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好奇心に負けてちょっと悪役令嬢してみたら、王弟と聖獣に気に入られた件について。

作者: 織子
掲載日:2026/10/05


特別なきっかけがあった訳じゃない。その日、私は唐突に思い出した。


「――わたし、悪役令嬢だったの?」



朝、目が覚めたと同時に前(・)世(・)を思い出し、現在の自分が何(・)者(・)であるかを知った。


生前の私は、華の女子大生になったばかりの十八歳。これから始まる大学生活に夢と希望を抱いていたその日に、事故で亡くなった。そして、今のわたしは――


「ヴェロニカ・ラギアス……」


ヴェロニカは自分の名前を呟いた。


前世を思い出した途端、前世の自分と、今までのヴェロニカの人格が混ざり合う。ヴェロニカの性格はなかなかの曲者だったが、何故か前世の性格の方が表に出てしまっている。


「ヴェロニカ?わたしがヴェロニカですって?」


ベッドから飛び降りて姿見へ向かう。鏡の中に映る自身の姿に、ヴェロニカは目を見開いて絶句した。


「め、めちゃくちゃ美人……!」


緩やかに流れる白金色の髪、吸い込まれそうなほど澄んだ蒼い瞳。通った鼻すじに、口紅を塗らずともふっくらとした薔薇色の唇。ツリ目気味だが、そこがまた凛とした美しさを際立たせていた。

ヴェロニカは鏡に張り付くように自分の顔を見つめた。ふと、ぽよんと胸部に冷たい感触が走った。下を見てヴェロニカは狼狽える。


「で、でっかい」


思わず感嘆の声を漏らす。なんせ前世では大きく見積もってBだったのだから。


たわわな胸を、両手で支えるように持ってみる。ずっしりとしたやわらかな感触だ。


「すご……!」

改めてもう一度鏡を見る。


睨むような視線でキメ顔をしてみたり、腕を組んでみたりしてみる。鏡の中の超絶美人は何をしても美しい。


「うわぁ…!本当にヴェロニカだよ……!」


ヴェロニカ・ラギアス侯爵令嬢。前世で読んだライトノベル【聖獣に選ばれた聖女は王太子に溺愛される】に出て来る悪役令嬢だ。


「はあ~こういう事って本当にあるのねぇ」


どこか他人事の様な感想を述べて、ヴェロニカは今日までの記憶を思い出そうと思案した。所々、思い出せない。前世を思い出したばかりで混乱しているのかもしれなかった。


(今日は春の一月だったはずだけど、何日だったかしら?)


カレンダーのような物も見当たらない。


(今はストーリーのどの辺りだろう。たしかヴェロニカは物語の後半で断罪……というか、ヒロインに危害を加えようとして……どうなるんだっけ)


ヴェロニカはベッドの脇にあるベルを鳴らした。


コンコン。


すぐに扉のノック音が聞こえた。どうやら扉の前に侍女が待機していたようだ。


(え、ずっとそこに居たの?わたしの独り言が聞こえていたんじゃないかしら)


「おはようございます。お嬢様」


部屋に入ってきた侍女は覚えがある。マリアン・トラザ。侍女長の娘で、ヴェロニカの専属侍女だ。


「おはよう。マリアン」

ヴェロニカが挨拶を返すと、マリアンはぎょっとした顔をして固まった。


しかしすぐに表情を取り繕い、洗面器やタオル、香料などを準備した。出来る侍女だ。


「マリアン。今日は何月何日だったかしら」


ヴェロニカが問うと、マリアンは淡々と答えた。

「春の一月三十日。末日でございます」


(――末日)

小説の一小節が頭に浮かぶ。


『春の一月の末日、王太子の生誕祭が行われた。リヒャルドの手を取り会場へ入る。ユリエラを見て、ヴェロニカが乾いた嗤いを会場内に響かせた。』


「……マリアン」

「はい。お嬢様」

「今日は何か大きな行事があったかしら?」


さすがのマリアンも眉間に皺をよせた。

「今日はお嬢様の婚約者であられる、リヒャルド殿下の誕生祭の日でございます……」


ヴェロニカは片手で顔を覆った。

(うわ――今日だったのね。断罪の日。つまりわたしは十八歳。どういうことかしら。よりによってこの日に前世を思い出すなんて)


ヴェロニカの様子を見ていたマリアンが言いにくそうに言った。


「お嬢様、もしかしてもうお聞きになったのですか?」

「え?なにを?」

「今朝になって、急にリヒャルド殿下から文が届きました。お嬢様のエスコートが出来ないと……」


ああ。なるほど。ヒロインのユリエラをエスコートするつもりなのだろう。


(あら?断罪されることが分かっているのだから、誕生祭自体出なくても良いんじゃないかしら)


パーティーの準備だって楽ではない。わざわざ聴衆の面前で罵られに行くために着飾るなんて、馬鹿みたいではないか。


(でも……待って)


ヴェロニカはもう一度、鏡の前に立った。


(このスタイルと、この美貌よ?)


