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【完結】帳簿係の地味令嬢、商会の不正を見抜いて王宮に見出されました。  作者: 夏灯みかん


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6.事件のあと

 それから数日間、商工会議所はひどく静かだった。


 あの騒ぎのあと、主要な職員の多くが職務停止となり、机は半分以上が空いたままだった。


 いつもなら聞こえていた笑い声も、軽口もない。


 残された者たちは、必要最低限の会話しかしない。


 誰もが、あのとき何が起きたのかを知っている。


 そして――誰が正しかったのかも。


 ソフィアも、もうここにはいなかった。


 帳簿改ざんへの関与を問われ、父親に呼び戻されるようにして実家へ帰されたと、ひそひそ声で噂されている。


 以前なら、ソフィアは噂話の中心にいたのだろう。

 けれど今は、その名前さえ、どこか気まずそうに低く交わされるだけだった。


 エミリーは、いつもと同じように机に向かっていた。


 帳簿を開く。

 数字を追う。

 必要な記録を整える。


 やることは、何も変わらない。


 ただ一つ違うのは。


 ――誰も、軽く扱わなくなったことだった。


「……ローデンさん」


 遠慮がちな声で、別の職員が話しかけてくる。


「この帳簿、確認していただけますか」


 それは、以前なら当然のように押しつけられていた仕事だった。


 だが今は違う。


 頼まれている。


「はい」


 エミリーは頷き、帳簿を受け取った。


 ページをめくる。

 数字を見る。

 整っていない部分を見つける。


「こちらの支出、記録が一日ずれています」


「あ、本当だ……」


 相手が素直に驚く。


 その反応に、エミリーはほんの少しだけ戸惑った。


 以前なら。


 そんなことを指摘しても、軽く流されていた。


 机に帳簿を戻す。


 ふと、引き出しの中の控え帳に触れる。


 あの記録がなければ。

 今もきっと、自分は疑われたままだった。


 そのとき。


「ローデン嬢」


 聞き慣れた低い声が、室内に響いた。


 顔を上げる。


 入口に立っていたのは、リオンだった。


 数日前と同じ、無駄のない佇まい。


 だが、今は空気が違う。


 誰もが自然と道を開ける。

 彼が歩くたびに、場が整う。


「お時間をよろしいですか」


「はい」


 エミリーは立ち上がる。


 周囲の視線が集まる中で、彼女は静かに歩き出した。


 別室へ案内される。


 扉が閉まると、外のざわめきは遠くなった。


 静かな空間。

 机と椅子が向かい合って置かれている。


「お座りください」


 リオンが言う。


 エミリーは軽く一礼し、椅子に腰掛けた。


 しばらく、沈黙があった。


 だが、それは居心地の悪いものではない。


 ただ、必要な間だった。


「今回の件ですが」


 リオンが口を開く。


「関係者の処分が正式に決まりました」


 淡々とした報告だった。


「商人は拘束。関与した職員は全員解任。伯爵家についても、王命により調査が入ります」


 エミリーは静かに頷いた。


 それ以上の感想は言わない。


 それはもう、自分の役割ではないと分かっているからだ。


「商工会議所の職員で、改ざんや虚偽証言に関与した者も処分対象です」


 リオンは書類に目を落としたまま言った。


「ソフィア嬢は、実家へ戻されたそうですね」


 エミリーは、わずかに目を伏せた。


「……そうですか」


 特別な感情は、浮かばなかった。


 気の毒だとも、当然だとも、簡単には言えない。


 ただ。


 もう以前のように、軽やかに笑いながら人の上を歩いていける立場ではなくなったのだと、それだけは分かった。


「あなたの記録は、すべて確認しました」


 リオンが続ける。


「非常に正確です。誤差がない」


 エミリーは少しだけ視線を伏せた。


 どう返せばいいのか、分からなかった。


「日ごとの記録。納品の差異。改ざん前の数値」


 リオンは淡々と列挙する。


「それらがすべて繋がり、一つの不正を証明していました」


 そして、わずかに言葉を区切る。


「これは、簡単なことではありません」


 エミリーは、手の上で指を重ねた。


 落ち着いているつもりでも、ほんの少しだけ緊張している。


「あなたのような方が、埋もれていてよいはずがありません」


 その言葉に。


 エミリーは顔を上げた。


 まっすぐな視線だった。


 評価する側の、揺るがない目。

 そこには、疑いも、遠慮もない。


 ただ事実として。

 ――必要な人材だと、見ている。


 そしてそれは、ただの職員に向ける目ではないようにも思えた。


「……ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか」


 リオンが静かに言った。


「はい」


「私は、あなたのことを孤児院で初めて見たときから覚えていました」


 エミリーは瞬いた。


 心臓が、ひとつ、強く打つ。


「どうして……でしょうか」


 問い返した声は、自分でも驚くほど小さかった。


 リオンはほんのわずかに目を細める。


「帳簿係の人間が、自分の足で現場に来ることはほとんどありません」


 その言葉に、エミリーは息を止めた。


「しかも、あなたは数字だけではなく、食卓を見ていた」


 静かな声だった。


「子どもたちの様子を見て、帳簿と現実を結びつけていた」


 そこで、リオンはわずかに言葉を切る。


「そういう方は、珍しい」


 それは、大仰な称賛ではなかった。


 だが、だからこそ胸に落ちる。


「……そう、だったのですか」


「ええ」


 灰色の瞳がまっすぐにこちらを見る。



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