5.逆転
監査は、思っていたよりも早く来た。
しかも、ただの監査役ではなかった。
――その前日のことだった。
王宮の一室。
机の上に、一通の書簡が置かれている。
封は簡素。
だが、中身は違った。
リオン・アルヴェルトは、無言でそれを開いた。
目を通す。
日付。
数量。
差異。
無駄のない記述。
感情の一切ない報告。
(……正確だ)
孤児院で見た光景が、脳裏に重なる。
足りない食事。
沈黙する子どもたち。
そして。
(……あの娘か)
帳簿を見ていた少女。
静かに、だが確かに異常を捉えていた目。
リオンは最後まで読み終えると、書簡を閉じた。
「……監査を入れる」
短く言う。迷いはなかった。
「抜き打ちで」
その一言で、すべてが決まった。
そして――翌朝。
商工会議所の空気が、変わった。
ざわめき。落ち着かない視線。
入口の扉が開き、数人の役人が入ってくる。
そして、その中央に立ち、灰色の鋭い瞳で中を見回す背の高い男は、リオンだった。
(……来てくださった)
一瞬だけ、リオンの視線がエミリーに止まる。
――届いていた。
エミリーが頭を下げると、リオンは少し表情を緩めた。
それから、事務所を見回し、声を張った。
「王命により、孤児院および救貧院向け配給物資の流通に関する監査を行います」
空気が凍る。
「帳簿、納品書、契約書、支払記録の提出を」
逃げ道はなかった。エミリーの上司たちが視線を交錯させる。
「まず、配給記録を管理していた者は」
「……帳簿係のエミリー・ローデンです」
上司の答えに、リオンはエミリーを見つめた。
「あなたですね」
「はい」
そのとき、監査の報せを受けた伯爵家の使いも慌てて駆けつけていた。
「お待ちください! この娘の記録にはミスが多く、現在、見直しをさせているところで、見直し済みの帳簿は、こちらに」
使いは、どさどさと書類を机に広げる。
(――書き換えられているわ……)
エミリーは眉をひそめると、自分の机の奥の引き出しを開けた。
「こちらは私の控え帳です。全て記録を写してありますので、こちらも見てください」
控え帳が差し出される。リオンはそれを受け取った。
ページをめくる。
日付。
数量。
差異。
すべてが、繋がっていた。
「……なるほど」
「孤児院で見たときから、気づいていたのですね」
「はい」
「なぜ、記録を続けたのですか」
「仕事でしたので」
短い。
だが、揺るがない答え。
「……それが一番、難しい」
小さく、リオンは言った。
そして。
「照合を開始します」
そこからは、早かった。
帳簿。
納品記録。
契約書。
支払履歴。
次々と崩れていく。
「差分が継続的に発生しています」
「同一商人への流出が確認されました」
空気が変わる。
そのときだった。
「……待ってくれ」
低い声。
振り返ると、倉庫係の男が立っていた。
ジムだった。
「その子は関係ねえ」
ざわめき。
「エミリーは、ちゃんと来た」
はっきりと。
「自分の足で倉庫に来て、数を数えていたんだ」
部屋の空気が止まる。
「帳簿だけ見てた連中とは違う」
上司の顔が歪む。
「倉庫番ごときが、何を勝手なことを――」
「勝手じゃねえ」
ジムは一歩出る。
「俺は見てたんだ。その子は、何かおかしいって、自分で確かめに来た」
沈黙。
それは、決定打だった。
“現場の証言”が、数字と繋がる。
リオンが、わずかに頷いた。
(……揃った)
「記録、現物、証言――すべて一致しました」
静かな宣告。
「本件は、組織的な横流しです」
崩壊が始まった。
動揺した上司が机の上の書類をひっくり返し、伯爵家の使いが口をつぐむ。
ソフィアが顔を青くする。
――誰も、もう逃げられない。
「商会全体が関与していたと判断する。伯爵家の関係者についても、事情を確認させてもらおう」
短い命令で、役人が動いた。商会の上役と伯爵家の使いが連行される。
混乱するその中で。
「ローデン嬢」
リオンが呼ぶ。
「あなたの記録がなければ、ここまでは辿れませんでした」
淡々とした言葉。
だが――確かな評価だった。
「……ありがとうございます」
エミリーは頭を下げる。
そして、ほんの少しだけ思う。
あのとき――孤児院で。
同じものを見ていた人が、ちゃんと、来てくれたのだと。