くるりと身体を捻ってみる。


(着飾らないと、もったいないわね)


自分が絶世の美女であると気付いて、はじめてのパーティー。

ヴェロニカは一応聞いてみた。


「マリアン。一応聞いてみるけれど、誕生祭、欠席することは難しいかしら?」


マリアンは顔を曇らせた。


「はい。欠席は不可能でございます……」


(そうよね……うん。出席はしましょう。なるべく目立たなくしていれば、リヒャルド殿下も私に気付かないかも?)


さすがにそれは楽観的過ぎるだろうか。腕を組みつつヴェロニカは思案する。


(もし断罪されてしまえば、わたしはどうなるのだったかしら)


常に高慢で他者を見下したかのような態度のヴェロニカ。すぐに逆上したり、苛烈な面はあるものの、実際に他人に危害を加えたことはない。

断罪劇はヒロインのユリエラに対しての、日頃からの冷たい態度、横柄な振る舞いが原因で追及が始まる。そして身に覚えのない事まで追及され、逆上してしまい……実際にヒロインに危害を加えそうになり、リヒャルドに止められ、婚約破棄を突き付けられる。


(うーん……この流れだと、万が一断罪劇が起こっても大丈夫かも。逆上せず、ユリエラへの態度を改めれば良いのよね。そして婚約破棄に同意すれば、騒ぎは大きくならないわ)


もちろん断罪劇が起きないのが一番ではあるが、ヴェロニカは少し気が楽になった。



「ではお支度を始めてもよろしいですか?」

「ええ。お願い」

「えっ」

ヴェロニカが返事をすると、マリアンは驚いたように顔を上げた。

「あっ…いえ。はい。すぐに」


そういうと部屋を出て行った。


(普通に返事をしただけなのに驚かれたわね……それだけ今までのヴェロニカの態度に問題があったのでしょうけど……急に性格がガラッっと代われば驚くわよね……変人扱いされても困るわね)


「うーん……」


再度鏡の前に立ち、蔑んだ表情、高圧的な立ち方など、鏡の前で試してみる。


(ちょっと……興味あるのよね”悪役令嬢”)


我ながら、ふんぞり返った立ち姿のなんと様になる事か。


(ちょっとだけやってみようかしら。”悪役令嬢”)


もちろんちょっとだけだ。態度とか、笑い方とか。本格的に悪意のある態度をとる度胸は、今のヴェロニカにはない。


「ふふふふ。あ、笑い方もこうじゃないわね。ほほほ。おーほほほ」


(不自然だったかしら?あーでも、おほほほ笑いがなんて似合うのかしら)


鏡を見ながら、手の位置を変えたりしてみる。

転生ハイとでも言うのだろうか。なんだか楽しくなってきた。



コンコン。


「お嬢様。本日のドレスをお持ちしました」


マリアンが侍女を数人引き連れて戻ってきた。


トルソーに飾られた”本日のドレス”を見てヴェロニカは目を見開く。


(きゃああ。なにこれ。――は、はれんち!)


上半身の布面積が明らかにおかしい。


(み、見えちゃわない?こんなの着るつもりだったの?昨日のわたし!これは恥ずかしすぎて無理だわ)


胸と背中部分が大きく開き、少ない布部分にふんだんに宝石が飾り付けられている。


(他のに変え……い、いえ。待って。今のわたしは悪役令嬢ヴェロニカよ!たしかにこのドレス、ヴェロニカじゃないと着こなせないわ)


この類まれなる肉体美を前にして、怖気づいてどうするのか。ヴェロニカは改めて目の前のワインレッドのドレスを見据えた。


(こんなドレスを着る機会なんて今までなかったもの。攻めたっていいのよ――


――でもこれは無理!)

