Episode.58
第二皇子の誕生パーティー。ミネルバも招待されると思っていたが、この時点で招待状が届いていないのならばその可能性は限りなく低くなる。シリルは少し安堵した。
(皇妃はミネルバを諦めたのか?それくらいフレデリックを立太子させるなど現実味がないことだ)
帝国に皇子が二人いれば、少なからず派閥が出来てしまうものだ。それでも不在の第一皇子を皇太子に推す家門が圧倒的に多い。それほどフレデリックの人間性には問題があった。
「そろそろ行きましょうか。遅れるといけないし……」
シリルが立ち上がると、裾を引っ張られた感覚がした。思わず振り返ると、ミネルバがシリルの制服を掴んでいる。
「あっ、すいません…!あの……」
ミネルバ自身も驚いたようで、慌てて手を離された。
(ずっと持ってていいのに)
名残惜しさを感じつつ、シリルは再びベンチに腰をおろした。
「どうしました?」
にこにこと聞きながら思い出す。
(ん?そういえば渡したいものがあると言っていたな)
ミネルバの手に、ぎゅうっと握られた紙袋が見える。手が白くなるほど握っている。シリルは思わず訝しむ。
(何だ?…果たし状…ではないよな?……あんなに握って、手が痛まないか?)
ミネルバに視線を向けると、渡すのを躊躇しているのか、咄嗟に裾を掴んでしまったことが恥ずかしいのか…顔が赤い。唇も引き結んでいる。
(……唇が切れないか?)
心配が膨らみ、シリルはまずミネルバの握りしめられた手の指を外しにかかった。一本一本丁寧に外し、また握りしめないように自分の手を絡めておく。手を確認しながらシリルは聞いた。
「唇は大丈夫ですか?」
「…??……!?」
ミネルバが目を見開いて声なき声を出したが、シリルは気付かない。
(返事がない?)
ぱっと顔を上げ、左手の親指をミネルバの唇に当て、無遠慮に引き結んでいる口を少し開いた。唇に血など付いてないか視認し、付いていないことに満足すると、視線を上げた。するとミネルバの空色の瞳と目が合った。涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだ。
(しまった)
シリルはゆっくりと左手を離して、降参するかのように上に上げた。
「シリル様……!淑女の唇に…!許可なく触れてはいけません……!!」
震えながらミネルバが言った。
「すまない……!!唇が切れていたらいけないと思って」
シリルは頭を下げた。本当に申し訳ない。怒っているミネルバさえ可愛く見えてしまうのだから。怒るのもやめてほしいと言いたい。シリルにとってもはや褒美になりつつある。
今まで何度か怒ったミネルバを見てきたが、シリルにはただただ可愛くしか映らない。
未練がましく離さない右手をミネルバにじとりと睨まれる。シリルはおずおずと手を離した。
ミネルバが短く息を吐く。シリルは視線を下に向けたまま、ミネルバのため息に冷や汗を流した。そのまま視線を下に向けて神妙な顔をしていると、ふいにミネルバが微笑った。顔を上げると、ミネルバが小さく肩を揺らしている。
「ふ、ふふ。そこまでしょんぼりされなくても……」
(……可愛い。ずっと見ていたい……)
「こほんっ!でもシリル様、距離感には気を付けてくださらないと困ります。特に女性と接する時、このような接し方だと女性は皆勘違いをしてしまいますからね!」
「えっ」
勘違い?もちろん顔を触るなんて、好きな人にしかしない。
(軽薄だと勘違いされると言うことか……?)
シリルがぽかんと思案していると、ミネルバがようやく紙袋を差し出した。
「こ、これを。ドレスや万年筆のお礼です…」
恐る恐る渡された袋を、シリルは神妙な面持ちで受け取る。
「ありがとう…開けてみても?」
ミネルバが頷くのを確認し、シリルは袋を開く。
(あんなに渡すのを躊躇していたんだ。中身は一体……)
謎の緊張感のなか、シリルは小箱を取り出した。開くと、琥珀のカフスとタイピンのセットが入っていた。やわらかで馴染みのある色合いに、思わずミネルバを見る。日に透けたミネルバの流れる髪と、とても酷似している。
ミネルバが恥ずかしそうに視線をさげるので、瞳にかかる睫毛も輝いた。
「うっ……」
シリルは思わず呻いた。心臓を押さえる。ついでに沸き上がる健全な青少年としての欲望も抑える。
(ど、どういう意味だ??これはどうとればいい??)
嬉しさと、早まってはいけないという葛藤と、期待するなという防波堤のような感情が渦巻く。シリルはしばらく顔を下に向けて固まった。
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