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【完結】帳簿係の地味令嬢、商会の不正を見抜いて王宮に見出されました。  作者: 夏灯みかん


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4.責任の押しつけ

 問題が表に出るのは、もっと先だと思っていた。

 エミリー自身は、そう考えていた。


 帳簿のズレは確かにあった。

 同じ商人との不自然な取引も、すでに控え帳に積み上がっている。

 だが、それを誰かが問題にするには、もう少し時間がかかるだろう、と。


 ――甘かったのだと知ったのは、三日後だった。


「エミリー、会議室へ来い」


 昼過ぎ。

 上司の低い声が、いつもより硬かった。


 エミリーはペンを置き、静かに立ち上がる。


「はい」


 会議室の扉を開けた瞬間、空気が違うのが分かった。


 上司。

 その上の管理役。

 そして、この商工会議所を後援している伯爵家の使いまで来ている。


 さらに、部屋の端にはソフィアも立っていた。


 全員の視線が、一斉にエミリーへ向く。


 それだけで、もう十分だった。


 何かが起きている。


「こちらへ」


 椅子も勧められないまま、部屋の中央に立たされる。


 エミリーは、軽く両手を重ねた。


「何か、問題がございましたか」


「問題?」


 上司が鼻で笑う。


「よくそんな顔で言えるな」


 机の上には、見覚えのある帳簿が何冊か置かれていた。


 孤児院と救貧院への配給記録。

 納品記録。

 支出帳。


 その中に、自分が確認していたものが含まれていると気づき、エミリーはほんのわずかに息を止めた。


「配給物資の一部が、孤児院に届いていないそうだ」


 低く言われる。


「しかも、数量が足りない。現場が騒ぎ始めている」


 伯爵家の使いが、不機嫌そうに腕を組んだ。


「王宮まで話が回れば、面倒なことになる」


 エミリーは静かに目を伏せる。


 ――ついに来た。


 だが、驚きはなかった。


「帳簿を扱っていたのは、お前だな」


「はい。整理と記録を担当しておりました」


「ならば管理不足だ」


 言い切られる。


「……管理不足」


「そうだ。数量が合わないことに気づけなかった。あるいは、気づいていて報告しなかった」


 その言い方は、もう結論が決まっている人間のものだった。


「私は、気づいた時点で――」


「余計なことを言うな」


 言いかけた言葉を、上司が鋭く遮った。


「お前の言い分を聞いている場ではない」


 エミリーは口を閉じた。


 だが、瞳は伏せない。


 部屋の空気は、出来上がっていた。


 誰が悪いか。

 誰に責任を負わせるか。


 それが、すでに決まっている。


「若い娘に重要な帳簿を任せたのが、そもそもの間違いだったのかもしれんな」


 管理役がため息まじりに言う。


 伯爵家の使いも頷く。


「責任を取らせる相手が必要だ」


 その一言に、ソフィアがわずかに身じろぎした。


 エミリーはそれを見逃さなかった。


「ソフィア嬢」


 上司が視線を向ける。


「お前は何か知っているか」


 一瞬、沈黙が落ちる。


 ソフィアは、ほんの少しだけ迷ったように唇を噛んだ。


 だが、すぐに顔を上げる。


「……私は、以前から少し気になっていました」


 柔らかな声だった。


「エミリーが帳簿を抱え込んで、誰にも触らせたがらなかったので」


 エミリーは、静かにソフィアを見た。


 彼女は視線を合わせない。


「それに……あの子、少し神経質なところがありますから」


 困ったように笑う。


「数字が合わないとか、そういうことを、必要以上に気にしていたような……」


 保身だった。


「つまり、挙動が不審だったと?」


「そこまでは……」


 責任が、流れてくる。


 静かに。確実に。


「最悪の場合」


 伯爵家の使いが、低く言った。


「横流しに関わっていたのは、帳簿係本人という可能性もあるな」


 静まり返る。


 上司がエミリーを見つめた。


「エミリー。お前にここの仕事は務まらない。お前は荷物をまとめて、故郷に帰るべきだ」


 エミリーは、じっと相手を見た。


(……この人たちは)


 胸の奥に、冷たいものが落ちていく。


(本当に、自分たちを守るためなら何でもするのですね)


「親御さんへは私から手紙を書いておくぞ。――何か言いたいことはあるか」


 上司が問う。


 エミリーは、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 顎を持ち上げ、頬を流れそうになった涙を瞳の奥に押し戻した。


(――悔しいですが……)


 喉の奥に押し戻された涙の塩辛い味が広がる。


(……こんなことで、家に戻る気は、ありません)


 鼻をひとつすすってから、ゆっくりと目を開く。


「――では、正式な監査をお願いしてください」


 一瞬、誰も反応できなかった。


「……何だと?」


「帳簿、納品記録、現物、契約書を照合すれば、はっきりいたします。配給物資がどこからどこへ流れ、どこで減って、どこへ行ったのか」


 静かな言葉だった。


 だが、空気を切り裂いた。


「ば、馬鹿を言うな!」


 上司が動揺する。


「そんな大事にする必要はない!」


「ですが、私に責任をお求めになるのでしょう?」


 淡々と返す。


「それならば、なおさら正式な監査が必要です」


 空気が崩れる。


「……今日はもう下がれ」


 怒鳴られる。


 エミリーは、静かに一礼した。


「承知しました」


 部屋を出る。


「監査など呼べるか……!」


 その声を背に。


 エミリーは歩き続けた。


 自席に戻る。


 胸の鼓動が速い。


 だが。


 手は震えていない。


 引き出しを開ける。


 控え帳を取り出す。


 その上に、一枚の紙を置く。


(……呼べないのであれば)


 ペンを取る。


(……私が呼びます)


 迷いなく書き始める。


 孤児院で。『何か気づいたことがあれば、ご連絡を』と言い残した、灰色の瞳の役人を思い出す。


(あの方なら……見過ごさないはずです)


『王宮政務監査官

 リオン・アルヴェルト様』


 日付。

 納品数。納品時の重量。

 出庫数。出庫時の重量。

 

 差分。取扱い商人の氏名。

 孤児院での確認。


 事実だけを書く。


『以上につき、正式な監査をお願い申し上げます』


 書き終える。


(……これで)


 封をする。


 控え帳の写しも添える。


 立ち上がる。


 王宮へ向かう。


 門番が立っている。


「何用か」


「王宮政務監査官リオン・アルヴェルト様に書簡を」


「名は」


「エミリー・ローデンと申します。――孤児院でお会いした、と付け加えていただけると有難いです」


 短い沈黙。


「内容は」


「監査の依頼です」


 門番はエミリーを見た。その視線は、しっかりと相手を見定める目だった。


「……預かる」


 手紙が渡る。


(届きました)


 エミリーは深く頭を下げた。


 帰り道。


(私は、やるべきことをしました)


 あとは。


(あの方が、どう動くか)


 あの灰色の瞳は、見過ごす目ではなかった。


 エミリーは歩き続けた。

 すべてが、静かに――だが確実に、動き始めていた。


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