「マリアン。ドレスを選び直すわ!」


ヴェロニカはそう言うと、鼻息荒く衣装部屋へ向かった。そこにある数十というドレスの中から、今の自分に合うドレスを二時間かけて探した。



◇


ドレス選びに2時間。着替えと髪のセットに2時間かけ、ラギアス侯爵家の馬車が王城に着いたのは昼過ぎになった。誕生祭の本番は夕方からなので時間には問題はない。


ヴェロニカが馬車から降りると、同乗していたマリアンが扇を差しだした。


「お嬢様。こちらを」


ふわふわの黒い羽がたっぷり付けられている、ヴェロニカのお気に入りの扇子だ。


(わあ。これよこれ。悪役令嬢っぽいわ)


マリアンは性格に難のあるヴェロニカに、根気強く仕えてくれている。少し言いにくそうに口を開いた。


「お嬢様、今日は王弟殿下が数か月ぶりに北方から帰還されています。リヒャルド殿下がエスコートを辞退された事も気になりますが、くれぐれも王弟殿下にも近寄らない様お気を付けください」


「王弟殿下?」

ヴェロニカは首を傾げた。


「フェリクス王弟殿下でございます。戦闘狂であり、頻繁に北方へ魔獣討伐に行かれていますが、戦闘を悦びとする狂人と言われております」


「そ、そう……」


いたかしら?そんな熊のような登場人物。

とりあえず、それらしい人物がいれば近寄らないようにしなければ。


ヴェロニカは扇を広げ、メインホールへ向かった。



◇


「ヴェロニカ・ラギアス侯爵令嬢のご入場です」


ホールの入り口に配置された侍従が声高らかに宣言する。あやうく振り返るところだった。宣言せずともよいものを。明らかに一人での入場なのだから気を使ってもらいたい。ホール内の貴族たちが一斉にヴェロニカを捉えた。


まずい。これでは目立たず会場入りして、隅っこを陣取るという計画が水の泡ではないか。


淑女然とした表情を貼り付け、ヴェロニカはホールの中央を進んだ。



「まあ。ヴェロニカ嬢、お一人よ」

「じゃあ今日はリヒャルト殿下は誰をエスコートされるの?」

「まさか例の男爵令嬢と……」


周囲から聞こえる囁き。興味と侮蔑の混じった視線を感じる。ふと、一人の令嬢が意外なことを言った。


「それにしても、今日のヴェロニカ嬢は雰囲気がいつもと違いますわね。品が良く洗練されたドレスだわ」

「ええ。どこで購入されたドレスかしら。アクセサリーも素敵だわ」


ヴェロニカは声の主を探して賞賛を贈りたくなったが我慢した。


(そうでしょうとも)


悪役令嬢らしく、攻めたドレスにしようとしたのだが、やはり袖を通すと布の面積の大事さに気付き、悩みに悩んでシンプルで、かつデコルテが綺麗に見える藍色のドレスにした。

胸元も背中も大胆に開いてはいないが、前世でキャミソール1枚で出掛けたことも無いヴェロニカからすれば充分に攻めたデザインだ。

スレンダーラインのドレスの裾にはキラキラと輝くラメが施されており、歩くたびに輝いた。

白金に輝く髪はハーフアップに、連なった小さなパールと共に編み込み、片側に流す。耳が出ている方だけ、大ぶりのイヤリングを付けた。こちらも歩くとしゃらしゃらと揺れて可愛い。


これまでのヴェロニカと、新生ヴェロニカの好きなものを上手に組み合わせることが出来たと、自信のあるコーディネートだった。


とはいえ、その好意的な意見は少数の若い令嬢だけだ。ヴェロニカはホールを突っ切り中庭へ逃れた。


(少し中庭で時間をつぶしましょう)


少し歩くと、池がある。小さなガセボが見えたのでヴェロニカは近づいた。


(王城の庭は広いわね)



「おい。何だそれ?」


ガセボから声がした。先客がいるようだ。数人の声が聞こえる。


(何かしら……)


前世から好奇心は旺盛なほうである。ヴェロニカは体勢を低くしてガセボに近づいた。


ガゼボの端に四人の男が集まり、その先端には子犬のような動物がいる。


「王族のペットか?」

「薄汚いからそれはないだろう。迷い込んだんじゃないか?」

「汚いな。湖に落としたら綺麗になるんじゃないか?」

「ははは。それはいいな」


(……なによ、あれ)

四人の男がよってたかって小動物を虐めている。ようにしか見えない。


品はないが、上等な礼服を着ている様子から、貴族の令息だろう。誕生祭に呼ばれた貴族であれば、そこそこの地位のある家門のはずだ。二人は見覚えのある顔だった。ヴェロニカは唸りながら記憶を探る。


