episode40
「タナトス嬢、さすがにそれ以上は不敬ですよ」
冷ややかに、低い声でミネルバは言った。
ミネルバの反応を待っていたかのように、リリーアは落ち着いて振り返る。
「あら、ミネルバ嬢。聞き耳を立てるなんて無粋ですわね。私とシリル様の仲ですもの。心配しなくて結構よ」
いらいらとお腹の底から怒りが湧き上がる。ミネルバは少し息を吐き、感情を逃がした。
(落ち着こう。これは冷静さを欠いた方が負けだわ)
「貴方はアレックス様とお付き合いしてるのではなかったの?」
ミネルバの問いに、リリーアは首を少し傾げた。
「いいえ?アレックス様はミネルバ嬢の婚約者でしょう?私が今、お慕いしているのはシリル様ですもの」
リリーアはそう言うと笑みを浮かべた。耳元に光るアメジストのイヤリングが揺れて光る。ミネルバはリリーアの笑みにぞわりとまた鳥肌が立った。
リリーアは笑みを張り付けたまま更に口を開く。
「アレックス様とシリル様、どちらが後継者に選ばれるのかしら。私たちも妻として予想してみない?」
(――話が通じないわ)
アレックスと結婚するなんて、万に一つの可能性もない。
そしてシリルの隣にリリーアが立つこともミネルバは許せなかった。
――そのうち、身分も容姿もシリルに見合う女性が、彼の隣に立つであろうことはわかっている。
ミネルバは怒りを孕んだ目でリリーアを見据えた。リリーアはびくりと身体をすくめた。同じテーブルに座る令嬢たちも口を噤む。
リリーアは否定の言葉を投げかけてきたミネルバにも、睨むように見据えるミネルバにも、ただただ驚いていた。
それもそうだろう。ミネルバがアレックスの婚約者であった時にも、同じようにミネルバの近くでアレックスの話題を出していた。……挑発するように。しかしミネルバはいつも反応を返さず、その場から去るか、静かに静観しているかのどちらかだったのだ。
「まあ怖い。そんなに睨まないでちょうだい。ミネルバ嬢、私はもうあなたとアレックス様の邪魔はしないわ」
怖がるそぶりを見せているが、手で隠した口の端が上がっている。
リリーアと一緒にいる令嬢たちも、リリーアほどあからさまではないが、ミネルバに恥をかかせようとしているように見えた。
(この令嬢たち、見覚えがあるわ。アレックス様の婚約者だった頃からリリーア嬢と一緒に動いていた)
皆、ミネルバより爵位の高い令嬢たちだ。アレックスの婚約者だった時から、自分より爵位の低いミネルバが公爵家嫡男の婚約者であったことが気に入らなかったのだろうか。
「なに?もめてる?」
「シリル様って、最近騎士科に編入された?」
「あら?あのご令嬢はアレックス様の・・・?」
周りもざわざわし始め、ミネルバとリリーアに視線が集まる。周囲の生徒も、リリーアが食堂に入ってきた時点でざわついていたのだ。皆、ミネルバ達の会話が気になって仕方がない様子だった。
その時、また食堂の入り口で女生徒達が湧いた。
視線の先にブルーグレーの髪が映り、ミネルバはこの場から消えたくなった。
(一週間は来れないと言ってたのに・・・!)
生徒達の視線が集まる中で、リリーアとシリルの問題に首を突っ込み注目を集めている。自らシリルと自分の関係は特別だと言っているようなものだ。……この状況をシリルはどう思うだろうか。
シリルがゆっくりとミネルバとリリーアのテーブルに進んだ。騎士科の制服ではあるが、いつもより髪が念入りに整えられているせいか、普段より大人びて見える。寝不足からの憂いも加わり、女生徒達はため息をつく。
一瞬目が合ったが、ミネルバは視線を逸らしてしまった。
シリルはそのままリリーアの前に立った。素通りされた事に胸がつきりと傷む。視線を逸らしておきながら、我ながら勝手な事だ。
顔を上げると、頬を染めて微笑み、うっとりとシリルを見つめるリリーアの姿が見えた。
対してシリルは僅かたりとも笑っていない。顔立ちが端正なためか無表情になると冷気を帯びているように見える。シリルはリリーアを観察するように眺めると、冷笑を浮かべた。
「タナトス嬢。君はいい加減にするといい。これ以上妄言を吐き、醜聞を晒すと、皇都にいられなくなるぞ」
背筋が凍りそうになるほど、冷たい声が第三食堂に響いた。
リリーアの表情が固まる。
シリルは隣の令嬢たちにも視線を向けた。
「ご令嬢たちも、タナトス嬢の言葉を本気で信じているわけではありませんよね?」
シリルの口元は笑みの形に開いているが、濃い紫の瞳は笑っていない。リリーアに向けた冷笑ほど冷たくはないが、令嬢たちも固まったまま言葉が出ないようだ。シリルはさらに言った。
「ふむ。そうでしょう?アーカー伯爵令嬢…と、ディルバーナ伯爵令嬢、ノエル侯爵令嬢?」
名を呼ばれた令嬢たちは慌てて大きく頷いた。
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