Episode.59
シリルの動きをしばらく見守っていたミネルバが、おずおずと促すように言った。
「カフスは高価なものではないので、気に入らなければ処分してください……」
「えっ!しませんよ!」
信じられないというように顔を上げる。
「えっと、もうひとつあるので見ていただいても……?」
ミネルバの視線を追うと、たしかにもうひとつ包みがある。
(なるほど。カフスは深い意味がない品だったのか。こちらが本命。危なかった)
シリルはなんとか平常心を装い、もう一つの包みを開いた。中には白いハンカチーフが入っていた。
くるりと向きを変えると、刺繍が見えた。
シリルはこれが何なのか知っていた。実はここ最近で何度も贈られて来たものだ。公爵邸に届くものもあれば、アカデミーの廊下で直接渡された物もある。全て丁寧に断っていたが、その刺繍入りのハンカチがどういう意図で贈られるものなのかはヴェラから聞いている。
震える手でハンカチーフを持ち、刺繍を凝視する。
「えっと今、令嬢たちの贈り物の中で流行っていると聞きまして…ご存じですか?私は花言葉などにうとくて、その……意味は知らないのですが……その……絵も上手ではないので……その……」
しどろもどろに言葉を紡ぐミネルバの一言一句に耳を傾けながら、シリルは無言でハンカチを見つめた。
「……えっと」
ミネルバが黙ったので、シリルは聞いた。
「これは薔薇ですか?」
「えっ……はい」
ミネルバの返事に心臓が跳ね、身体までびくりと跳ねた。
「数は一本……?」
「え……はい」
瞬きせずハンカチを見つめるシリルに、ミネルバが不安そうに口を開いた。
「何か問題がありましたか……?」
ミネルバの問いにシリルは首を少し振った。
「いえ……ありがとうございます。本当に……大切にします」
シリルは絞り出すように言った。顔のにやけが抑えられない。自分は今どんな表情をしているのだろう?
(……嬉しい)
一本の薔薇の花言葉は、『あなたを愛しています』――花言葉を知らないミネルバが選んだ花なので、そういう意図がないことは分かっている。
(そういう意味ではない。それは分かっている)
そうだとしても、そういう意味合いのあるものをミネルバから貰えたことが心底嬉しい。
(これを早く意味のある品にしなければ)
早くしないと、自分がただの痴漢になってしまう。今ですらこんなに、抱きしめたくなるのを我慢しているのだから。
アカデミーが終わり、邸宅に戻ると本邸の執事が出迎えた。シリルは眉を顰める。父の執事がわざわざ別邸に来るなんて、良いことであるはずがない。
「何だ?レイノード。父上のお使いか?」
「ええ。シリル様が突き返すので、本邸に送られてくるようになった手紙をお持ちしました」
事業や開発関係の書類は受け取っている。……となると。
「必要ないから受け取らないだけだ」
レイノードはお盆に乗せた大量の手紙をそのまま別邸の執事に渡した。
「今は必要ですとも。皇室主催のパーティーに、また誰も伴わずに行かれるおつもりで?以前とは違い、こんなにお誘いの手紙が届いていると言うのに。一時期のアレックス様より多いですよ」
「必要ない。パーティーにも一人で行くつもりだ」
「亡き公爵夫人が嘆かれますよ」
ハンカチを取り出し、わざとらしく目元を覆うレイノードを見て、シリルは嗤う。
「はっ。前回の夜会では何も言わなかったものを。何だ急に」
「それはシリル様がここ最近変わられたからです。以前のような噂を払拭できる良い機会かと」
確かに、変わり者だったシリルが、夜会に誰のエスコートもせず一人で参加しようと、気にする者はいなかった。
(今は本気で次期公爵の座を狙っているからな……。レイノードの言い分も分かる)
それでも、他の令嬢をエスコートして参加するつもりはなかった。今日貰ったプレゼントを思うと尚更だ。
シリルはミネルバに貰ったカフスとタイピンを付け、一本の薔薇の刺繍が入ったハンカチーフを胸に指して行くつもりなのだから。
(それで他の令嬢の手をとっては駄目だろう)
シリルはニヤリと微笑いレイノードに言った。
「変わり者のままでかまわない。それでも十分に結果を出すから、心配無用と父上に伝えてくれ」
階段を上がる前に、受け取った手紙を破棄するよう別邸の執事に指示して自室へ向かった。
自室に戻り、上着をかける。室内着に着替え終わると同時に、コンコンとノック音が聞こえた。毎回思うのだが、彼らは見ている訳でもないのに何故こんなにタイミングが良いのだろう。
「入れ」
現れたのはライナスだった。ヴェラかと思っていたのでシリルは少しだけ力を抜く。ヴェラは今はシリルに付いているが、いずれギルドに戻る人間だ。完全に砕けて接することは出来ない。
「ヴェラはどうした?」
「アウグスタ邸の近くでクロイツの家紋の馬車を発見し、偵察に向かいました」
「――そうか」
おそらく招待状だろう。パーティー会場で直接皇帝に認めてもらおうという算段なのかもしれない。
「レオンハルトから連絡は?」
「ありません」
間に合うだろうか。もちろん間に合わなくてもなんとかするつもりだが。
「……招待状に、エスコートの申し込みも一緒に書いてあるだろうな」
「そうでしょうね」
「今から手紙を破きに行ってもいいだろうか」
「良いわけがないですね」
読んでいただきありがとうございます。
執事のレイノードも公爵邸、古参の執事。子供の頃から双子を知っている良き理解者です。
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