(――あ。思い出した。リヒャルド殿下の取り巻きのAと、B)


どちらも伯爵家の嫡男だった気がする。


周りを見渡しても人影がない。ガセボの先端に追い込まれた犬のような生き物が、小さな声で唸り始めた。このままではあの犬?きつね?が池に落とされてしまう。こんな時こそ”悪役令嬢”の出番なのではないか。


(ちょっと怖いけど……)


一人の令息が犬の首を掴もうと手を伸ばした。ヴェロニカは息を吸い込んだ。



「――こんな所で何をしていらっしゃるの。小さな動物をいじめるなんて、随分なさけない事をなさるのね」


思った以上にすらすらと言葉が出て来る。十八年で培った悪態は、人格が変わっても根強く残っているようだ。



「誰……」


ヴェロニカの声に令息達は焦って振り向いた。声の主がヴェロニカであることに気付くと、令息の一人がにやにやと近づいて来た。ふわりと異臭が漂う。


(酒くさい……)


「ラギアス嬢ではありませんか。動物虐めだなんて、とんでもない。汚れた獣を綺麗にしようとしているだけですよ」


その言葉に、他の令息達も「ははは」と笑い声を上げた。

酔っているとはいえ、侯爵令嬢相手に随分舐めた態度だ。王太子と親しいからと、自分たちを過大評価しているのだろうか?ヴェロニカは扇を開き、侮蔑した笑みを浮かべた。


「まあ。どなたかと思えば、殿下の腰巾着じゃありませんの。みっともない真似はやめなさい」


「こ、腰巾着?失礼な!貴方だって殿下に相手にされておらぬではありませんか」


後ろに居た令息が怒りをあらわにしている。ヴェロニカは冷たい視線を向けた。


「それでも、その歳で小動物を虐めようとする貴方達よりマシですわ。――見苦しい」


最後の一言を思いきり貶すように言ったので、四人の令息達は犬から離れヴェロニカを取り囲んだ。自分より大きな男たちに囲まれヴェロニカの足が竦んだ。悟られぬよう奥歯を噛み締める。


(――は、早く逃げないかしら?このワンちゃん)


ヴェロニカの願い虚しく、小さなワンちゃんは逃げてくれない。


(い、いっそのことわたしがワンちゃんを抱っこして逃げる?)


視線をさ迷わせたが、完全に取り囲まれている。


「ここには僕たちしかいないんだ。少しは口に気を付けていただきたい」

一人の令息がそう言い、ヴェロニカの身体に不愉快な視線を向ける。途端に背筋に怖気が走った。


「ええ。本当に。殿下に相手にされないのなら、僕たちが相手をしても良いのですから」

他の令息もにやりと口の端を歪める。


一人が手を伸ばして来たので、渾身の力で扇で叩いた。

「わたしにも選ぶ権利があります。貴方達がわたしを?ハッ。冗談じゃないわ」


勢いで言ってヴェロニカはすぐに後悔した。嘲笑はやめた方がよかったかもしれない。一人の令息が赤い顔をして拳を振り上げた。



「――何をしている!」


よく通る低い声が聞こえた。思わず閉じた目を開くと、少し離れた場所に背の高い騎士が立っている。


(いつの間に。見回りの衛兵かしら)


「お、おいっ行くぞ」

騎士が大股で近づいてくる間に、四人の令息は慌てて逃げ出した。


「逃げても無駄なのだが。おい。追って家門を調べろ」

後ろに居たもう一人(部下かしら?)に指示を出し、騎士はヴェロニカの前に立った。


(わ、わぁ。王宮の騎士は見た目も大事なのかしら)


夜空のような藍色の髪に、冷たく光る紅い瞳。鍛え抜いた体躯に似つかわしくないほど、整った顔の騎士だった。

ヴェロニカが呆然と見惚れていると、騎士は口を開いた。


「ご令嬢、無謀だ。あのような輩に囲まれて、なお挑発をするとは」


低く発せられた声には怒気すら混じっている。


「――な」

とっさに口を開いたが、言葉が出てこない。騎士はさらに淡々と続ける。


「私が来なければ、何をされていたか分からない。今後、そのような不遜な態度は改めた方がいい」


「――う、うるさいわね。余計なお世話よ!」


……しまった。焦って”悪役令嬢”っぽく言ってしまった。


「――う……」

目に涙が溜まる。瞬くと落ちてしまうので、唇を引き結んで耐えた。


「言われなくても……」

わかっている。無謀だったことくらい。怖かったので、もう二度としたくはない。


口籠っていると、騎士がヴェロニカが助けた獣を見て言った。


「ん?こんなところにいたのか」


そう言ってひょいと抱き上げる。


(この方のペットだったのかしら?)


