『ポへット』&『ホップイヤー』
♦
オレは聞こえてきたその声を信じて手を離す。直後、足で"何か"に触れたと同時に空中で跳ねフェンスに掴まることができた。
──しかし、今置かれているこの状況は本当に最悪の気分だ。今までバレずにやって来た事が、数か月前に手に入れた『ポへット』のせいで全部ダメになってしまった。まさか監視カメラの映像が怪しいだけで調べられるなんて…… 世の中にはもっと取り締まった方がいい犯罪があるはずだろ。警察はヒマなのか?
「クソ……『ボク』なんて一人称普段は絶対に使わないのに…… ああムカつく」
そんな行き場のない思いをオレはいもしない誰かに向かい呟いた。
そしてふとオレはちらりと下の方向を見る。ニット帽を被った犬使いの男に、オレに向かって攻撃してきたクソガキ。そいつらはただ茫然とオレのいる屋上を眺めていた。
「敵は──『二人いた』! 」
そんな言葉がオレに向かって飛んでくる。その言葉はおれの『不満』という感情のツボを強く押した。
(敵だと…… ? オレがお前らに対して何かしたのかよ。この偽善者がッ!)
オレはただ自分の利益の為にちょっとクスリを買って、それを身内に売っていただけなのに。たったそれだけなのによぉ……
「ジンギ氏何をしてるんだ! 早くボキュの手を取って!」
耳に聞こえてきたその"ノイズ"を聞いた俺は、まるでテレビゲーム中にコンセントを抜かれた時のような、あの極めて冷静な心を取り戻す。オレは急いで握っている手に力を込め、フェンスを登ってコンクリートの床を踏んだ。
「おい柳…… てめぇ見張りしろって言ったよなァッ!」
オレは開口一番目の前に立つ男に怒鳴りつける。
ガリガリの体に中学生でも着ないようなダサいドクロTシャツに派手な色のズボン。極めつけは右頬にある巨大なホクロと対をなす黒淵の丸メガネをかけた男、『石化 《せっか》柳 』に。
「で、でもだってあいつら気配を感じなかったんだよ! 音も"いっしゃい"たててなかった。"しゃいじぇん"は尽くしたんだよ!」
滑舌の悪い発音で言い訳をする柳の態度は、俺の怒りに火に油を注ぐだけだった。ただし、『気配を感じなかった』という言い訳に関してはオレも同感できる。実際コインランドリーへと入られた時もシャッターを開けれるまで気づかなかった。
「ここまできたらもう共犯だからな。死んでもオレに付き合ってもらうぞ」
「わかってるよ、こうなったのはボキュの責任。だからボキュは全力でジンギ氏を守り抜いてみせる!」
そう意気込む柳を適当にあしらい、オレは改めて建物の下を覗き込むことにした。オレ達の今いるコインランドリーの屋上はおよそ6階。ここまで来れる階段は一つしかなく、その階段は律儀にもしっかり施錠されている。ゆえにあの二人がここまで来るのにはまだ時間がかかるはずだ。あとは柳の『力』、いや『ファイター』を使えば一旦この場は収まるだろう。
しかし問題はその後だ。いや本当にこの後オレはどうやって生きていけばいいんだ。顔もバレてるし、もうダメかもしれない。何ならこれが終わったら──いや先の事は後で考える事にするとしよう。
そう吹っ切れたオレは建物から柳のいる後方へ振り返った。
「柳、あの検事みたいな人達はしばらくここには来れない。今のうちに逃げようぜ」
だが柳から返って来たのは突然の沈黙だった。オレとは目を合わせようとせず、ただ目の前の景色をずっと眺めているだけ。いつもオレのいう事を聞き従っている柳にしては珍しい行動だった。
「おい柳何して──」
「『ホップイヤー』ッ! ジンギ氏を守れ!」
そう柳が叫んだ直後、柳の背後から宙返りをしてその『ファイター』は現れた。
全身は黄緑色のタイツで身を包み、頭には白鳥の羽を模したようなマークが施された黒いヘルメットを被っているなんとも絶妙な姿をしたそいつが、オレの方向へと指を刺す。
しかし、オレの背後からガラスが割れたような音が聞こえたと思うと、オレの左足のふくらはぎから強烈な痛みが走り出した。
