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第1話 無能につき追放

第1話 無能につき追放


 まだ夜明け前だった。


 中央大聖堂の尖塔の向こうに薄青い空がのぞき始めた頃、ルークはすでに仕事をしていた。


 石造りの回廊は朝露を含んだ空気で冷えている。窓から吹き込む風が白い法衣の裾を揺らした。


 ルークは黙々と床を磨いていた。


 長い柄のついたモップを動かし、祭壇へ続く大理石の床を隅々まで拭き上げる。


 毎日同じ仕事。


 誰も見ていない仕事。


 それでも手を抜いたことは一度もなかった。


「おはようございます」


 出勤してきた神官に頭を下げる。


 神官は軽く手を振っただけで通り過ぎていった。


 ルークは気にしない。


 次は聖水作りだった。


 地下の貯水室で銀の容器に水を汲み、祈りを捧げる。


 静かな空間に自分の声だけが響く。


 祈りを終えると、淡い光が水面を揺らした。


「よし」


 小さく頷く。


 まだ朝食の時間にもなっていない。


 だが仕事は山ほどあった。


 孤児院へ届ける食料の仕分け。


 祭壇の花の交換。


 書庫の整理。


 病人への見舞い。


 寄付金台帳の記入。


 気が付けば昼になっていた。


 食堂では神官たちが昼食を取っている。


 焼きたての黒パン。


 香草入りのスープ。


 塩漬け肉のソテー。


 食欲をそそる香りが漂う。


 ルークも空いている席へ腰を下ろした。


「いただきます」


 温かいスープが胃に染みる。


 だがゆっくり味わう時間はない。


 午後も仕事が詰まっていた。


「ルーク」


 若い神官が声をかける。


「また地下倉庫の整理を頼めるか?」


「はい」


「それと礼拝堂の掃除も」


「分かりました」


「あと西棟の窓磨きも頼む」


「はい」


 ルークは断らない。


 頼まれた仕事は全部やる。


 それが見習い聖職者の務めだと思っていた。


 夕方になる頃には腕が重かった。


 足も痛い。


 それでも最後に病人の見舞いへ向かう。


 ベッドに横たわる老人に祈りを捧げる。


 決められた祈りを唱える。


 聖水を置く。


 それで終わりだった。


「失礼します」


 老人が何か言いかけたが、次の予定がある。


 ルークは部屋を出た。


 そのまま大聖堂へ戻る。


 夜。


 鐘が鳴る頃になってようやく仕事が終わった。


 だがその日は違った。


「ルーク・アークライト」


 事務官が現れた。


「大司教様がお呼びです」


 胸が少しだけ高鳴る。


 珍しい。


 褒められるのだろうか。


 何か新しい任務だろうか。


 ルークは法衣の襟を整え、大司教室へ向かった。


 重厚な扉の前に立つ。


「失礼します」


「入れ」


 低い声。


 部屋には大司教カルロスがいた。


 豪華な赤い法衣。


 金糸の刺繍。


 大きな机。


 窓の向こうには王都の夜景が広がっている。


 カルロスは書類から顔を上げた。


「ルーク。君は何年ここにいる」


「五年になります」


「そうか」


 カルロスはため息をついた。


「君は真面目だ」


 ルークは少し嬉しくなった。


 だが次の言葉で凍り付く。


「しかし無能だ」


「……え?」


 聞き間違いかと思った。


「寄付金を集められない」


「信者を増やせない」


「奇跡も起こせない」


「影響力もない」


 カルロスは淡々と続ける。


「努力だけでは意味がない」


 ルークの喉が乾いた。


「ですが私は……」


「働いている?」


「はい」


「知っている」


 カルロスは冷たく言った。


「だが成果がない」


 窓の外で風が鳴った。


 ルークは言葉を失う。


 五年間。


 誰よりも早く起きた。


 誰よりも遅くまで働いた。


 病気の日も休まなかった。


 それでも。


「明日付で追放する」


「……」


「君のような人材を養う余裕は教会にはない」


 頭が真っ白になった。


 カルロスはもう書類へ目を戻している。


 話は終わりだった。


「以上だ」


 ルークは立ち尽くした。


 何か言いたかった。


 だが言葉にならない。


「失礼……します」


 かすれた声でそう言うのが精一杯だった。


 部屋を出る。


 長い回廊を歩く。


 窓から見える夜空には無数の星が輝いていた。


 胸の奥が痛い。


 苦しい。


 涙が出そうになる。


 それでもルークは立ち止まらなかった。


 自室へ戻り、小さな荷物をまとめる。


 白い法衣。


 聖書。


 銀の水筒。


 それだけだった。


 窓を開ける。


 夜風が頬を撫でた。


 遠くで鐘が鳴る。


 五年間過ごした場所。


 自分の居場所だと思っていた場所。


 だが違った。


 ルークは静かに膝をついた。


「神よ」


 小さく祈る。


「私は何を間違えたのでしょうか」


 答えは返ってこない。


 ただ夜空の星だけが静かに輝いていた。


 翌朝。


 ルークは大聖堂を後にする。


 王都から辺境へ続く街道には春の風が吹いていた。


 彼はまだ知らない。


 追放が人生の終わりではなく、本当の始まりになることを。



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