「助けてくれたことには感謝するわ」

ヴェロニカは早口で言うとその場から逃げるように立ち去った。初対面の見知らぬ王宮の騎士に、涙を見られたくはない。


人がいるところまで出てくると、ヴェロニカは安堵のため息をついた。


(あいつらにもう一度会いたくはないし、早く帰ろう)


入場の際、大きく名を呼ばれたので、出席したことにはなるはずだ。しかし帰るにはメインホールを抜ければいけない。


(端を通って目立たず帰りましょう……)




しかしホールに戻った途端、皆がヴェロニカを注視した。



「――ヴェロニカ・ラギアス!守るべき王国民を虐げた罪、今日ここで白日の下に晒させてもらう」


メインホールの中央で、リヒャルドの高らかな宣言が響き渡ったからである。


王族特有の朱い髪と朱い瞳は爛々と輝いている。


(う、うわ。このタイミングで始まっちゃった)


ヴェロニカは思わず辟易とした表情になった。これも良くなかった。リヒャルドは侮辱されたと思ったのか、顔まで赤くした。


「その不遜な態度!もう我慢ならない!貴様との婚約は今をもって破棄する!」


(え?最初から?)


少し驚いたが、ヴェロニカは恭しく頭を下げた。


「王国の星、リヒャルド殿下。婚約破棄、承りました」

「なに?」


あっさりと、癇癪も起こさず答えたヴェロニカに、リヒャルドは狼狽えた。ヴェロニカは顔を上げるとゆっくりと言った。


「ですが、最初に仰った王国民への罪と言うのは、どのような事でしょう?全く覚えがありません」


(興奮しては駄目。悪態が出てこないよう、落ち着いて)

ヴェロニカは心中で自分に言い聞かせた。


「罪が何かだと?思い当たる節があるだろう。ユリエラ、ここへ」


リヒャルドがそう言うと、怯えるようにユリエラが出てきた。ユリエラはリヒャルドの腕に縋るように立った。


「ユリエラの怯えようを見てまだ分からないか?聖女候補であるユリエラにした数々の蛮行、赦されることではないぞ」


(わ〜!ヒロインのユリエラ!ヴェロニカとはタイプが違うけど、やっぱり可愛いわね)


ふわりと揺れる桃色の髪に華奢な体躯。護ってあげたくなる女の子の代表といった感じだ。


「はい。ユリエラ嬢への今までの態度、わたしが間違っておりました。申し訳ございません」


ヴェロニカは頭を下げた。会場が騒然とする。


「なっ?!」

「ラギアスの悪女が頭を下げたぞ」

「そんな馬鹿な。何か企みがあるのでは」


(謝っただけで皆取り乱しすぎじゃない?)


企みなどないのだが。謝罪を謝罪として受け取ってもらえないのは困る。


「ええと……ユリエラ嬢に高慢な態度をとった事が罪…ということでよろしいでしょうか」


おずおずと聞いたつもりだが、この目つきだ。そうはとられなかったようで、リヒャルドは怒号をあげた。


「そんな訳ないだろう!ユリエラ嬢に対する脅し、暴言、暴力!罪ではないと言いたいのか!」


叫ぶリヒャルドの剣幕に気おされながらも、ヴェロニカは思案する。

(脅し…暴言…暴力……?)


前世を思い出したものの、今世での出来事を忘れた訳ではない。


(確かにヴェロニカは口調が強い。脅し、暴言と取られてもおかしくはないわね。でも、暴力……はないわね。女の子に手をあげるなんてありえないわ)


「殿下、脅すような物言いと暴言、謝罪致します。……ですが、暴力は覚えがございません」

「何を言う!扇子で殴り、つい先日には池に突き落とした!犯人は分からんが、ユリエラを階段から突き落としたのも、やはりお前だったのだろう!」


リヒャルドの言葉に、ユリエラは涙を流した。小さな声で呟く。


「怖かったです殿下……!」


(突き落とす?池に?階段から?)


