Episode.32
皇都の歓楽街から戻ると、シリルは本邸の父の執務室に立ち寄った。
廊下を歩いていると、前から見知った人物が近付いて来る。一月ぶりに見る、双子の兄アレックスだ。
アレックスはシリルを一瞥すると、顔を顰めて目を逸らした。
(痩せてもいないし、やつれてもいないな。まぁ当然か)
アレックスは元は本邸に住んでいたが、今はシリルとは別の別邸で過ごしている。謹慎とは言っても、部屋に閉じ込められる訳でもなく、広々とした別邸で悠々自適に過ごしているだけのことだ。
(公爵に呼ばれたのか?)
シリルも一瞥を返し、特に言葉を交わすでもなくすれ違う。そのまま去るのかと思ったら、後ろから声がした。
「おい」
振り返ると、アレックスが仁王立ちでこちらを見据えていた。
「何か用か?」
シリルが言うと、アレックスはカッと顔を赤らめて大股で近付いて来た。そのままの勢いでシリルの胸ぐらを掴み、声を上げた。
「用か?じゃないだろう!俺に言うことはないのか!」
「‥‥ないな」
少し考えたふりをして答える。胸ぐらを摑まれたまま、シリルは自分と似た顔を見下ろした。
アレックスは掴んだ胸ぐらを押しのけるように離したが、シリルがびくともしなかったので跳ね返るように後退った。
もつれる足をかばいながら、アレックスは虚勢を張っている。
「はっ!偉そうにしていられるのも今のうちだ。俺の謹慎が解けたのは皇命だ。まさかお前、爵位の継承権が自分に移るとでも思ってないだろうな?」
アレックスの謹慎が解けたのは皇命ではない。陛下の助言だ。
(勝手に皇命と挿げ替えるなんて、不敬もいいところだな)
まぁ勘違いしてるのはアレックスだけだろうから、問題はないが。
シリルはにやりと言った。
「良かったな?謹慎が解けて」
「俺を馬鹿にしているのか?」
怒りでぶるぶると震えるアレックスを見て、シリルの後ろに控えていたライナスが少し前に出た。邸宅内なので、アレックスに護衛はいない。
「チッ。邸宅内まで護衛を連れ歩かずともいいものを!いいかシリル。アカデミーでは俺に話しかけるなよ」
アレックスはそう言うと踵を返して去って行った。
シリルは大きな足音を立てて去って行く後ろ姿をしばらく眺めた。
(話しかけるなって、思春期かよ)
「主、よく我慢なさいましたね」
「ん?」
「殴りかかるかと思いました」
「そこまで気が短くないぞ俺は」
ライナスには軽口で返したものの、シリルは内心穏やかではなかった。
(殴らなかった訳じゃない)
殴れなかったのだ。手が震えている。耐えてなければ、足も震え出しそうだった。
(思っていたより深刻だな)
例の夜会でもそうだったが、アレックスの怒気に必要以上に反応してしまう。
アレックスは自分より弱い。今のシリルに、アレックスが危害を加えることは出来ない。頭では分かっているのに、身体が受け付けず、強張ってしまう。
物心つく頃から、アレックスはシリルに暴力を振るった。公爵は子ども同士の喧嘩だと重く考えなかったが、侍女長のメリザはシリルの怪我を見て、シリルを別邸に移すように公爵に進言した。
一番鮮明に覚えているのは、アレックスがアカデミーに入学したての頃だ。
アレックスはアカデミーで配られた剣を持ち、騎士科のクラスメイト数人とシリルの別邸を訪れた。
『試しに』と言いながら剣を振り回し、逃げるシリルを剣で打つ"遊び"をアレックスは好んでよくやった。痣が熱を持ち、うなされるほど痛むこともあった。
2年目になると飽きたのか、頻繁には来なくなったが。
(頑なに剣を抜かなかったのは、退学になるからだったんだな)
その頃にはアレックスを見ただけで身体が震えるようになっていた。
今ほどじゃないが、前世でも目つきが悪く、言いがかりを付けられたり絡まれることが何度かあった。そういう時は、倍返しするようにしていた。
(引き籠もりの時にも、やり返していない訳ではないが)
アレックスの肌が触れる部分にかぶれる薬剤を塗布したり、アレックスの馬車の車輪に細工したり。使用人達がシリルを陰湿であると認識しているのはそういう度重なる仕返しによるものだ。
(馬車の細工も揺れが激しくなる程度に留めたし、子供心ながらに、被害がアレックス一人に及ぶよう細心の注意を払っていたんだが)
なので自分のなかでは、未だ倍返しには至っていないと思っている。
コンコン!
「‥‥‥入りなさい」
執務室の扉をノックすると、中から公爵の呆れ声が返ってきた。
「やり合うなと言っただろう。執務室まで聞こえていたぞ」
開口一番に公爵が言う。
「叫んでいたのは兄上だけでしょう?俺は相手にしていません」
シリルが淡々と言うと、公爵が半眼で睨んだ。
「お前‥‥刺激するなとも言ったはずだぞ。‥‥はぁ、もういい。お前達を鉢合わせてしまった私にも非がある。――で、どうした?なにかあったのか」
公爵は短くため息を吐き、ソファーに深く座った。
シリルが呼ばれてもいないのに公爵に会いにくるのは稀だ。「何をしでかしたんだ?」とでも言いたげな視線を感じる。
シリルは公爵の向かいのソファーに腰掛けて、訪ねた理由を口にした。
「‥‥人をお借りしたくて」
読んでいただきありがとうございます。
ようやくアレックス登場です。
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