2.違和感
その“ズレ”に気づいたのは、ほんの些細な違和感からだった。
エミリーは帳簿をめくりながら、ふと手を止める。
(……増えていますね)
指先で数字をなぞる。
それは配給物資の納品記録だった。
小麦。乾燥肉。薬草。毛布。
いずれも――孤児院や救貧院へ送られるものだ。
最近、数量が増えている。それ自体は不自然ではない。
アデライン・ヴェルディアという貴族による支援拡充。
その善意によって、配給量が増やされたのだ。――帳簿上は、そうなっている。
(……それなのに)
エミリーは、別の帳簿を開いた。
在庫記録。そして、出庫記録。
(……重量が、違う?)
出庫記録の脇に添えられた、一袋あたりの重量。
例えば、小麦。
納品時の小麦の重量は、一袋あたり……百。
倉庫からの出庫記録の重量は、一袋当たり……九五。
差分は、五。
ほんのわずかな差。
だが、それが一度ではない。
繰り返されている。
(……では、この五はどこへ?)
エミリーは、さらに帳簿をめくる。
孤児院側の受領記録。
そこには――
「……受領数しか、ありませんね」
それもそうだ。孤児院側は届いたものを受け取るだけだろう。
(……中身が、減っている……?)
エミリーは、そっと帳簿を閉じた。
そして引き出しから控え帳を取り出す。
日付。
品目。
納品数。
納品時の重量。
出庫数。
出庫時の重量。
受領記録。
簡潔に、正確に書き込む。
(……間違いかもしれません)
そう、自分に言い聞かせながら。
(ですから、確認するだけです。自分の目で。)
翌日。
エミリーは物品保管倉庫へ足を運んだ。
帳簿を持ち、現物を確かめる。
小麦袋を数え、一袋を気合を入れて担ぎ上げると、重量計へと乗せた。
(……納品時より、軽い……)
納品されたはずの配給物資の中身が、確かに減っている。
(一袋、五……十袋で五十。パンは、何個焼けるでしょうか……)
「……一人分では、ありませんね」
そう独り言をつぶやいたときだった。
「おや」
低い声がかかる。振り返ると、倉庫係の男が立っていた。
年配の、無骨な男だ。
日焼けした腕に、重たい木箱を軽々と抱えている。
「帳簿係のお嬢さんが、倉庫に何の用だ」
「確認に参りました」
エミリーは軽く頭を下げる。
男は、ふっと口元を緩めた。
「変わったお嬢さんだ」
箱を下ろしながら言う。
「――こんなところに来る帳簿係は珍しい。普通は、数字だけ見て終わりだ」
少しだけ視線を向けてくる。
「自分の足で確かめに来るのは、感心だ」
その言葉に、エミリーは一瞬だけ目を瞬いた。
「……ありがとうございます」
褒められることに慣れていない。それでも、言葉は素直に受け取った。
「俺は倉庫番のジムっていう」
男――ジムは、腕を組んで倉庫を見回した。
「最近な」
ぽつりと呟く。
「荷物の重さが、変わるんだ」
エミリーは顔を上げる。
「重さ、ですか」
「ああ。同じもの担いでりゃ、感覚でわかるし――測ってみりゃ、重量が違う」
ジムは棚の方を顎で示した。
「上の連中は、袋の数が合っていりゃいいって。中身なんて見ちゃいねえ」
「上の連中」というのは、商会の本部の職員のことだ。
倉庫は一階にあり、エミリーの働く本部は二階にある。
「あんまり言うと、倉庫の管理が悪くて、鼠が入ってきて食ってるんだろうなんて言ってくるからさ」
ジムはそれだけ言って、肩をすくめた。
それ以上は何も言わない。
ただの現場の感覚。
だが――
(……中身が、減っています)
エミリーは静かに思考を整理する。
納品の数も、受領の数も合っている。
けれど、袋の中身が減っている。
(……中身は、どこへ?)
そのとき。
「何をしているの?」
背後から声がかかる。
振り返ると、ソフィアが立っていた。
「在庫の確認です」
「そんなこと、わざわざあなたがやらなくてもいいのに」
くすり、と笑う。
「配給なんて、“出したこと”になっていればいいでしょう?」
その言い方に。
エミリーは、ほんのわずかに視線を落とした。
(……出したこと、に)
「……そんなことはないと思います。数は合っていなければ」
静かに答える。
ソフィアは肩をすくめた。
「本当に堅いわね」
興味を失ったように、その場を離れていく。
倉庫に残った静けさの中で。
エミリーは、控え帳を開いた。
ペンを取る。
――納品時の重量、百
――出庫時の重量、九五
そして、小さく書き添える。
――差分五
(……まだ、分かりません)
断定するには早い。
記録の誤りかもしれない。
伝達の行き違いかもしれない。
けれど。
(……もし、この五が)
一瞬だけ、思考がよぎる。
すぐに打ち消す。
(ですから)
ペンを動かす。
(記録します)
その日から、控え帳は少しずつ厚みを増していった。
同じ構造。
三~八のわずかな差分。
それらが、静かに積み上がっていく。
誰も言及しないまま。
エミリーは、ただその差をこつこつと記録し続けた。
――その数字の向こうに、本来届くはずだった誰かの食事がよぎる。
エミリーは町はずれにある教会に併設した孤児院を思い出した。
いつも、痩せた小さな子どもが物欲しげに窓から外を見ている。
その“ズレ”は、確かに――あの子の食事を削っていた。