それは認めてしまえば投獄される可能性のある罪だ。


(なるほど。……これは認めて謝罪するわけにはいかないわね。でも原作のように癇癪を起して暴れても逆効果だわ)


「殿下、その事件のあった日の詳細を教えてくださいませ。わたしには身に覚えがありません」

「しらじらしい!僕はユリエラが助けを求めて来た日を覚えている」


その言葉に動揺を見せたのはヴェロニカではなくユリエラだ。ユリエラの動揺に気づかずリヒャルドは続けた。


「突き落としたのは春の二十日。階段から落ちたのは朔月の初日だった。扇子で叩かれた日は1回や2回じゃないぞ」


ヴェロニカは思案する間もなく答えた。ラギアス侯爵家の事業でアカデミーを休んだ日は覚えている。


「わたしは父の事業の手伝いのため、朔月は全てアカデミーを欠席しております。春の二十日は母の八回忌の為に休んでおります。扇で叩いたとおっしゃりますが、跡などご覧になりましたか?」


ヴェロニカの言葉に、リヒャルドより先にユリエラが口を開いた。


「殿下……!わたし、殿下の元へ伺ったのは事件のあった当日ではありません。当日はショックですぐに部屋に戻りましたので……!そ、それと扇で叩かれた場所は殿下にお見せ出来る場所ではありませんので、見せたことはありません」


ユリエラの声は震え、また涙が流れた。リヒャルドは頬を赤く染めて狼狽えた。


「な、泣くな。ユリエラ。聖女であるそなたの言葉を疑う訳がない。疑うべきはヴェロニカだ」


(どうしてそうなるのよ)

と反論したかったが、今日までの己の態度だろう。


「殿下、わたしは怖いです。アカデミーが始まり、またあの日々が繰り返されるのではと……」

「ああ。分かっている。心配するな」 


リヒャルドがユリエラの背中を優しく撫でる。


ヴェロニカは冷めた瞳でそれを眺めた。

(何を見せられているのわたしは。――もう帰っていいかしら?)


リヒャルドはユリエラの腰に腕を回したまま、ヴェロニカを見据えた。

「衛兵!罪人を捕らえろ。地下に投獄するんだ」


これには会場にいる貴族達も騒然とした。証拠も調べず、王太子の一存で捕らえるなど異例の事だ。


後ろで様子を見ていた侍従が慌てて駆け寄った。

「殿下、それはなりません。ラギアス嬢は候爵家のご令嬢。そのような事をすれば、王室の信用を失います」


「何を言う。候爵家とて、罪を犯したならば償わせねばならん」

的外れな返答に侍従は更にうろたえた。

「そうではありません!ユリエラ様の供述だけで決めては……!国王陛下もまだお越しになっていないのに」


「うるさいぞ!父上には僕が後で説明する。今は従え!」

リヒャルドが叫んだ。


(陛下が来る前に終わらせたいのね)


それは分かるが、ヴェロニカも黙って投獄される訳にはいかない。侯爵令嬢として前科がつく訳にはいかないのだ。ヴェロニカは息を吸って腹から声を出した。


「殿下!いい加減になさいませ!聖女候補とはいえ、一人の意見だけに耳を傾けてはいけません!我がラギアス家は王国の建国から支えて来た忠臣。このままわたしを投獄すれば、ラギアスの忠誠を失うでしょう。そのお歳になってもまだ分からないのですか?」


少し嫌味に聞こえたかもしれない。


「何だと?」


……返って頭に血を昇らせたかも?

リヒャルドはわなわなと震え、さらに声を荒げた。


「貴様の僕を見下した態度が気に入らんのだ!衛兵!何をしている!責任は僕がもつ!無理矢理にでも――」


「――騒がしいぞ」


ホール内に聞き覚えのある声が響いた。振り向くと、先ほどの騎士がこちらへ向かってくる。中庭で見かけた時と同じく騎士服を着ているが、よく見れば他の衛兵より騎士服が豪奢だ。リヒャルドは震える声で言った。


「叔父上……」


(――えっ)

