」
「聞いてない」
「聞いています」
「最後まで聞いてない」
ルークは黙った。
「みんなね」
ルミナは窓の外を見る。
「助けてほしいんじゃないの」
「え?」
「もちろん助けてもほしいよ?」
「はい」
「でもそれだけじゃない」
夕日が赤く染まる。
外では子供たちの笑い声が聞こえた。
「ベル爺は話し相手が欲しいの」
「農夫さんは不安を聞いてほしいの」
「おばさんたちは愚痴を聞いてほしいの」
「ミアは遊び相手が欲しいの」
ルークは理解できなかった。
「ですが私は薬を作りました」
「うん」
「掃除もしました」
「うん」
「仕事はしています」
「してる」
ルミナは頷いた。
そして優しく言った。
「でも人を見てない」
その言葉が胸に刺さった。
王都でカルロスに言われた言葉とは違う痛みだった。
窓の外を見る。
畑から帰る人々。
笑いながら歩く親子。
井戸端で話す老人たち。
今まで見えていたはずなのに。
ルークは初めて考える。
自分は仕事を見ていた。
人ではなく。
するとルミナが笑った。
「まあ、少しずつでいいよ」
「少しずつ……」
「うん」
その時だった。
事務所の扉が勢いよく開いた。
「ルミナ!」
白髪の老人が飛び込んでくる。
「聞いてくれ!」
「またベル爺だ」
「昔わしが若かった頃な!」
ルミナは頭を抱える。
ルークは思わず身構えた。
だが老人は話し始める。
止まらない。
延々と。
しかも内容があちこち飛ぶ。
十分後。
二十分後。
三十分後。
ルークの頭は混乱していた。
ルミナはにやりと笑う。
「よかったね」
「何がですか」
「最初のお仕事だよ」
「え?」
「ベル爺の話し相手」
ルークは絶句した。
老人はまだ喋っている。
そしてルミナは楽しそうに言った。
「頑張れ、ルークさん」
その言葉が後に、彼の人生を大きく変える最初の一歩になるとは、まだ誰も知らなかった。