見ると蒼い輝きを放つサファイアが、デニム生地のジーンズを貫通し生地を真っ赤に染めている。
オレの鼓動は途端に加速し、呼吸が荒くなっていく。一体何が起こっているのか自分でも分かりきってはいるのだが、まだ目の前の事実を受け入れる事が出来ていなかった。
オレは事実を確かめるべく、恐るおそる音のした後方へと振り返る。
信じられないと言うべきか、やはりと言うべきなのか。オレのいる建物から一つ隣の建物に、先ほどまで下にいたはずのクソガキがオレに指を向け立っていた。
「『涼川 任儀』、僕は何事もなく終わってくれれば良かったと思っているんだ。お前は…… 優しい人に見えたから」
「──勝手に期待しておいて、勝手に落胆するんじゃねぇよォッ!」
オレの口から自然とそんな言葉が飛び出してきた。それを聞いたクソガキの顔は一気に険しい顔へと変わる。先ほどまでわずかに見えた慈悲の表情ではなく、恨みの籠った憎悪の顔に。
(そういえば──前にもこんなことがあった気がする)
そうだ。あの時もオレは同じ言葉を言ったんだ。あれは確か受験に失敗した時、正確には行きたかった別の大学から志願変更をしようとした時の日だ。あの日のオレは、目に映るもの全てが敵に見えた。両親や塾の先生、数少ない友達の目は冷たいものに変わり見向きもされなくなった。
新しい環境で新しい生活を送ろうとしても、オレの心に豊かさは戻るどころかどんどん穴が開いてく一方。サークルの先輩から誘われて始めたクスリも楽しいのは吸っている時だけだ。承認欲求の沼にはまり、求められなくなった奴の人生なんか傀儡同然…… 少なくとも"あの日"まではそう思っていた。
(そうだ。オレはこの『力』を手に入れてから自由になったんだ。"誰かに求められるのを待つ"のではなく、"誰にも求められなくても行動できる"ようになった)
ここで諦めるなんてそんな事はしたくない。オレはもっと自由でいたい。自由でありたい。気づけばオレは足の痛みなんてもろともせず、クソガキとオレを挟むフェンスの前にまで来ていた。
「オレはもう自由なんだ! オレから自由を奪う奴は誰だろうとぶっ潰すッ!」
「涼川……ッ! やっぱりお前は最悪の人間だ!」
夕日が傾き橙色の日がくすんでいく空の下で、オレ達は奇妙にも静かにお互いをにらみ合っている。闘いの合図なるものをお互いが待ち望んでいるかのように。
オレは自分から再度『ポへット』を出現させる。だがガキは動かない。あのガキはオレの行動をまるで先を読んでいるかのような冷静さだった。だがオレもすぐには仕掛けない。この"フェンス"から乗り出した時それが闘いの合図になるだろう。
建物のすぐ下にある通行の多い道路の音も、ただ小さくわずかに耳に残る程度になっている。間もなく差し掛かる夜の冷たい風は、かえって心に熱を帯びせてくれていた。そして一歩今度はフェンスに手を掛けた時、周りの音は一気に消え去り途端に聞こえなくなった。
覚悟を決めたオレは一気にフェンスから身を乗り出し飛ぼうとする。だがここで予想外の事が起こってしまった。身を乗り出そうとしたオレの体はなぜか逆の方向へと引っ張られたのだ。
「ダメだよジンギ氏! あいつに勝とうなんてじぇったい無理だ!」
「どけゴミッ! オレはあのガキを潰すんだ!」
「それでもダメだよ! ジンギ氏じゃあいつの攻撃を防ぎきれない!」
そう言って柳と『ホップイヤー』はオレを掴んだままどんどんガキと離れていき、ついには反対のフェンスの目の前にまで到達しようとする。
その時、フェンスの手前からうっすらと矢印の描かれている透明の板が出現したと思うと、柳の足が板に触れた瞬間オレ達は上空へと投げ出された。
「今ボキュ達のできる最善手それは──逃げるッ!!」
こうしてオレの闘志の炎は役立たずの仲間によってかけられた泥によってもみ消され、半ば強制的に決死の逃走劇が幕を開けるのであった。
読んでいただきありがとうございました✨良かったら感想と評価を書いてくれると嬉しいです!