リヒャルドが叔父上と呼ぶ人物は一人しかいない。現国王の歳の離れた王弟、フェリクス・フォン・リドル。


ヴェロニカが驚いて顔をあげると、フェリクスはこちらを見てにやりと笑った。


「言っただろう。そのような物言いをやめるようにと」

すれ違い様にそう言うと、フェリクスはヴェロニカの前に立った。ヴェロニカを捕らえようとする衛兵たちはなす術なく固まる。


「リヒャルド。お前の誕生祭だと言うからわざわざ来たが、このような場で何を騒いでいる?」


フェリクスの背は高く、その声はずしりと頭上から響いた。リヒャルドは果敢にも前に出た。


「叔父上、邪魔をしないでください。罪人を罰しているのです」


フェリクスは盛大にため息を吐いた。


「ふう――…まあ詳細は聞こえていた。証拠も何もない。この令嬢を罰することは出来ない。衛兵を下がらせなさい」


フェリクスの言葉にリヒャルドの顔は青ざめる。


「ま、待ってください!この国の聖女の言葉を疑うのですか?」

「そうは言っていない。全く。お前とは会話にならないな。――それに、その令嬢は聖女ではなく、聖女候補だったはずだが?」


フェリクスがユリエラを見下ろした。ユリエラ怯えるようにリヒャルドにしがみつく。


「聖女という前に、その振る舞いは淑女としてどうなんだ?――リヒャルド。お前は第一王子としての自覚がないのか?ここにいるラギアス嬢と婚約していたはずだろう」


(フェリクス殿下もなかなかの毒舌よね)


リヒャルドも恥じて顔を赤らめたが、すぐに食いつくように言った。


「婚約はたった今、破棄しました。彼女は次期国母に相応しくない!」

「何だと?」


呆れるような顔をして、フェリクスが振り向くのでヴェロニカは頷いた。

そしてフェリクスが手で顔を覆う。


「――はぁ。甥がすまないな。ラギアスには謝罪するよう陛下に進言する」


「叔父上!そのようなことをなさらずとも……」 


リヒャルドが口を開くと、フェリクスは遮るように言った。低く怒気を孕んだ声だ。


「――だまれ。リヒャルド」


「し、しかしユリエラを傷付けたのは事実で……」

「仮にそうだとして、お前がヴェロニカ嬢を軽んじなければ起こらなかった事態だ」


フェリクスがぴしゃりと言い、リヒャルドはやっと口を閉じた。


「リヒャルドはよほど君を聖女にしたいようだが……」 


フェリクスがユリエラに冷ややかな視線を向ける。

さらにリヒャルドの後ろにいる真っ青な顔色の二人の令息を見た。先ほどヴェロニカがガゼボで揉めた四人のうちの二人だ。


「お前は人をみる目がないからな。国を治める上で重要な能力だ。小動物を虐待するような奴を近くに置いては程度が知れている」


フェリクスの言葉を、震える手を握りしめてリヒャルドは聞いている。しかし我慢が出来ない男なのだ。すぐに口を開く。


「‥‥な、なんのことやら!ユリエラは聖女です!」

「聖女とは、聖獣に選ばれた者のことだ」

「存じております!」


フェリクスが侮蔑した眼をリヒャルドに向けた。周囲の貴族達も凍りつくほどの冷たい眼だ。その眼をみて、ヴェロニカはマリアンの言葉を思い出した。


『――王弟殿下は狂人と噂され―』


「私は今日朝から忙しく動いていたんだ。聖女候補から逃げ出した聖獣を探してな」

ユリエラがびくりと身体を揺らし、青ざめた。フェリクスは更に言った。


「その聖獣は中庭で見つかった。お前の後ろにいる友人たちに、池に落とされそうになっていたがな」


フェリクスはリヒャルドの陰に隠れた令息達に視線を向けた。一人の令息が慌てて口を開く。


「い、池に落とすだなんて……!私たちは聖獣様を保護しようと……」

リヒャルドは令息を睨みながら静かに言った。

「……虚偽ならばやめておけ。叔父上は聖獣と意思疎通が出来る王国で唯一のお方だ」


リヒャルドは何か言おうとしたが、


「リヒャルド。今日はもうその聖女候補のご令嬢は帰した方がいい。お前は、針の筵になるだろうが、自分で招いたことだ。甘んじて受けなさい。陛下には私から報告しておく」

「し、しかし……」

「第一王子殿下をご案内しろ」

フェリクスが合図をすると、ホールに配置された騎士とは違う制服の騎士たちが現れ、リヒャルド達は有無を言わさず連れて行かれた。



「――さて」

フェリクスがくるりと振り返り、ヴェロニカに向き直った。


「まず礼を言わせてくれ。……ああ。自分で言いたいみたいだな」

フェリクスが中庭へ続く扉の方を見ると、歓声が上がった。


扉から現れたのは、ガゼボで見た獣だった。今は泥や土汚れが落とされ、なびく毛色が青銀に輝いている。


(綺麗……)


「あ、あなたさっきのわんちゃん?」

「あ、犬ではなく、彼は狼型の聖獣だ」

フェリクスが言った。


青銀の狼はヴェロニカに近づくと、猫のようにすり寄った。


(わ、わああ。可愛い)


「お。わんちゃんなどと言われても怒らないのだな」

意外そうにフェリクスは言う。狼がじろりとフェリクスを睨んだ気がした。


「フェリクス様、な、撫でてみても?」


ヴェロニカが目を輝かせて言うと、フェリクスが頷いた。手を伸ばすと、狼が自ら手に頭を近づけてくれた。


(ふわふわだあ……!)

「だ、抱きしめても?」


鼻息荒く言うと、さすがにフェリクスは首を振った。


「それはちょっと」


ヴェロニカは、そこで改めて周囲の反応に気付いた。


「聖獣様がこんなに懐いているなんて……」

「本来は聖女以外に触ることも出来ない存在でしょう?」

「ラギアス嬢が聖女ということ?」


注目が集まり、ヴェロニカが固まっているとフェリクスが手を差し出した。


「今日は貴方も帰った方がいい。馬車までエスコートしよう」


王弟であるフェリクスと共に会場を進めば、話しかけてくる者はいなかった。二人の後を青銀の狼だけは付いて歩いた。



馬車寄せへ着くと、ヴェロニカはお礼を言った。

「フェリクス殿下。今日はありがとうございました」


フェリクスはにやりと笑い、からかう様に答える。


「んん?中庭での態度と随分差があるのだな。どちらが素なんだ?」

「どちらも素です。殿下こそ、親切なのか、意地が悪いのかどちらなのです」


ヴェロニカはじとりと睨むと、フェリクスは声をだして笑った。


「ははは。私は意地が悪いんだ。変わった令嬢だ。私を恐れずに、そのように物を言うとは」

「私は悪女と呼ばれておりますので、貴方など怖くはありません」


ヴェロニカはそう言うと、するりと腕を外し、扇を口元に広げ半歩下がった。フェリクスの瞳が更に興味深そうに輝く。


(あまり親しくならない方がいいはずよ。早く離れましょう)


ヴェロニカは心中で警告音が聞こえた。フェリクスを見ていると心がざわつく。”悪役令嬢”にも興味があったが、フェリクスのような危険そうな男性にも興味が湧いてしまう。

ヴェロニカは頭を振った。


(いくら恰好良くても王弟殿下は駄目よ。思い出して。戦闘狂の狂人よ)


ぷいと顔を逸らし、ヴェロニカは馬車へ向かった。


「ラギアス嬢?笑ったから怒ったのか?珍しくてつい。悪かった」


後ろに付いて来るフェリクスを半眼で睨む。

「いいえ?わたしが王弟殿下に怒る訳がありません。もう見送りなどいいですから、お戻りになってください」


「……」


無言だが、フェリクスはまだ付いて来る。ヴェロニカはいらいらと言った。


「何でしょうか?まだ何か御用でも?」

「いや、最後まで見送りたいだけだ」


(だから何故?)


見当違いな期待をしてしまいそうで自分が恥ずかしい。早く戻ってもらいたい。


「私が誰かに喧嘩を仕掛けそうで心配ですか?殿下に言われずとも、悪役令嬢のような物言いは今日でしおしまいにします」


今日の出来事だけで充分だ。リヒャルド殿下の婚約者でもなくなったし、ヴェロニカは明日から慎ましく静かに生きるのだ。


「それは残念だ」


フェリクスの言葉にヴェロニカは振り向いた。フェリクスの方から『止めた方がいい』と言っておきながら、今更何なのか。


「何を今更……殿下も言われていた事でしょう」


息を吐きながら言うと、フェリクスがふいにヴェロニカの手を取った。


「なっ!離して!淑女の手を急に取るなんて失礼よ……!」

慌てたヴェロニカはまたキツイ言い方をしてしまった。手を振り払おうとしたが、びくともしない。フェリクスがヴェロニカの手を軽く引き、手の甲にキスをした。


「――え」


ヴェロニカの思考が停止する。フェリクスはヴェロニカの耳元で囁いた。


「私は気の強い女性が好きなんだ」


そう言うと、にこりと含みのある笑みを受かべ、手をとったまま馬車へヴェロニカをエスコートした。

ヴェロニカは呆然と促されるままに馬車に乗る。


(か、揶揄われたのかしら……)


納得いかないままヴェロニカを乗せた馬車は走った。



――それから半年。毎日のように聖獣を連れてフェリクスがラギアス邸へ訪問するのだが、それはまた別のお話。
































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